過食しか頼る先がないんだからさ、そういう自分を許そ?
















防御としての過食をする自分を許せるか


「友達と上手くできなかった自分」
「恋人の機嫌を損ねた自分」
「良い結果の出なかった仕事、結果を出せないくらいの能力しかない自分」





…こういった、その日にあった出来事から発生する「ネガティブな感情」。
こういう感情を処理するための一つの方法として過食は選ばれている。






で、本来、このような嫌な事があったときは健康的な人間関係とコミュニケーション能力をもっている人たちは、
「友達に思いっきり愚痴る」「身体を動かす」「仲間とアルコールでパーッとやる」などの方法で自分の中にあるネガティブな感情を消化する。




しかしながら、摂食障害になりやすい性格の人は、「愚痴るなんて弱い人間。弱い部分を見せたら嫌われる」「仕事のミスは仕事で返すしかない。残業だ」
などなど、ネガティブな感情を健康的に放出するルートを自ら閉じてしまっている傾向が見れる。










まじめな性格もあいまっているのですが、この「愚痴る相手が居ない→ネガティブな感情を言語化して吐き出してスッキリするという方法を持っていない」というのが摂食障害における対人関係の欠如ということ。


まあこれは、幼少期から「グチグチ言ってないで、頑張りなさい!!」などの教育方針だった両親に育てられたことに起因しているので、なかなか、この「健康的な吐き出し」を実践することは難しいのですが、
言葉を吐けない代わりに、食べ物を詰め込んだり食べ物を吐いたりしているんだと思うんですよね。



で、大事なのは、それしか方法が無いんだから、そういう行為(過食)をしちゃうのは、「食べ物を粗末にしているし無駄遣いをしているのはとても恥ずかしい行為だ。だけど、現状の自分には必要なんだ。当面は仕方がないんだ」
というふうに肯定的に捉えられるかどうか?ということ。



だって、「自分の中にあるネガティブな感情を愚痴として吐き出す自分」を許せないし、「本音を言っても嫌わないで居てくれる友人なんて居ない(勝手な思い込みなんだけど)」んだから。


健康的にネガティブな感情を消化している人が行っている方法が手持ちに無いんだから、過食で処理するしかないんだ。とりあえずは。












■「人間は弱さを見せちゃいけない」という思い込みから脱出!!


摂食障害の人は、「弱い自分」なんか、絶対に受け入れたくないと思っているだろうけど、この「言葉として吐き出せない」弱さは、受け入れるべき種類の弱さであり賢さでもあるんだと思う。




で、「グチグチ言ってないでやることやりなさい!!」という家庭で育った場合、「他人は私の弱さを許さないだろう」という考えが根付いている可能性が高い。

しかーし、現在の貴方の周りに居る人間たちは、実は、そういう人たちばかりではありません!!
ちゃーんと、「愚痴でも言わなきゃやってらんないよね〜」と愚痴を否定しない温かい人たちも居るのです!(まさかと思うでしょ?両親は否定したかもしれないけれど、両親に否定されずに育った人は否定しないんだよ〜)





むしろ、女性は共感脳なので、「なーんだ、あんたも同じような悩み持っての。あたしと一緒ジャン!」って愚痴を使って仲良くなれちゃう傾向も男性よりは圧倒的に強い。

(愚痴るだけでもスッキリするし、「わっかる!」と言ってもらえたときには涙さえ出そうになる。
 これが、「人間同士が与え合う”温かさ”」なんじゃないかと思っていて、その”温かさ”は過食をやっつけるリーサルウェポンだと思っています)






まあ、友人関係が駄目なら恋人でも祖父母でも、誰か一人でもいいから、「自分が思っているありのまま」を否定せずに受けて入れてくれる相手を見つけて、どうか、「人間とは弱さを否定する存在だ」という思い込みから、脱出して、
健康的にネガティブな感情を吐き出せるようになると、過食も減るかもね〜
(その日に起こったいやな出来事と過食の量の関連を考えてみると、たぶん、嫌な事が多かった日は過食が増えるはず。)













といっても「対人関係の欠如」をすぐに理解するのは難しいことなので、とりあえず当面は、「過食に頼る自分」を許していきましょう。

そして、「温かい対人関係」という「ネガティブな感情」の行き先を持てていない自分を認識できれば、悩むべきなのは「過食をどうするか」ではなく「どうやって温かい人間関係を作っていこうか?その足かせになっている自分の内部にある対人関係パターンは何か?」
という具体的な方向に進んでいくんじゃないかと(過食をどうにかしようとしても泥沼になるだけですから…)