摂食障害(拒食症・過食症・過食嘔吐)を治すために必要なたった一つのこと


◇結論







■痩せていると人生が思い通りに進むと言う幻想=幼児的万能感












痩せていれば全てがうまくいくという
幼児的な万能感に溢れた自己愛世界を手放す。




もっと言えば
「思い描く自分を諦め、
 ここにいる、そして未来にも
 そこそこにしかないであろう自分を
 受け入れる」





それは、つまり
現実の世界を生きなさい、
面白みの無い現実を面白みの無い自分のままで生きる覚悟=大人



大人になることが摂食障害を抜けるために
必要なたった一つのことなのだと思う。















◇本編












摂食障害=大人になりきれて居ない











そう、何のことは無い、”大人になりなさい”ということだ。
輝かしい自分になること断念し、
あるいは、摂食障害と言う病的に日常を詐害する方法を使わない程度で抑えられる憧れに変える。
を受け入れて



どういうことか。


痩せる体を諦めるならわからなくもないが
自分そのものを諦めることがなぜ必要なのか。








そもそも
摂食障害は何の目的で用いられるかというと
抑うつ不安に苦悩し、もちこたえられないため、
行動で不安を消そうとするため”である
ちょっと堅く言えば



『「こころに抱かれた不安、悲しみ、苦悩、葛藤」を
 こころの中で悩み・悩み抜いたり消化したりせずに
 行動によって
取り扱うって行こうとする姿勢。
 すなわち発散・排泄してしまおうとするありかた。』


なのだ。





そうであるから、
理想的な治癒像とは摂食障害を呈することで消そうとしてた心の成熟に不可欠な抑うつを自らが抱えられるようになることだと思う。





そして、心を最も邪魔しているのは
理想の姿(痩せている)を希求する思想。つまり、痩せている世界に安住して現実の世界に現実に居る自分で生きていこうとしない
極めて子どもじみた考えなのだ。
















■太ると言う悲しみを心から出すには痩せようとする行動が必要









少し噛み砕くと
抑うつとは太ってしまうことのこと。
避けたい現実。
拒食を行って理想的な痩せにちかづことしているのだけど
拒食と言うルールをまもれないときがくる
その時に、”痩せを手放す”という抑うつ(悲しみ)を味わう事を
極めて嫌悪し、味わいたくないと思う。
太る悲しみを味合わないためには何が必要かと言うと食べたものを相殺してしまうこと。
つまり、嘔吐だ。






嘔吐によって食べ物が吐き出されるのと同時に
痩せに向かっている状態を作り出すことで『太る=悲しみ』を回避することが出来るのだ。


痩せと言う絶対的な存在に近づく行為を自分が実行することで
太ることで発生する悲しみを感じないように(排泄)しているのだ。



痩せようとすることで(自己愛の世界に入り込むことで)
自分の自己愛(痩せている自分)を保とうとする












■まとめ







ちょっと難しく言えばこうだ。






痩せようとする行動を取り続けることで
痩せる、という万能的な世界へと向かっている自分に安心する。
なぜなら、太ると言う嫌な思いも嘔吐することで体重が増えてしまうという想いが食べ物と一緒に吐き出されるから。
そして、痩せたままでいられない(過食)状態を心で受け止められなくなると過食嘔吐という心に生まれた太る=痩せの崩壊→自己万能世界崩壊という悲しみを心で味合わないように
痩せに向かうことで太るかもしれないという思いを排泄する。


食べ物を吐くことでただ食べ物を吐いているだけでなくて
やせに向かっている自分を取り戻すことで自己愛を守っている。
食べ物を吐くことで痩せに向かう行動をしている自分を感じる。
それは痩せを保っている自分だから、安心する。










◇おわりに









■現代版成熟拒否







摂食障害の原因は本日においても
母親をモデルとした女性性への成熟拒否だと言われることがある。
母親に何らかの嫌悪感を抱いており、母親=大人の女性、としてみたときに
母親のよな大人の女性になりたくない。だから子どものままでいたい→食べずに成熟拒否。
これが痛切な通説だった。


この真偽は僕の知る由も無いが
その代わりに現代版成熟拒否とも言うべき状態が
摂食障害の増加に拍車をかけているように思う。




つまり、思春期のように自分の可能性をいつまでも感じ続けようとする人が増えている、ということだ。
そして、だからこそ、等身大の自分を受け入れることが出来ない。
もっとポジティブな自分に成ろうとする。
努力をして夢を諦めないのは素晴らしいことだけど
病気を使ってまで、摂食障害と言うドーピングを使ってまで
自分を諦めきれないと言うのはもはや病気としての成熟拒否としか言えない。


本来、夢を諦めないのであれば健全な努力が必要だが摂食障害の辛さっていうのは努力とは言えないし
痛みとしての種類が違う。




間違った理想の追い方でしか追えない理想はいますぐにあきらめるべきである。それができないから治療に値する病気なのだと思うが…。


やめたくてもやめられない。
いつしか摂食障害も依存症とまったく変わらなくなってしまっている。
ただ、実は意志を持って取り組めば決別できるはずなのだ。
なぜなら、人間の機能として著しく食べないってのは危機だし
口腔から入った食物はきっちり消化するように設計されているからだ。


そういう意味では何に依存しているのかと言うと
理想の自分を捨てられない、つまり幼児のような万能感に依存しているのだ。


だとすると、自分を断念して現実を、「ありのままの自分を受け入れる」っていう
精神疾患にありがちな文句を消極的な意味での使い方をして結論としたい。


だめな部分を受け入れる、みたいなイメージが「ありのままを受け入れる」にはあるが
上に上れない矮小で凡庸な自分を受け入れることも、ありのままという意味なのだと思う。