食べ物を受け入れられないことの意味と成り立ちの概要


食べ物は生きる源。
その食べ物を拒む(拒食症)という事は
なんらかの生きづらさとかメッセージとか訴えたいことが
あるといってもいい。





生きるのを止めたいと思うほどに強烈な生きづらさが…























◇食べ物と感情の関わり






















■食べ物を拒否=受け容れたくない現実






たとえば、
ファーストフードばかりを与える母親への抵抗と訴えとして
食べ物を拒んでいるうちに拒食症になることもあれば
食べないと言う行為自体が母親への言葉にならないメッセージかもしれない。





おいしいかもしれないけれど誰かと食べたい。




または、ケアされているという感覚が
ファーストフードでは感じにくい。、
食事を適当にされると自分も適当に扱われている気がする
だけど、そんなことをいったら食事を与えてもらえなくなるかも知れない。




伝えることなど出来ない。

だけど、気づいて欲しい。
本当はもっと、大事にされたいんだ!って。








母親に食事=おいしくて、お腹が膨れればOKという考え方があるならば
これを是正していくのは難しいのかもしれない。






















■学習性無力感



虐待やDVなどを繰り返し受けていて、
その理不尽な行いに最初は抵抗する。
しかし、幼い子どもの力で大人に対抗できるわけも無い。
そして、抵抗しても無駄だと言うことを
、ある時点から抵抗をしなくなる。
人間は自ら不快な方向に進みたくは無い。


これを学習性無力感と呼ぶ。


暴力じゃなかったとしても人間は
何度か挑戦しても成功できなかったら
あきらめてしまう。




それは、伝えることや分かってもらおうとすることも一緒だ。



分かってもらいたい感情を良心に話しても話しても
まったく分かってもらえた実感がなければ
いつしか自分で溜め込むようになる。


しかも、親が受け入れてくれないのなら他の人間も同じだろうと
諦めるようになる











■自分の感情=危険なもの、という考え方が
 定着したら自分を表現しなくなる







あるいは、つらいとか死にたい…などという
自分感情を話すと怒られたり受け止めてもらえないという経験が繰り返されると感情を外側に出すことは受け容れてもらえないし怒られるものなんだ…という考え方が出来上がってしまい、それは母親という人間だけじゃなく自分に関わる人間すべてがそうなのだと思うようになる。




母親=自分に関わってくれる人間→自分の感情を無視する人


自分に関わってくれる人→自分を無視する。











子供にとって長く時間を過ごす両親は
社会そのもの。


社会(母親)が自分を拒否するのなら
誰もが自分を拒否する、という考え方を持っても不思議ではない。




そして、家庭という子どもが最も多く時間を過ごす場所で
生きる場所で感情を我慢する事になり精神のバランスが崩れる。
拒食
になる。





感情を表現しないからといって感情がなくなるわけではない。
言葉にならないことを、ある人は外側に暴力やイジメなどすることで発散する
(発散行動だとは子どもは思っていない)
ある人はリストカット摂食障害などの内側を壊そうとすることで
感情をどうにかしているのと同時にメッセージを送っている



















アダルトチルドレンという考え方









■最も愛されるべき人に、分かってもらえない





うちの親なんか、私の気持ちなんてわかってないよ
少しはわかって!っていいたいけど無理


どうして


自分のことしか考えていないもの


どういうことが?


私のことを考えているように見えても実は
自分たちの不安を解消するための道具にしか見てないって伝わってくるから。理解して欲しいとは思うけどなかなか居ない。みんな自分のことで精一杯だもの。


自分のことを分かってもらった経験はないの?


どういうことがわかってもらったことになるのかわからない。
分かって欲しいなんて考えないようにしているの。
期待して裏切られるとつらいし悲しく感じる。
何も考えないほうが楽だよ







………





















生活の糧を得るための『仕事』は十分にこなしているかもしれないが、
わが子を育てるという親としての「仕事」の方は
半分もこなしていなかった。
どんなに頑張っている両親でも残念ながらそれが事実だった。
ただ、彼らは生涯、自分たちが果たさなかった「仕事」について具体的に
知らずに済む。
一歩、預けられた子どもの側も幼いがゆえに自分たちが
何を与えられなかったかを具体的に自覚できずに成長する。
















■成人してからも生き辛さをひきずるアダルトチルドレン


生きることが辛いという人々がいる。
確かに生きるのは辛い。
なぜなら、いろいろあるからだ。
ただ、いろいろがなくて漠然と感じていて空虚なんだけど痛みはしっかりある。


明るく元気に生きている人のように笑うことができない。
気分が晴れなかったり、落ち込みやすかったりする。
NOといえず、自分の気持ちを主張できない。



子供のころ、心が傷ついた経験が無い人はいない。
人と人とが接すれば、意図しなくても、
傷ついたり、傷つけられてしまうことがある。
それは、学びや成長の糧となることもある。


けれども、傷を受けるというその経験が日常的に繰り返されたらどうだろう。
あるいは、癒されようの無い深い傷であったらどうなるのだろう。



赤の他人からでも、心の傷を付けられるのは大きな痛手になる。
しかし、他人であったら相手を憎むこともできる。
自分が傷ついたことを隠す必要も無い。



が、もし、その相手が自分の親であったとしてら、
憎むことも嫌うこともできない。
子供は親の愛や庇護なしでは生きていけないからだ。



そのとき、心の傷は隠され、胸の奥にしまわれてしまう。


















■子どもの能力の高さが病気を招く




両親が不仲だと
子どもは両親の関係性にまったく無力であるはずなのに
「自分がいけない子だから、お父さんとお母さんは良くないムードなんだ」と
子ども特有の考え方が降りてきて
喜ばれるよう、中を少しでも改善してもらおうと「良い子」を演じるようになる。


子どもたちは大人が考える以上に情緒面の柔軟性を持っている。
ある程度の年齢になれば、少々のストレス負荷が予測される場面でも
子どもたちが難なく適応できる。




演じていることがいつしか本当の自分になってしまって
本当の自分がわからなくなり空虚な自分へのストレスがたまり
ストレスの流し方が身についていない場合、何らかの問題行動(リストカット、非行、イジメ、摂食障害など)で
自分の内面のバランスをとろうとしたり、親にSOSのメッセージを送るようになる