愛はそこにあった

彼が愛した人たちが
彼を愛した人たちが
彼に与え損なった愛を
彼が受け取り損なった愛を
これからずっと身を以って彼に証明していきたいの

でも愛はそこにあったんだよちゃんと最初から。
もう愛を疑わなくていいんだよ。

僕等がいた16巻 七美のセリフ)
















「大人の愛」と「子どもの愛」が違っているから悲劇が起こる


愛されないと人間は自分自身を肯定できない。

愛されないと「自分は駄目な人間」と思う。
「自分が駄目な人間」だから愛されないのであれば、「自分がダメじゃなくなくなれば愛してもられる」という希望が生まれるからだ。


自分がより良い自分(勉強できるとかお金を稼げるとかかわいくなるとか)になることができれば愛してもらえると思うことで人間は救いを見出して何とか生きていこうとする。


でもね、愛はそこにあったんだよ。


あなたが素晴らしい人間にならなくても愛はそこにあったんだよ。










たとえば、子供が愛を○だと思っていたけれど、両親が持っている愛が□で、□という愛を必死に子どもに与えようとした。
だけど両親の愛は子どもにとってはもしかしたら最も愛から遠いものに見えたかもしれない。

大人と子どもでは、愛の定義が違う。
大人が愛だと思って与えたものは、子どもには愛と分からない場合が非常に多くて悲劇を産んでいる。



悲しいけれど大人には伝わる愛を子どもにもそのまま渡そうとしてしまう両親というのは沢山居て、子どもはそれを愛とは理解できない。
ここにすれちがいが生まれてしまうんだけど、でも、両親は愛を与えようとしたし愛していたい。愛はそこにあったんだよ。




また、「会社を休まずに通って家庭を守っていること」だけが愛を示す方法だと教わっている父親達は非常に多い。
特に、今の45歳以上の父親達は、モーレツサラリーマンと専業主婦の母という日本的家庭モデルの影響を強烈に受けて育った世代なので、「なぜ愛していないと思うの分からない」と本気で思っているのである。
このへんは、残念ながら子ども側が「これはお父さんなりの愛なんだ」と理解できるときが訪れるまで溝は埋まらない。


さらにいえば、お見合いで結婚した夫婦であれば、残念ながら家庭で人間同士の温かさみたいなものをマジかで子どもに見せることは出来ないかもしれない。
けれども、大人の愛の形にはお金とか家事とかの役割分担をして子どもを育てるのが愛情だという人たちも居る。


そういう仮面両親であっても、別に子供が悪い子だからお父さんとお母さんはなんか他人同士みたいと思うことがあってもそれは子どもの責任ではまったくない。

あなたが悪い子だからではない。
あなたが愛されない存在だからでもないんだ。



100%大人たちが悪いんだけど、残念ながら、「子どもがほしい愛の形」は「大人が示しあう愛情」とは違うという事を理解できずに生きている大人たちも沢山居ると言うことを、
子ども側から歩み寄らなければならない。

しかし、歩み寄ったときに、「そこに愛はあったんだ」と自分を罰していた人生から脱出できるものと僕は信じている。









大人たちは様々でそれぞれの愛を示しあいながら生きている。
子どものために働くことも、子どものために夫婦をやめないことも、会社で上司に頭を下げることも。
大人たちにしてみれば、これらはすべて、愛なんだよ。

稼いだお金で子供が望む学校へいかせてあげること、
やりくりしたお金で洋服を買ってくれること、



そういうものも大人からしてみたら「愛を示している」ということなんだ。





けど、ね。
子供が「私は愛されている」と感じるのは、シンプルで、近いところにしかない。
要するに、「スキンシップ」。


子どものそばで一緒に遊んだりご飯を食べたり話を聴いてくれたりお風呂に入ってくれたり…
そういう距離の近い場所でシンプルな触れ合いでしか、子どもは愛を感じられないし子どもにとって愛とはそういうものなのだ。







けど、大人たちは大人の形で愛を子どもに示してしまう。
子どもと大人では愛の意味が違うことに残念ながら気づけない両親というのはたくさんいる。

大人が大人に示す愛をそのまま子どもにも、同じように示して「これだけ愛しているのに…」と本気で思っている大人は沢山居る。悲しいけれど。





けど、それだけのことなんだ。
それだけの事なのであって、両親が子どもを愛していないわけではないのだ。


だから、もう、良い子になって、評価される自分になって、愛を得ようとしなくていいんだよ。
あなたの周りには、愛と気づけない愛がたくさん溢れて育ったんだから。













痩せてい(社会的に認められる資質を獲得した自分じゃ)なくても、愛してくれる人は沢山居るんだよ。


それを持っていなかったから両親はあなたを愛してくれなかったんじゃないんだよ。
愛が伝わらなかったら、そこに愛を感じるのは難しいけれど、たしかにそこに愛はあった。

悲しいことに、人間は自分が愛されていないときには誰かを愛せない。
両親も愛が足りていない人間だとしたら、子どもを愛していないわけではなく、愛が欲しくて欲しくしかたがなかった。
だから、子どもから愛を引き出そうとしていた。
そこに悪気はなかったんだけど、もう、そういう仕方のない部分で愛を感じあう親子関係になれなかっただけど、
両親が貴方を愛さなかったわけではないんだ。













■親を「許す」ということ

「いつかもっと大人になって、親を許せる時がくるといいな」

(ヤンキー母校へ帰るで吉森先生(竹之内豊)が徹(市原隼人)に言った台詞)



いつか、あなたが大人になって、「大人の愛情と子どもの愛情は少し示し方が違うんだ。家庭を守ること、夕飯を作ること、そういうことも愛なんだ」ということを理解できることができれば、
そのときに、「両親は私を愛さなかったわけではないんだ。私は愛されていると思えなかったけどそこに愛はあったんだ。ただちょっと、両親も残念な伝え方しか出来ない大人だったんだ」
というふうに、「両親を許す」ことができる日が来ると思う。

そして、両親を許したときに、自分を愛することができるようになるでしょう。

もう、愛を疑わなくて済むのだから。
愛は、いつでもあなたのすぐそばにあったんだよ!!
そして、今も、あなたは愛に守られていて、その愛は痩せていなくても太っていても、そこにあるんだよ。













許す≒あきらめる=仕方がなかった→仕方のない不器用な大人たちが愛を愛を分からない形で伝えていた。




そこに愛はあった















大人の示す愛と子供が欲しい愛の形は違う。
違うから、お互いに満足に愛し合いされたと感じられなかった。

けどね、すれ違ったとこりに愛はあったんだよ。
不器用な大人の愛の示し方のせいで傷ついたかもしれない。
他人を信用できなくなったかもしれない。
自分を生きている価値が無いと思って生きてきたかもしれない。



けどね、違うんだよ。

いまのあなたで、愛されていたんだよ。
いまのあなたよりもっと幼くて何も出来ないときから、しっかり愛されていたんだよ。





愛は貴方の周りにもあるし、あなたが愛そのものなんだよ。


もう、「今より、もっと良い自分になり続けなければ愛されない」という風に愛を疑わなくてもいいんだよ。

愛はそこにあったし、これからもあり続ける。
両親が不器用であったのなら、あなたが愛を取りにいけばいい。

大人の不器用な愛の示し方をしっかりと見極めて、「そこには確かに愛はあったんだ。私は愛されても大丈夫な存在なんだ」と。




これからさき、あなたがどんな体系になろうとも、愛は変わらない。
いつでも愛はそこにある。

だから、もう愛を疑わなくてもいいんだよ。






問題がある家庭に育ってなら、大人側に愛せない事情があったということは子どもは早いうちに知ることが出来るかもしれない。
ただ問題なのは、表面上極めて健全な家庭運営をしている夫婦の間で育つ子どもだ。
そういう「問題のない家庭」出育ってきてどうしようもない状況になっている人たちに届いてくれれば嬉しいと思う。









僕等がいた 16 (フラワーコミックス)

僕等がいた 16 (フラワーコミックス)

本音を吐き出せば、食べ物を吐き出さなくて済む


「話を聴いてもらえた」ことで爽快感を得れば良い

過食でも色々な症状があるし色んな治り方がある。
でも、共通して言えることは「自分の心の奥には、なにがひっかかってるのかな」ということをつきつめて考えて、それに気づいた人は治る扉を開けたのと同じことなんです。

それを一番信頼できる人に洗いざらい話せてわかってもらって、スカっとした気持ちなれた。
このとき過食はうそみたいにすーっと消えていくんですよ。

(過食・拒食の家族療法 福田俊一・増井昌美 ミネルヴァ書房








■「あれ、過食嘔吐してないんちがうかな!」

母親は夜中にいつも過食嘔吐する美香のことが心配で、
目が覚めてしまいました。
ある夜のこと、なぜかいつも明かりがついている台所が真っ暗でした。

美香の食べる音も聞こえてきません。
「あれ、なんで電気がついてないんやろ。まさか美香が過食してないなんて…」と、戸を開けて確めたい気持ちもありましたが、そのときは半信半疑の気持ちでした。


それから3日たって、また夜中に過食嘔吐していない日がありました。
「なんでだろう。きのうも一昨日も過食嘔吐していたのに。今夜と3日前の夜はしてないなんて」。

そこで考えてみて思い当たったことがあります。


「そうだ。夕方私が早く帰ってきて、美香の話をしっかり聴いてやれたからかも。うれしそうな顔して『ああ、すっきりした。お母さんありがとう、聞いてくれて』と言っていたことと関係があるかも」。


それから母親は意識して観察していました。

「やっぱりそうやわ。私が時間かけてしっかりと聴いてやれた日は過食嘔吐してないわ」と母親は嬉しい変化に気がついて、
さっそく次のカウンセリングで報告しました。

(母と子で克服できる摂食障害 過食症・拒食症からの解放 福田俊一/増井昌美 ミネルヴァ書房










患者がなぜ自己主張をしないのかという理由をよくよく見ていくと、基本的には人間と言うものについての知識の不足や偏りがあることがわかる。
もともとの心配性に加えて、生育過程で身近に居た人の影響が強いのだと思うが、自分の気持ちを話すとネガティブなことが起こる、という信念があるのだ。


実際、患者の周りには批判的な人、過保護な人、世間体ばかり気にしている人などを見つけることができる。
そういう人たちに囲まれて暮らしていると、自分の気持ちを話すことのプラスの可能性を知ることがなくても不思議は無い。

摂食障害の不安に向き合う 水島広子 岩崎学術出版社








過食・拒食の家族療法

過食・拒食の家族療法

母と子で克服できる摂食障害――過食症・拒食症からの解放

母と子で克服できる摂食障害――過食症・拒食症からの解放

過食しか頼る先がないんだからさ、そういう自分を許そ?
















防御としての過食をする自分を許せるか


「友達と上手くできなかった自分」
「恋人の機嫌を損ねた自分」
「良い結果の出なかった仕事、結果を出せないくらいの能力しかない自分」





…こういった、その日にあった出来事から発生する「ネガティブな感情」。
こういう感情を処理するための一つの方法として過食は選ばれている。






で、本来、このような嫌な事があったときは健康的な人間関係とコミュニケーション能力をもっている人たちは、
「友達に思いっきり愚痴る」「身体を動かす」「仲間とアルコールでパーッとやる」などの方法で自分の中にあるネガティブな感情を消化する。




しかしながら、摂食障害になりやすい性格の人は、「愚痴るなんて弱い人間。弱い部分を見せたら嫌われる」「仕事のミスは仕事で返すしかない。残業だ」
などなど、ネガティブな感情を健康的に放出するルートを自ら閉じてしまっている傾向が見れる。










まじめな性格もあいまっているのですが、この「愚痴る相手が居ない→ネガティブな感情を言語化して吐き出してスッキリするという方法を持っていない」というのが摂食障害における対人関係の欠如ということ。


まあこれは、幼少期から「グチグチ言ってないで、頑張りなさい!!」などの教育方針だった両親に育てられたことに起因しているので、なかなか、この「健康的な吐き出し」を実践することは難しいのですが、
言葉を吐けない代わりに、食べ物を詰め込んだり食べ物を吐いたりしているんだと思うんですよね。



で、大事なのは、それしか方法が無いんだから、そういう行為(過食)をしちゃうのは、「食べ物を粗末にしているし無駄遣いをしているのはとても恥ずかしい行為だ。だけど、現状の自分には必要なんだ。当面は仕方がないんだ」
というふうに肯定的に捉えられるかどうか?ということ。



だって、「自分の中にあるネガティブな感情を愚痴として吐き出す自分」を許せないし、「本音を言っても嫌わないで居てくれる友人なんて居ない(勝手な思い込みなんだけど)」んだから。


健康的にネガティブな感情を消化している人が行っている方法が手持ちに無いんだから、過食で処理するしかないんだ。とりあえずは。












■「人間は弱さを見せちゃいけない」という思い込みから脱出!!


摂食障害の人は、「弱い自分」なんか、絶対に受け入れたくないと思っているだろうけど、この「言葉として吐き出せない」弱さは、受け入れるべき種類の弱さであり賢さでもあるんだと思う。




で、「グチグチ言ってないでやることやりなさい!!」という家庭で育った場合、「他人は私の弱さを許さないだろう」という考えが根付いている可能性が高い。

しかーし、現在の貴方の周りに居る人間たちは、実は、そういう人たちばかりではありません!!
ちゃーんと、「愚痴でも言わなきゃやってらんないよね〜」と愚痴を否定しない温かい人たちも居るのです!(まさかと思うでしょ?両親は否定したかもしれないけれど、両親に否定されずに育った人は否定しないんだよ〜)





むしろ、女性は共感脳なので、「なーんだ、あんたも同じような悩み持っての。あたしと一緒ジャン!」って愚痴を使って仲良くなれちゃう傾向も男性よりは圧倒的に強い。

(愚痴るだけでもスッキリするし、「わっかる!」と言ってもらえたときには涙さえ出そうになる。
 これが、「人間同士が与え合う”温かさ”」なんじゃないかと思っていて、その”温かさ”は過食をやっつけるリーサルウェポンだと思っています)






まあ、友人関係が駄目なら恋人でも祖父母でも、誰か一人でもいいから、「自分が思っているありのまま」を否定せずに受けて入れてくれる相手を見つけて、どうか、「人間とは弱さを否定する存在だ」という思い込みから、脱出して、
健康的にネガティブな感情を吐き出せるようになると、過食も減るかもね〜
(その日に起こったいやな出来事と過食の量の関連を考えてみると、たぶん、嫌な事が多かった日は過食が増えるはず。)













といっても「対人関係の欠如」をすぐに理解するのは難しいことなので、とりあえず当面は、「過食に頼る自分」を許していきましょう。

そして、「温かい対人関係」という「ネガティブな感情」の行き先を持てていない自分を認識できれば、悩むべきなのは「過食をどうするか」ではなく「どうやって温かい人間関係を作っていこうか?その足かせになっている自分の内部にある対人関係パターンは何か?」
という具体的な方向に進んでいくんじゃないかと(過食をどうにかしようとしても泥沼になるだけですから…)

のどが渇いた時には、もう水は無い

ほら、若い頃って徹夜しようと泥酔しようと何とか気持ちで乗り切れたじゃないですか。
無理が利いたって言うか、身体が心に支えられていたんですよね。

けれど、この年齢になると逆だってわかったんです。

身体が心を支えているんだって。

(途方もなく霧は流れる 唯川恵















■身体の支えがある内に…



何かが欠けていて、摂食障害になった。


その”何か”を理解するまで10年間かかった。


何かが欠けている事を誤魔化して自分を生かしていくために摂食障害に助けてもらってきた。
だけど不健全な行為には副作用があるのは当然。


”欠けていた何か”を掴まえに行こうとした時、身体はもう、その副作用によって役立たずな状態にまで追い込まれてしまった。


目的地を見つけるために犠牲になってくれた身体。
目的地を見つけたときには、立派な犠牲者になった身体。



かなりの確信を持って苦しい自己分析の果てに得た答えなのに、探しにいけない虚しさ。
アポイントを取ったのは自分なのに営業成績は上司に持っていかれるような徒労感。













どうか皆さんは、身体が精神を支えている内に自分の答えを見つけてください。


精神の欠損感を埋めるために身体は貴方を守ってくれています。







貴方の身体がポンコツになる前に目的地を発見しそこにいける身体を保っていられますように。







女性の方は、新たな命をこの世に迎え入れる際のハンデが、あまりに大きくなってしまわれませんようご自愛を。

女性脳から見る摂食障害〜なぜ摂食障害は女性に多かったのか①〜








▼主題=寂しさと食欲

心の空洞、心の虚しさ

これらは何を示しているのか。
抽象的過ぎてイマイチピンとこなかった。

やっとわかったのは、「つながりを感じる相手が居ない=寂しさ」ということ。


虚しさを埋めるために過食
埋めるために嘔吐。


本音や本当の気持ちを言える相手が居ないと寂しい。
その寂しさは、脳の食欲を司る部分にダメージを与える。



対人関係の欠如という問題領域を入り口と出口にして考えてみる。








◎結論


対人関係の欠如(つながりを感じられる相手が居ない)は脳の食欲を司る部分の欠損を招く。







○総論

女性は共感脳。
共感脳は誰かとのつながりが快。
誰ともつながりを感じられないと不快。
不快=ストレス。

不快が蓄積されると脳は機能に乱れを生じる。

誰ともつながれないストレスは食欲を司る場所に近い場所にある。

その結果、誰ともつながれないと食欲が乱れる。

寂しさが募ると、食欲を司る部分に欠損が生まれやすい。






男性は解決脳であり、孤高を求めるので、共感を求める度合いは女性よりは少ない。



男性は「社会に”認めて”欲しい」が女性は「重要な他者に”分かってほしい”」








●まとめ



対人関係の欠如→
共感がない→
人とつながれていない感覚→
脳が寂しさにやられる→
食欲混乱→
摂食障害。。。



誰かとつながっているという感覚の欠如=寂しさ

寂しさは脳の食欲の部分を壊す→満腹が分からない


















対人関係の欠如と食欲の関係




水島広子さんという精神科医対人関係療法という治療法を日本で普及させている。
彼女が日本で第一人者と言われている。


その対人関係療法で圧って行く問題領域の中に「対人関係の欠如」というものがある。


これは通常、うつ病や社交不安省内などで他人と関わりが亡くなっている人に用いられる領域なのであるが
摂食障害の患者さんに適応する場合には少し違った解釈をする。


それは本音を言える相手がいないという意味での対人関係の欠如なのである。

「対人関係の欠如」とは、本音を言える相手が居ない状況を指すのであり、たとえ、友達といつも一緒に居ようとも彼氏がいようとも、
自分の本音や本当の気持ちを隠しながら人の輪の中に居たとしても、それは豊かな人間関係を持っているとは言えず、「対人関係が欠如している状態」という話になる。

















対人関係の寂しさと脳の混乱



■食べるのが怖いと思うとき



人はどんなときに食べられなくなってしまったり、食べることが怖いと思ったりするのでしょう。



私達の食欲をコントロールしているのは脳の視床下部という場所です。

悲しみや不安を感じるところも脳の視床下部のすぐ近くにあります。
強いストレスに出会うと、そのことを記憶として刻み込む場所で「トラウマの座」ともいわれています。


この視床下部とトラウマの座はとても近い場所にあるため、強いストレスた大きな悲しみに出会うと、
人は食欲がなくなったり、眠れなくなってしまうのです。
ストレスによって過食してしまうのも同じです。

今あなたは、トラウマの座に刻まれた何かによって、食べることに恐怖を感じ、食べないことに執着してしまっているのかもしれません。

(悲しいダイエットは卒業しよう! 茨木くみ子 文化出版局








「心の傷」は、傷を受ける場所が大脳の視床下部の「共感を求める」場所だからなのです。
摂食障害の人に回復への治療を行うときには、このことを念頭において目標を作らなければなりません。

(「食べない心」と「吐く心」―摂食障害から立ち直る女性たち 小野瀬 健人  主婦と生活社









摂食障害は、どうみても基本的には
脳機能とくに視床下部機能の異常だよ。



摂食障害とは生理的には、視床下部の満腹中枢か空腹中枢に
一時的な異常をきたしているか、あるいはそのあたりの発達が充分でないため
比較的小さなストレスでも調節がうまく取れなくなってしまう病態が基本に違いない。

食欲中枢が弱い人は、まず自律神経も弱いからね。
睡眠障害や性的異常も起きやすい。




いくら大きなストレスがかかっても、この中枢が丈夫ならば摂食障害という形で病が現われるはずがない。
重層的な「視床下部の機能不全」といえる状態に陥ってしまうかもしれない。





摂食障害病棟 大谷純 作品社)











女性にとって他人とのつながりは命より大切




■ひととのつながりが快楽


十代の女性のストレスシステムを刺激するのは人間関係の葛藤である。


十代の男性は尊敬され、男性の序列の中で高い地位を占めることを求める。






女の子の脳の回路はエストロゲンによって組織され動かされており、
愛情深い活動や社会的保護網(ネットワーク)を作ることでストレスに対応しようとする。


人間関係の葛藤が嫌いなのだ。
女の子の脳にとって激しいストレス反応のきっかけとなるのは社会的拒絶である。




十代になるとエストロゲンが脳に放出されて、オキシトシンと女性特有の回路、とくにおしゃべり、じゃれあい、社交の回路を活性化させる。
15歳の女の子たちが連れ立ってトイレにいくのは、彼女達にとって最も重要なーー女友達ーー人間関係を固めるためなのだ。

多くの女性が女性同士のつきあいに生物学的慰めを得ており、言葉は女性同士を結びつける接着剤だ。

したがって女性のほうが脳の言語野の一部が大きいのは不思議ではない。

数は個人差があるが、平均して女の子は一日あたり男の子の2倍から3倍の言葉を喋っている。


(女は人生で三度、生まれ変わる ローアン・ブリゼンディーン 草思社








■共感が無い≒寂しい



一般に、「寂しい=孤独」という感情は「一人でいる事」と関連しているように考えられていると思います。
寂しいときに、とにかく人と話したくなる、ということもありますね。



ところが、一人でなくなると寂しさは忘れられるのか、というと、実はそうでもないことを誰もが知っているはずです。



誰かと一緒にいても、わかってくれないと思うとき。
何人かで遊んでいても、自分だけがなじんでいない感じがするとき。

そのようなときは、一人で居るよりもさらに寂しいことすらありますね。



あるいは、
「自分は必要とされていないのではないか」「自分がやっている仕事など、誰にもできるのではないか」
など、自分の存在意義を疑ってしまうときにも、寂しさを感じます。



本章では、いろいろな寂しさを見ていきますが、寂しさを感じるシーンには共通点がみられる。
それは「つながりがない」ということ。



「寂しい」というとすぐに思いつく「一人ぼっち」は、人とのつながりがない、という状況。
人と一緒にいても心が通い合わなければ、「つながれない」という意味では同じです。


自分の存在意義がないように思うときも、社会から取り残される感じがしますよね。

これも社会との「つながりがない」という感覚です。

生まれてこなければよかった、と寂しく思うときは、世界との「つながりがない」とき。


こうやって、寂しさというのは、何らかの意味で、「つながりながない」ことを示す感情、と考えてみると、
寂しさから脱するための鍵は、「つながり」ということになります。



「つながり」が寂しさから脱するための鍵、と言われると、「そんなのは当たり前だ、だから一人だと寂しいのだ」と思うでしょう。



しかし、ここでお話ししていく「つながり」は、他人との目に見えるつながりの事だけを言っているのではありません。
独りぼっちのときにも感じられる「つながり」のことなのです。


それは、自分自身とのつながり。


自分自身とのつながりとは何か、というと「ありのままの自分」を受け入れる、という意味です。

自分のどこかを否定したり、どこかを取り繕ったりすることなく、あるいは自分自身に評価を下したりすることなく、
ありのままの自分と居られることが、「自分自身とのつながり」ということになります。


人と一緒にいて心からの「つながり」を感じるのは、ありのままの自分を受け入れてもらえるときです。

このときには、もちろん相手ともつながっているのですが、ありのままの自分ともつながっています。


ところが、同じように人と一緒にいても、話せば話すほど「わかってもらえない」と寂しさが増すこともあります。
そのようなときは、ありのままの自分を受け入れてもらっているときです。
あるいは、自分自身が「いい人」を演じてしまって、本心を隠してしまう、ということもあります。



こんなときには、評判はよくなるかもしれませんし、表面的な「つながり」はできるかもしれませんが、心の中には満たされない寂しさが積もったりするもの。


寂しさを人との関係で解消しようとするのであれば、自分のありのままを受け入れてくれる人と共に過ごすのが良いでしょう。
(なんだか毎日しんどいと思ったら 水島広子






















対人関係=ありのままを受け止めてくれる人たち



■否定感情への対応


彼女たちは否定的感情が喚起するとその瞬間に衝動的に食べ物に向かう。


これは彼女たちの否定的感情に対する耐性の低さ、あるいは、そのような感情を表出する術が身についていないがために
鬱積した否定的感情を過食によって解消しようとする、いわば「置き換え」と考えられる。



さらに悪いことに
否定的感情を率直に表出することも出来ず、すぐさま過食と言う行為に置き換えるのだが
キレイに発散できるわけではなく、今度は、食べてしまったことからくる肥満恐怖、不安、罪悪感、自己嫌悪感などの否定的感情に苛まれ、
過食とそれに伴う否定的感情を帳消しするため非構造的ダイエットや浄化にむかうことになるのである。 


(社会病理としての摂食障害 牧野有可里 風間書房










■人に気持ちを話せなくなる理由


摂食障害の方は
コミュニケーションが下手で、
相手に気持ちを伝えて解決していくことが苦手です。


そのため、知らぬ間に、抱えきれないほどのストレスを抱え込んでいることが多いのです。







その理由は主に3つある。


第一は
自分の気持ちが他人からどう思われるかと言う不安。
嫌われるのではないか、だめな人間だと思われるのではないか、などと考える
なかなか自分の気持ちを打ち明けにくいものです。




第二は
自分の気持ちを話すことによって起こるトラブルを恐れる気持ち。
「いい人」でいようとする摂食障害の人は
”他人からどう思われるか”という不安を持っているのと同時に
人間関係での対立が怖い、
ということもあります。



人と意見を闘わせることによって問題を乗り越えたり
深い関係をつくったりした経験がないので「意見の対立=関係の崩壊」と考えてしまうのです。


自分の意見を言うことが生産的な意味を持つというイメージがうまくわきません。身近な人からそのようなプラス例を学んだことがないという人が殆どです。



たとえば父親が決めたことは誰かがおかしいと思っても
反論が許されなかった、というような家庭環境もありますし、
両親のどちらかが何かを言うと必ずひどいケンカになり、
人格攻撃へとつながって
何もプラスの結果をうまなかった、などというケースもあります。






第三には
自分の気持ちを打ち明けることで人との距離が近くなることが怖い、
というものもあります、



人との距離が近くなって「本当の自分」を知られてしまうと
嫌われるのではないか、というのは第一の不安に近いものです。



また、摂食障害になる人は基本的に「ノー」といえないタイプなので
人に振り回されやすいという特徴があります。




人との距離が近くなることの不安は
相手のペースに振りまわれるのではないかということも
含まれます。



自分が不安にならないペースと範囲で親しくなれば良いのですが「ノー」といえないと相手のペースで相手の好きなところまで踏み込まれてしまうということになります。これは確かに怖いことです。






人にただ気持ちを聞いてもらうことで
状況は何も変わらなくても、心が元気になれる




















女性脳の満足と寂しさとは






■人間の本質は前頭葉にある



過食嘔吐をする人は胃が食べたくて食べるのではなく
心の虚しさを生めるために口を満たし、その後、太るのが嫌ではいてしまうのです。



生理の前に過食になるのは
脳のセロトニンというホルモン状態に変化が起こり、
精神的にイライラするからだと言われてます。



ダイエットでしばしばいわれるように
食欲の中枢は脳の満腹中枢と摂食中枢。



確かに脳の視床下部にある満腹中枢、摂食中枢は、食欲の中枢です。


しかし、いくらゆっくり食べたり、こんにゃくで胃を満たしても
何か物足りない、というのは、食欲中枢よりさらに高度な食欲の
総合指令中枢である「大脳皮質前頭葉」が満足していないのです。

胃が、もうおなかいっぱいでも、何か不満足、
というのは、大脳皮質前頭葉が満たされていないのです。

こんにゃくなんて飽きちゃったわ、と前頭葉が感じていれば
何か物足りなくなるのです。

これが「ストレス食い」の原因となるのです。


前頭葉が発達した生物ほど、たんに「胃がいっぱいになる」だけでは
満たされないといえるので、こんにゃくやダイエットフードだけ食べてダイエットできると言う人は
いってみれば、前頭葉があまり機能していない人かもしれません。



ダイエット食品でダイエットしても、リバウンドしてしまうのというのは、
きわめて人間的な前頭葉の証明なのでしょう。



それなり、どうやって前頭葉を満足させるか。
それは、心から美味しい、と思うものを幸せな気分で食べることでしょう。

(「カラダにいい」習慣でココロもすっきり! 海原純子 青春出版社




















摂食障害者の9割は女性です。
なぜ、女性の食欲中枢はそんなに容易く壊れてしまうのでしょう。


「お腹がすいた」という表現から、食欲は胃がコントロールしていると
誤解されやすいのですが
食欲は脳でコントロールされているのです。



その証拠に、例えば、胃がんのため、胃を完全に切除しても食欲は衰えません。






食欲は、視床下部の内側にあってお腹いっぱい感をもたらす満腹中枢、
視床下部の外側にあって空腹感をもたらす摂食中枢、それから
大脳辺縁系の中の食欲中枢によってコントロールされている。



摂食中枢や食欲中枢が興奮し
「おなかが空いた」というシグナルが大脳辺縁系の上部を通って
前頭葉に伝わると
「どんなものを食べようか」とアレコレ思い浮かべることになるわけです。


でも、いくらお腹が空いていたとしても、巨大なストレスによって大脳辺縁系が抑制されペチャンコになっていれば、「お腹が空いた」という情報は前頭葉に届くことがありません。





摂食障害は、過度のストレス、ダイエットをコントロールしようとする

過剰な意思、エストロゲン三者が、前頭葉や大膨辺縁系
ふりかかった結果、食欲を発生させるしくみ自体が不調に陥ることで
発生すると理解できるのです。


(女と男はなぜ引き寄せあうのか?生田哲 講談社















■感情的(代償的)な摂食行動→女脳


感情、特に不満な心の状態が、空腹感のともなわない食欲に転化して
摂食行動が起きることがあります。
これは、女脳の特異的な構造の特性です。





女性ダイエッターのうち
「イライラや不満があるとき、甘いものが欲しくなる」と答えた人は
約70%でした。



空腹ではないのに、なぜ女性は甘いものを求めるのでしょうか。
「イライラして食べたくなったら、サンマ(タンパク質)を焼いて食べたら?」といっても誰も実行しません。



一体、なぜでしょう。




この「イライラ、不満など」の感情による摂食行動は
情動脳である大脳辺縁系からの指令です。
この大脳辺縁系は男脳より女脳のほうが大きく強靭です。




「感情で食べる=甘味欲求=ブドウ糖の原料の欲求」の摂食行動が
過食と成り、女性の肥満の原因になっている場合が多くあります。


それは、脂肪の原料になる甘い食べ物が精神安定剤や代償的な役割を果たしているからです。

なぜ、女脳は感情で食べるときにタンパク質や脂質、そしてビタミンやミネラルではなくブドウ糖の原料である糖質を求めるのでしょうか。




その原因は女脳の構造と機能にあると考えています。




女脳には、個体維持本能(母体維持行動=甘味・ブドウ糖補給=食欲)と種保存本能(生殖行動=エストロゲン=性欲)を
同時並行的に実現させるシステムが、視床下部の「腹内側核」に備わっています。



空腹感の信号を発するのは視床下部の外側核で摂食中枢神経と呼ばれています。

この空腹感と満腹感の信号を発する機能は男脳も女脳も同じです。


ところが、女脳の腹内側核は男脳とは異なった構造となっています。


それは女脳の腹内側核には、満腹中枢のほかに性欲中枢が備わっていることです。そして、腹内側核の神経回路から軸索が2本延びており、
1本はエストロゲンに反応、もう一本はエストロゲンに反応しないでブドウ糖(食欲)に反応する神経に結びついています。




この二つの反応のキーワードは「満足感」です。



このように女脳の腹内側核は、ブドウ糖を受容して満腹感を感じる満腹中枢と性欲ホルモンの
エストロゲンを受容して満足感を感じる性欲中枢が同じ核内で近接しており、
表裏一体の関係が成り立っています。

この女脳の「生存欲と繁殖欲」が一体となっている生物学的システムによって
「ヒト種」は滅びることなく繁殖しているのです。




俗な表現をしますと、女性の性欲ホルモン(エストロゲン)が満たされない場合はサンマなどのタンパク質などではなく、
ブドウ糖(甘い食べ物)で代償的に満足させるシステムになっていると考えられます。



男脳には備わっていない女脳の生物学的な特性は
太古から普遍のシステムです。

(やせるヒントは脳にある 瀬野文宏 西日本新聞社























つながりを感じられるときはお腹が減らない。その逆は…







 さて、恋におちるとドーパミンノルアドレナリンなどの物質が分泌され、A-10神経が興奮し、脳の視床下部にある性中枢を興奮させます。これが発情した状態といえます。恋のロマンスをぶち壊すような話ですが、これは動物の生理現象ですからどうしようもありません。

 視床下部の性中枢のすぐとなりには食欲を制御する満腹中枢なるものがあり、とくに女性はこの2つの中枢の距離が男性よりも短くできています。おかげで性的にときめいたときにはすぐとなりの満腹中枢も興奮するため、ご飯を食べなくても満腹感が起こり、空腹感が消えてしまうのです。

 それが証拠にお腹がいくらすいていても、セックスの最中にお腹がすくことはありませんね。また、たとえばあなたが憧れているアイドルタレントと食事の約束をしたとして、そのアイドルの前でばくばく食事をとることができると思いますか? おそらくたいていの方はいくらお腹がすいていたとしても、そのアイドルを目の前にすれば、一挙に空腹感が消え去るはずです。

http://diet.goo.ne.jp/rensai/love/019.html










セックスと言うコミュニケーションが満腹を満たすならコミュニケーションが無いと空腹感


女性は性中枢に隣接する「腹内側核」という場所が性欲に大きく関与している。

ちなみにこの腹内側核は満腹中枢のことであり
女に食欲と性欲がリンクしやすく満腹時に性欲を高めやすい傾向がある。


女脳は「共感脳」。
相手と自分がどういう位置関係にあるかを確認せずにはいられない脳だ。

それに、女は恋愛やセックスのプロセスにおいて
その男が本当に安心して身を任せられるのかどうかを判断しなければならない。

そうした自分の人生を左右するかもしれない場面に際し、
たくさんの言葉を駆使して何度も
「確認作業」を重ねるのは、ある意味当然だろう。


女性にとっては、
心のつながりを確認するためにセックスがあると考えたほうがいい。



セックスはコミュニケーションの一部のようなもの。


恋愛もセックスも会話がなくては始まらない。
会話がなければ愛は深まらないし
セックスだって満足できないのだ。




女性にも、まれに”何人もの男を欲しがるタイプ”がいるということだ。



女性が”したくなる”のは、エストロゲンという女性ホルモンの分泌によるものだ。

このタイプの女性はエストロゲンの分泌量が多いのかもしれない。

エストロゲンは、血管を広げて血流をよくしたり
皮下脂肪を増やして女性らしい身体作りをサポートする働きがある。




女性にとって、食べることも性の営みも「相手と一つになる行為」なのであって、二つを切り離すことは出来ない。
(男はなぜ急に女にフラられるのか? 姫野友美 角川書店














■過食、拒食が消えるとき




過食、拒食をやっている人がうまく何かのきっかけで恋人ができて
肉体関係が成立したりすると、それが止まる可能性は高い?



それは高いですね。
ただしセックスとか、挿入とかの問題ではないのです。
包み込まれるというか、その人のことをいつも考えている。
すると、自分と食べ物との間の堅密な関係が壊れてしまうわけです。



それが父性愛の強いタイプの女性だったりしたら
たちどころに治ると思うんですよね。



やっぱり、ぬくもるというのは、人との関係の中でだと思うから。




でも、結婚してもずっと続いている人がいるわけでしょう。
ああいうのはどうなんでしょう。




彼女たちは制度としての結婚をしているのではないでしょうか。
温もった時もあるかもしれませんが
今は少なくともそうではないということではないですか。



そういうことなんでしょうね。

今、自分は快楽しているのかしていないのか、
ぬくもっているのかぬくもっていないのかを
まず、きちっと身体感覚として認知する。
その能力が問われているわけでしょう。


今は何でもかんでも「お腹がすいている」で表現していますが
あれをもっと分化させて
「そうじゃない、寂しいんだ」と。



とくに異性との関係で寂しい、あるいは異性は嫌いで同姓との関係が
寂しいのかもしれない。そのことを認知して、次に行動し表現する。


もし寄りかかれるもの、保護してくれるものが見つからない場合には
それが一生続くことになる。





(あかるく拒食ゲンキに過食 斉藤学 伊藤比呂美 平凡社
















※いつか頭がフル回転できるようになったらちゃんとした文章に(する予定)。

ジェンダープレッシャーとしての摂食障害〜なぜ摂食障害は女性に多かったのか②〜



◎結論

女性には「痩せろ」という社会的なプレッシャーがある。
人間の生物としての恒常性に背いてまで社会が求める痩身にあわせるように生きている。


ダイエットによって恒常性が強烈に混乱させられて、食欲や正常な体型の自己認識ができなくなり摂食障害になる。


心の病(幼少期の環境が…)としての側面だけでなく社会からのプレッシャーによって身体を非人間的な方法で痩せさせようとしたことでも摂食障害は発症するのであって、それは現代の先進国なら誰にでも起こりうることなのではないか。













○総論


女性は痩せていると言う社会からのプレッシャー→


それにあわせた食生活運動をする→


食べ物を食べないといつかは限界が来る→



身体が飢餓状態になり脳も混乱→


満腹感が崩壊したり、認識能力が落ち痩せの基準が不健康な身体になってしまう。



社会学論的に考えると、幼い頃の環境とか自己肯定感が低い人とか、
従来の心理学的に摂食障害傾向にある性格や生育環境に合致しない人でも、摂食障害に罹患することがわかる。














ジェンダーとして女性に求められるもの




ジェンダーによる違い


どう考えても、容姿は男性よりも女性にとって重要である。


女性の自己評価は身体的魅力に結びついており、
女性の魅力は性的関係においてはさらに重大な問題となる。


体重過多の女性は同種の男性よりも厳しい評価を受け、
収入の面でより大きな代償を払う。

肥満女性は普通体重の女性よりも結婚の可能性が20%低い。

このような現状を見ると、
人が外見にこだわるのも無理のないことと思われる。

ある代表的な調査によれば、
女性の4分の3は自己イメージに影響を与える第一の要因は容姿だと応えている。

また、3分の1の女性が、容姿は仕事ぶりや知性より重要だ、実に重要な属性だと考えている。

人生のさまざまな面で最大の不満として挙げられたのは、
経済的成功を除けば、自分の容姿であった。

ヘアスタイルが崩れたと言うだけで、
自尊心を挫かれることもあるのだ。





思春期の子供の自尊心は容姿に左右されることが多い。

12歳ともなると女の子は、魅力的であることは
能力よりも重要だと考えるようになる。

自分の外見にしょっちゅう不満を抱き、不安を覚え、
恥ずかしいと思い、摂食障害などの機能障害に陥る子供も多い。

(キレイならいいのか デボラLロード 亜紀書房










■やせたがりが女性に多い理由

男性の場合、外見が美しくなくても有能であれば
「あの人は見た目はいまいちだけど仕事ができる」とポジティブな印象。
いくらイケメンでも「格好ばかりではからっぽ」というネガティブな評価。

実際に普段はファッショナブルな男子学生が
就職面接の時にはわざとファッションセンスがなさそうな姿に「変装」する、などという話も耳にします。



「ファッションにかまけている」と見られることで
能力を疑われるのが嫌なのでしょう。



一方、女性の場合には
いくら有能であっても外見が美しくないと
「仕事はできるけど…外見がね…」という評価になることが多い。
また、外見が美しくて能力が低い場合は「それでもきれいだから許せる」
というプラス寄りの評価になるものです。





また、男性の場合、外見の評価も多用だと思います。


比較的高く評価されるのは鍛えられた身体だということでしょう。
つまり、脂肪質でなければ、マッチョ系から細身まで、
広く「かっこよいスタイル」として受け入れられている。




一方、女性は仕事がどれだけできても、
常に「美しいかどうか?」という評価が付いてまわる。


もちろん、プロフェッショナルな職場で外見の評価が仕事の邪魔になることは殆どありませんが、それでも常に「女性としての魅力は美しさ」で決まる。

なぜ、女性は外見がこれほど重視されるのでしょうか。




まず考えられるのは、女性の「従属する性」としての歴史です。




■「選ばれる性」は外見にとらわれる



自分が選ばれるかどうか?という場合に外見は重要です。
美しければ、目を留めてもらえる可能性が高まりますし、
選ばれる際に有利になります。
歴史的に、男性にも「美しい女性と結婚できること=男性としての力がある」という
価値観があって、パートナーとしてよりも「装飾品」のように
外見の美しい女性を選ぶ傾向にあります。

このような選ばれる性としての歴史が
女性の外見偏重とは無関係だと言えません。








男性中心の社会では男性は自分自身が社会的地位を持っていますが
女性は「どの男性と関わるか」にとって社会的に位置づけられてきました。

より簡単に言えば、結婚相手によって女性の地位が決まってきたということです。


夫の肩書きがそのまま自分の地位を決めます。
それは「夫人」という呼称にも現れています。

つまり、女性の社会生活を考えてみると
社会の中で何ができるか、ということよりも
「どの男性に選ばれるか」が重要だった。

(ダイエット依存症 水島広子 講談社





















自信を与えてくれるものの男女差









社会的プレッシャーとして女性は外見が求められる。(愛嬌を外見とするかは微妙だが)



イケメン、美女が求められるのは当然なんだけど、ぶっちゃけ、男は外見のマズさを補える要素を持っている。
ブチャイクなIT社長が美女を連れて歩いているのなんて、まさにそう。

男は社会的な地位とか金があれば、外見を補って有り余る。


しかしながら、女性は悲しいけれど、外見を補う要素などと言うものはない。

むしろ外見の伴わない秀才は「頭はいいけど、容姿がねぇ…」という評価を強化するかもしれない。

女性の社会的な資源というのは外見なんだよね。
だから、バカで頭の悪い同級生がブサイクな男を掴まえてさっさと結婚して子どもを持って家庭を作っている姿を見て「私の努力って一体…」って泣きを見た高学歴独女がどれだけいることか。








男が男にとっての社会的な資源、つまりお金を稼げなくなってきた頃とほぼ同時に男性伸び用品の売り上げが上がっている。




モーレツサラリーマンの男性と専業主婦のモデルが崩壊して男性にも派遣社員が広がるのと当時くらいの時期に男性の化粧品とかスキンケア商品の売り上げが伸びているはず。
これは、社会的な資本を外面で補おうとしていると思われる。



一方、女性は男性からの(少なくとも女としての)評価は社会的な地位では上下しない。むしろ男性より偉くなると仇になる。
結婚するならお金を稼ぐ女性として素価値を認めてもらえるかもしれないが、それはお金に価値があるだけであって女としての価値は上がらないかもしれない。




男性がお金を稼ぐと言う能力で認められる機会が減少したのであれば、外見で認めてもらおうという風潮が高まるのは自然なことだろう。
おそらく、外面を気にして化粧水なんかを付け出す男性が増えるのは摂食障害は女性だけのものではない時代の到来を予感させる。



ただ、一方で、女性の給与水準が上がろうとも、容姿へのこだわりはお金の獲得では補われないだろう。
















■成功感と達成感


・痩せている時は活き活きしている反面、人を見下したような少し嫌な人間になる。

・私はブスで学歴も無いのでせめて痩せることで人の優位にたちたい






「痩せること」「痩せていること」は自尊感情に直結している。
社会・文化や他者の中で自己を位置づけるために有効、かつ、確実な手段。
さらには、自己価値観を取り戻すために用いられている。



摂食の異常をはじめとする様々な症状それ自体が患者なりのアイデンティティの形成。





ストレス状況に直面したときに痩身に向けて努力することでアイデンティティの確保を目指す。
摂食障害アイデンティティを獲得する確実な方法として痩身を選択することなのだ。
痩せるということがそれだけで価値があるということ、すなわち「痩せている」ことが存在価値に繋がるほど
現代の社会は女性の身体的外見(痩身)に価値を置いているからであれう。

(社会病理としての摂食障害 牧野有可里 風間書房



















心理学の側面だけで摂食障害は語れるか





摂食障害とダイエット依存症の境目




無謀な食事パターンと、臨床的に定義される摂食障害との間には大きな違いがある。


私の調査に参加してくれた大学生たちは、拒食症と過食症に伴う多くの行動上の症状を見せていた。
痩せようという文化的命令に従うために、
彼女たちはカロリー制限をしたり、長期にわたってダイエットをし、大食と嘔吐を繰り返し、利尿剤や下剤などに頼っていた。

なかには体重をコントロールするために極端なエクササイズを行い、
「生きている」という感じを得るために、厳しい運動スケジュールに過度に依存するようになっていった。

しかし彼女たちは、普通、摂食障害に伴う心理的な特徴、たとえば
成熟への恐怖、対人関係不信、完全主義といった症状の全てを示しているわけではなかった。
彼女たちの行動は、拒食症や過食症と似ていたが、
それに伴う様々な心理学的な問題を抱えているわけではなかった。


このようなパターンを「準臨床型摂食障害」あるいは「体重への執着」などと呼んでいる研究者もいる。





私はこれを”文化的に引き起こされた”摂食行動と呼んでいるが、つまりは
摂食以外の点では心理的に「正常な」女性たちに見られる摂食障害のパターンである。

無謀な摂食と食べ物への強迫的なこだわりは、
体重と身体イメージの問題に対処するために広く受け入れられている方法なのである。


それは、スリム教の信者である女性たちにとっては、規範的行動なのである。


しかし、このような戦略は予期せぬ結果をもたらすことがある。


厳しい食物制限は長い間にはコントロールのきかない大食いの引き金となるかもしれない。
ダイエットをしている人は、大食いをすると、
次には吐きださなければならないと感じる。
ダイエットによって、身体の自然な代謝作用をいじってしまった女性たちは、
前よりも少ないカロリーで体重が増えることに気づくかもしれない。

過度なエクササイズは怪我や心身疲労、あるいは月経停止をもらしうる。

これらすべてによって、ますます体重のことが頭から離れなくなり、
ますます身体イメージを過剰に気にするようになる。
こういう行動は、うつや、心身症を伴った長期にわたる摂食障害につながることがある。



痩せたことのご褒美は
社会的に受け入れられること、
つまり、「新しい姿、新しいあなた」になることであり、
「今までよりも細くスッキリした自分」に、今までより良い気分いなれることである。

しかし、自尊心をあまりにも密接に体重と肉体的な容貌と結びつけているので、
この態度はまた、
心理的ダメージの大きい体重増加と自己嫌悪の悪循環に入り込んでしまう下地ともなりかねない。




文化の規定する身体モデルを信じている女性たちは、
摂食障害症を進行させる危険性が高い。

もしも、女子大学生たちの間に広がっている、
ほとんど流行とも言える現在の摂食障害の増加を説明するのに、
伝統的な心理学のみに頼るなら、
そのような症状を生み出す基盤になっている心理的、情緒的な特徴が増加しているだろうと予想しなければならない。







この本では摂食障害を医学的、精神的な病気として扱うのではなく
スリムな体を過度に理想化し、それを実現しようとする価値観によってもたらされたものと
考えています。
この考え方は社会科学系の専門家の間では以前から知られていた。



(誰が摂食障害を作るのか 女性の身体イメージとからだビジネス シャーリン・ヘス=バイバー著 宇田川拓雄 新曜社















■脳の混乱を「心の病」と銘打たれて路頭に迷われる…



異常な食べたい衝動。

本当になんかに取り付かれたようで、自分ではない何かが自分の中にいるようでした。



過食衝動は何か自分の考え方が悪いのだ(意思が弱くて抑えられないのだ)と
思っていましたが、今考えてみると、あれは意志の力でどうにか出来るものではありませんでした。


本来食欲は意思の力で支配するものではありませんよね。


それをたまたま意思の力で抑えられていた時期(拒食)があると、
その後に無理やり抑えられていた食欲中枢神経が逆方向に暴走してしまい、
意思に反して(それどころか実際、身体に必要な分以上に)食欲の止まらなくなってしまう時期が
やってきてしまうのではないか。
それは意思が弱いからではなく、当然やってくるものなのではないかと思います。









■痩せたい気持ちはどこから来るのか


痩せたいことに深い意味は無い。
ダイエットは、特に若い女子の間では特別なことではない。
それは現代に限ったことではない。

年齢や性別、生活環境を問わず、
現代社会にはダイエットを始めるきっかけはあふれかえっている。だから時に
気軽に、深い意味も無く、ダイエットが始められたりする





回復者たちからは
ダイエットをする前から強烈な痩せ願望があったということは語られなかった。
それでは、摂食障害という状態に至るまでのどの段階で
人々は過度な痩せ願望にとらわれていくのだろうか




■ダイエット行動の悪循環


ずっと減り続けると思ってるからでしょう。
それが思い通りに行かなくて、自分がだめだと思っちゃう。
自分の努力が足りないからまだ減らせないんだ、みたいな。
心がけが悪いから。心がけって言うと変だけど…。
全部自分の精神力でコントロールできると思ってたから、
減らすんだったらがんがん減らせると思ってたから。
それでも増えちゃうってのはなんか努力が足りないんだって思って。
体重イコール自分の精神力、みたいな。




体重は自分の精神力でコントロールできるものだと思っていた。
だから、思い通りに痩せられない場合に
自分がだめだ、という自責感が生まれる。

過食や嘔吐をしている時期は
自分に対して「自信がない、最低、意志が弱い」などの状態が現れる。




それはどういうことを示すのか。


ダイエットが成功している期間は
体重は意志の力でコントロールできる対象であった。
けれども、思い通りに食欲をコントロールできるのは一時だけで、
次第に痩せにくくなり、過食衝動に教われるようにもなる
しかし、相変わらず、体重は意志の力でコントロールできるものだと思い続ける。
その結果として、痩せられないことや過食衝動は
体の自然な反応としてではなく、
自分の意志の弱さとして受け止められていく。

ダイエットをしては過食をしてしまう日々とは
いわば挫折しつづける日々であり、
過食のたびに自責感を募らせ続ければ
「自信が無い、最低、意志が弱い」と自己否定的になっていくことは想像できる。




過食と嘔吐ばかりしている自分はだめだと思うからこそ
なおさら痩せたい気持ちが強まっていく。
けれども、自分はだめだという思いは
まさにやせようとするところから生まれているのだ。

こうして「自分はだめ」だという思いは、
一巡して、痩せ願望やコントロール志向のさらなる強化へと循環的につながっていく。


過食症者が持つ自信のなさや自分はだめだという思いは、
身体の変化(ダイエット初期の痩せやすい身体から、痩せにくい身体への変化)に、
認識(身体は意思の力でコントロールできるという考え)が対応していないことから
生まれていると考えることができそうだ
そして、一回成功した体験があるから
本当に頑張ればなんとかなるんじゃないかと、
次の成功を目指して痩せた体に戻るための朝鮮が続けられていく。
こうして、嘔吐や絶食や大えとは続けられていく。
それに伴い、過食もまた続いていくのだ。



摂食障害になる前の生活暦がどのようなものであれ、
ダイエットが成功して体重をコントロール可能なものと思い込み、
同時に、痩せていない自分を否定するようになれば、
過食する自分、痩せていない自分への否定状態が続き、
結果的には低い自尊心/自己評価が産出されることになる。
そしてそれはダイエット行動を長期化させていく契機もはらんでいる。



摂食障害の特徴とされてきた
「強い痩せ願望、自己コントロール欲求」と同様に
「低い自己評価」はダイエット行動を継続するか過程で次第に強められていくことを指摘してきた。


自尊氏が低いことは、確かに摂食障害の重要な危険因子には間違いない。
しかし、自己価値観の低い人の大半は摂食障害に陥ったことが無いし
今後も陥ることは無い。
もっとも、少なくとも発症時点では摂食障害患者の自己価値観は低くなっていて、
自尊心の低さが病因に関連しているのは間違いなさそうだが、発症に関連しているのか、
病気の遷延化に関与しているのかはハッキリしない。






摂食障害の語り 〈回復〉の臨床社会学 中村英代 新曜社












































ダイエット願望すら両親のせいにしていた。
しかし、責任転嫁も甚だしい。
周りを見渡せば、何に付けても「痩せろ痩せろ」という風潮が蔓延している。



ダイエット願望の原因は明らかだ。
摂食障害になったのはある意味で社会の被害者であるとも言える。



しかしながら「社会の問題」として捉えることで注意したいのは
「私は何も悪くないのに、世の中の風潮のせいで病気になってしまった」と発症者が思うのは
危険だと思っている。世の中がどうであるか、ということと、
自分の今の症状を治すこととは、話が別なんだよ






摂食障害の語り 〈回復〉の臨床社会学 中村英代 新曜社

【書籍紹介】摂食障害の発症意義を理解するために

摂食障害発現の意味を理解するために

ネットで摂食障害を検索すると、
摂食障害という病気の病状説明」「あるいは原因」「なりやすい性格」などはヒットするが、具体的に抱えてしまった病状とどう向き合うのかということはあまり書かれていない。


あるいは、摂食障害関連の本には「それができたら苦労しないよ。出来ないから困ってるし病気なんだよ」と思ってしまう正論ばかりが書かれている書籍も沢山あって、げんなりする。


または、「家族との関係が…」「愛情不足です」「規則正しく生活しましょう」などなど、「たしかにそういうこともあるでしょう。じゃあ、それを克服するためにどうすればいいの?」という具体的に取り組むと良い方策も、なかなか書かれていない。




しかし、そんな中、このエントリでは
具体的な改善策が盛り込んである書籍を厳選してみました。



原因を見つけ出して「私の分析力、すごいだろ!」みたいな著者の自己満足のためじゃなく実際に治療に役立つことが豊富に書かれているんじゃないかな?と思っています。




















※私は薬で摂食障害が治るとは思っていません。
SSRIとか食欲増進剤とかは補助程度であって、「医者に摂食障害は治せない」というのが大前提に合ってこれらの書籍を選びました。
(漢方薬は肯定的)




















■導入編

焦らなくてもいい!拒食症・過食症の正しい治し方と知識

焦らなくてもいい!拒食症・過食症の正しい治し方と知識


拒食、過食、過食嘔吐が邪魔な存在ではない理由が書かれている。
味方とまでは言わないものの拒食過食嘔吐は憎むべき存在として扱わない方が生産的な付き合い方が出来るのだと私は納得させられた。

A4サイズで読みやすい。



■主に過食・過食嘔吐

拒食症・過食症を対人関係療法で治す

拒食症・過食症を対人関係療法で治す

拒食症の事も書かれているがメインは過食(嘔吐)。
過食と対人関係(≒コミュニケーション)の関連性が書かれている。

コミュニケーション分析の部分だけでも読む価値あり。
「重要な他者とのコミュニケーションがうまくいかない」ことが過食の増悪につながっていることを理解でき、実践に繋げることのできる一冊。








母と子で克服できる摂食障害――過食症・拒食症からの解放

母と子で克服できる摂食障害――過食症・拒食症からの解放

こちらも、過食症がメイン。
家族(主に母親)とのコミュニケーションの不一致が過食の増悪にどう影響しているのかが具体的な症例の経過として描かれている。

拒食症の患者とその両親と主治医で開かれるランチミーティングで、健常者と拒食症者の「食べること」の捉え方の描写は勉強になる。











■主に拒食


6章くらいに別れていて、拒食症の症例は2章分だけ。
だけど、「食べないと死にそうな体重なのに食べてくれない」と心配でたまらない両親には大いにヒントになる内容になっている。

ただ、中高生の娘さんの話なので、成人の娘さんのケースには適応できないかもしれない。




「食べない心」と「吐く心」―摂食障害から立ち直る女性たち

「食べない心」と「吐く心」―摂食障害から立ち直る女性たち


「心の傷」と摂食障害との関連性が中心題材。
「痩せること」によって母親に認めてもらいたい、あるいは「痩せる」という非言語コミュニケーションを採用するようになった経緯などが実体験として描かれている。






■痩せることへの執着



体型という見た目。いい人という見た目。
なぜ、「外面での評価だけで自分の全てが決まってしまうと考えてしまうのか」ということが「自分の問題」「相手の問題」という視点で書かれている。

「外見が気になる人はリアルな人間関係が乏しい」という部分は衝撃w










ダイエット依存症 (こころライブラリー)

ダイエット依存症 (こころライブラリー)

体型を保つ事で「コントロール感覚」を得ようとしている、というのが主題。
なぜ、「体型体重を強烈に気にせずにはいられないのか」という問いを「コントロール感覚」という言葉に集約して語ってくれている。








過食嘔吐・拒食の身体への負担の理解

最新版 拒食症・過食症の治し方がわかる本 (こころの健康シリーズ)

最新版 拒食症・過食症の治し方がわかる本 (こころの健康シリーズ)

 

2冊とも、摂食障害の身体面へのケア、そして、日常生活の中で家族として過食や拒食をする子どもにどういう対応をすればいいのかが書かれている。


生理や齲蝕(虫歯)の話も書かれています。







■食事からのアプローチ

なぜあなたは食べすぎてしまうのか―低血糖症という病

なぜあなたは食べすぎてしまうのか―低血糖症という病


過食を「血糖値の乱れ」という視点で書かれている。
脳の仕組みや栄養学の見地から、過食が起きる仕組みを解説してくれている。

「過食するのは、決まってジャンクフードですよね?」とは、まったくその通りで、ジャンクフードは過食を招くらしいですw


過食症からの脱出―自分で治す実践ガイド

過食症からの脱出―自分で治す実践ガイド

心理面には触れつつも、メインは食事療法。
正しい食事を6ヶ月続けることで過食衝動をなくしていける方法が具体的に提示されている。







リストカットも持っている人へ

自傷

自傷

“消えたい”症候群―リストカットとオーバードーズ 生への処方箋を考える

“消えたい”症候群―リストカットとオーバードーズ 生への処方箋を考える


自分と登場人物に共通点と共感を覚えるかもしれない。
同じ苦しみと同じ育ってきた環境を見出すことが出来るかもしれない。

共感を得たいときには助けになる。






■克服した人たちが心がけたこと


摂食障害の語り―「回復」の臨床社会学

摂食障害の語り―「回復」の臨床社会学



社会学の見地から、摂食障害を卒業した人たちにインタビューをして”回復方法”を聞き出している。

ちょっと学問的な要素が前半は多いが、後半からは実際に克服した人たちの”回復の経緯”みたいなものが書いてあって希望をもらえる。






■家族病理

依存症の真相―アダルトチルドレンとADHDの二重奏

依存症の真相―アダルトチルドレンとADHDの二重奏

「やめられない心」依存症の正体

「やめられない心」依存症の正体


主に幼少期に起因する虚しさを埋めるための手段として依存症を利用しているんだ、ということが書かれている。
(痩せることへの依存、食べることへの依存、と考えると摂食障害も依存の一種として考えられる)

依存物(ここでは摂食障害)を手放すためには、人間関係の充実が必須という考え方は共通している。