過食症者の過食とは…
◇過食と言うサポーター
■食べ物は精神安定剤
質問:
野生の動物が概ね肥満をしない。
人間はなぜ肥満するのか?
答え;
空腹じゃなくても食べる、食べたくなるから。
人間は心理的に嫌なことがあるときに食べ物に助けてもらうことがある。
あるいは、食べ物を不意に目にしたときに、それまでまったく食べることなど頭になかったのに食べずに居られなくなる。
摂食障害者が食べ物に対して感じる思いは、
食べ物と言う支えがなければバランスが保てない毎日を過ごしているということである。しかも、思いは深い。
食べ物からカロリーと栄養をもらって生きる活力にする、という意味以上に食べ物に寄りかかっている状態なのだ。
ある意味で精神安定の材料とも言える。それは嗜好品という意味合いも合って、食べ物との関係性が”楽しみ”という意味でもある。
■食べ過ぎちゃった!と笑える日まで
食べすぎは
健常者にとっては食べすぎ。
過食症者にとっては過食。
過食とは病的な表現なのだ。
量が一緒でも捉え方によって
食べすぎと過食に分けられる。
そういう意味では考え方の歪みが病状の一つであると言える。
■苦痛を忘れさせる意味での過食
・自分への期待はずれ感と過食
色々な自分の欠点に幻滅して、それを解決できない自分に幻滅し、
食べる快楽で苦痛を紛らわす。
「食べている間だけ苦痛を忘れることができる」
・むなしさを忘れるための過食
何をしてもうまくやれない患者は
無為に一日を過ごしやすい。
自分に自信の無いから現実から逃げ、寝たり食べたりして
生きることの空虚感を埋めようとする。
・寂しさを忘れるための過食
寂しさや、ひとりぼっち感を忘れようとして過食する。
・疲れを忘れるための過食
完璧主義による無理や、
よけいな気遣いによる失意、
演技し続ける苦労、甘えられないことに疲れ果て、
食べることでその苦痛を忘れようとする
◇過食をしながら何を思うのか
■食べなきゃダメは無駄な励まし
過食症と拒食症、食べる食べないと表に現れる食行動は正反対ですが
病気の根っこにある気持ちは同じです。
太るのが怖くてしょうがない、
なにがなんでも痩せたいと言う気持ちです。
体重や体型に対する強いコダワリも共通しています。
過食の罪悪感から拒食が来る。
拒食があるから反動で過食が来る。
決して単体では存在しない。
だからこそ、摂食障害と言うカテゴリーが一緒にされているのかもしれない。
■拒食よりずっとつらい過食
過食は単なる食べすぎではありません。
短い時間で一気に詰め込む。経験者にしか分からないけど
もはや、食べるじゃない。機械のように可能な限り早く胃に詰め込む、と言う感じ。
食材は料理の材料だが、過食者にとっては過食嘔吐の材料なのだ。
食べ物だとは思っていない。
道具と化しているだけ。
あるいは、長い時間をかけてダラダラと食べ続ける。
半日食べた吐いて、必死に食材買い込みに言って
眠ってまた起きて…みたいなループは泥沼だが決して珍しくない。
食べ物だとは思っていない。一応、味は感知しているし、好みの食べ物を選ぶがあくまで吐くための材料であって、食材とは思っていない。
食べ物を食べ物だと思っていない。
食べ物とは空腹を満たすための道具であるはずだが
空腹を見たそうなどとはまったく考えていない。
だから、どれだけの食材をスーパーで買っているようにみえても、
食べる意味での食材ではなく嘔吐のための材料なのだ。
過食が終わるのは身体の痛みが
かなり現実的な痛みに近づいてきたときだ。
それはつまり、限界まで食べ吐きを行うと言うこと。
苦しくて身動きが取れなくなるか、苦しさに耐えれずに嘔吐するか
(嘔吐できる量が溜まるまで詰め込む場合もある)してやっと食べ物がとまる。
拒食の時には、ストイックに自分をコントロールしている満足感がありますが過食となると、それに挫折した状態なわけですから本人の心は
ふがいない惨めな気持ちでいっぱいです。
食べるたびに落ち込んで自分を責める気持ちが膨らむので、
拒食よりも過食のほうがずっとつらい。
過食と拒食が繰り返している人が良く口にする
「拒食期に戻りたい…」というのは何も、
体重のことばかりを言っているのではない。
摂食障害者にとって食べることは
何よりも楽しく、何よりも辛くて憎い行為なのだ。
■過食嘔吐を選択する人は超欲張り!?
食べて吐くという行為は快感の二重取り。
食べて幸せ、吐いてハッピー。
食べ物を口から詰め込んでいるときはセロトニンが分泌されるし何もかも忘れていられるし胃の中のものを吐くことは、エンドルフィンやドーパミンを分泌している。
なんと言っても、
食べたものを全て消化せずに済む(ような気分を味わう。気分だけでもなんともいえない優越感を味わえる。)
身体や精神、人生の後先を考えなければ
この瞬間を楽しむだけなら、
こんなに素晴らしい自己の解放の手段は
他に思いつかない。おまけにたべものをどれだけ浪費しようと
社会的には何も罰せられない」。アルコールですら、後ろめたい目線を送られることがあるが
食べ物ではない。
それでももちろん、本人は過食嘔吐を行っているときはもちろん、
買い物をしているときも激しい嫌悪感に襲われながら、
必死に買い物を行っているわけなのだが…。
◇まとめ
■食事を真に楽しむ日は来るのか…
食べ物は生きる力であり食欲は生命力のバロメーターだ。
ちょっとエネルギーが足りないときには余分に補給すること
は誰にだってある。
ただ、摂食障害の食べ物との関わり方はやはり一線を画している。
生きる活力、という意味では同じなのだが、
思いっきり”詰め込んだり””吐くために食べたり”っていう食べ物を消化させるのではなく
『快感の道具』にしているのだ。
特に過食嘔吐については口腔を使った自慰行為だとも揶揄されている。
この自慰行為のための道具という付き合い方が
おかしいおかしいと思いながらも、そういうエネルギーのもらい方しかできないのが
病気たるゆえんなのかもしれない。
しかしながら、支えてもらい方を変えていかなければ、
食べることは一生付きまとう問題なので本当の意味でのエネルギーの補給が出来る日は
来ない気がする。
胃腸に消化させてパワーをもらう。
そのために、あきらめることが第一。
太ることを受け入れていつまでも万能的な痩せ願望を捨てること。
そして、もう一つは過食嘔吐というピースが抜けても
日々をこなして生きていけるようなバランスの取り方を見つける、
この二つが特に重要で強い意志を持つという意味では今からでも着手できる方法。
食べ物との良好な関係なくして、やっぱり人生は楽しくないのだと思う。
いや、『食べ物との関係』などという事を栄養面とかカロリーとか、そういう健康になるためのカテゴリー以外で考えていることもそもそも病気なのかも。
食べ物の力で生かしてもらっているとしたら、
食べ物を避け憎み、塚いつ照るかのような付き合い方はまずい。
決別を結実できるか。。