拒食と言うコミュニケートを取りこぼさない!!




◇はじめに











私たちは言葉を持っているが全てを言葉で伝えようとするわけではないし
伝えられるわけではない


誰かを愛しているからと言って
伝える方法は「愛してる」と言葉にして伝えるだけではない。
腕を組んだり抱きしめたりキスをしたり…人間は言葉を持っているが言葉以外にも行動によってもメッセージを伝えようとする。



いわゆる、
非言語コミュニケーションと呼ばれる
「コミュニケーション法」である。















このことを
少し強引だが拒食症に当てはめて考えてみる。



痩せようというのはあくまで手段。
なので痩せた身体は手に入るかもしれないが
スリムになってもそんなに嬉しくない。
それに、どれだけスリムになろうとも
本当の目的が達成されない限りは
痩せるという手段をやめることはないでしょう。














◇食欲は身体の状態のバロメーターだから










■拒食症=自殺行動?






食べる事は生きること。
食べ物からエネルギーをもらう事でしか
人間は生きることが出来ない。


だとすると、食べることを拒否するのは
自分の生を拒否しているのかもしれない

あるいは何らかの理由を抱えており、明日を生きていくことがあまりにツラい状況にあるのかもしれない。





食べることを拒否する疾患=拒食症。
健康を著しく損なうレベルでの生きるエネルギー獲得を拒絶する拒食症とは、人生の危機や生きづらさが積み重なった結果なのかもしれない。


















■なぜ自分を大切に出来ないのか





自分は愛されるべき存在なんだと自分で思えるには
幼少期に愛を与えてもらう経験が必要。
エリクソンという児童精神科医はベースドトラスト(基本的信頼感)と呼んでいた。


基本的信頼感が心の土台に根付かなかった場合、
生涯にわたり
他者との絆を結ぶことの難易度が上昇
してしまう、。
そして、基本的信頼感の欠如は自己肯定感の恒常的な低さを招く。





自己肯定感が低いと
自分を大切にできない人がいる。
自分が大切に扱われるべきでないと思う。


そうなると、自分を大切にするなどと言うのは想像が付かない行為になって時には自分がボロボロに成りながらも他者を助けようとしてしまう。
自分に大事にされる価値がないと分かっているからボロボロになるのは構わないし、
相手からの感謝をもらうことで、価値の無い自分に価値を必死に付けようとする意味もあるのかもしれない。





















◇拒食症=思春期を象徴する病





■人間は外部からの影響を自分の中に取り込んで自分を完成させる






人間は育っていくものであるが
自分を作り上げていくためには外部の資源を取り込むことが必要だ。
外から得たものを咀嚼し消化して自分と言う人間を構築していく。
育っていく力は誰が教えなくても備わっているが
誰かがその育つために必要な材料を与えてあげなければならない。




分かりやすいのは食べ物と飲み物だろう。


身長も体重も臓器も血液も、全て食べ物や飲み物から得た栄養素で
強く強化されていく。
また、食べ物からのエネルギー得て活動している。
ただ、自分を作り上げるために内部に取り込むのは食べ物や飲み物などの
物理的な材料だけではない。
精神的なエネルギーも外部から取り入れている。




人間は他者の集合体であるので、毎日を過ごしている家庭や学校、職場などの社会に居る人達からの影響を受けながら自分を作り上げていく。
これが人間が社会的な生き物だと言われる理由である。
ところで幼い子どもにとって社会とは何なのか。
子どもにとって社会とは家庭であり、家庭とは養育者(概ね両親)である。
つまり、養育者こそが子どもにとっては社会であり、
最も影響を受ける人間
なのである。


だから、もしも親が生きづらい生き方をしていたり、精神的に未熟だったりした場合に
子どもは親を受け継いでしまう。
それどころか、その未熟さによって深く傷ついてしまうことさえある。























■思春期=親だけで構成される自分を壊して新しい自分を作り上げる時期


拒食症の発症は思春期であることが多いものです。
その最大の理由は思春期が子ども時代から大人時代への変化の変わり目であり精神状態が不安定になりがちだということです。
実は、子どもは自分と他人との境界線があまりはっきりとしていません。
だから、自分が思っていることは相手も思っているはずだ、という思い込みから起こる行動がしばしばみられるのだ。
特に親との境目はあまりないのです。


基本的には親の価値観の中で、
親の人間関係の中で生活しています。
親の精神的な不調や虐待が子どもに大きな影響を与える一つの理由として
「親が不幸なのは自分が悪いせいだ」という子ども特有の感じ方
があります。


「親と言えでも、個人としての事情を抱えた一人の人間であり、その精神状態は自分と直接関係ない」という
味方ができていないので、罪悪感を抱くことが多いですし、
親の気持ちをよくしようと報われない(子どもの直接関係ないところで苦しんでいるのだから)努力をしてしまうのです。


思春期になると、親をうるさく感じ、反抗心が生まれます。
これは「自分」を作るために必要な条件です。
それまで境目なく親を生きていた自分を疎んで遠ざけることによって
「自分」を作るためのスペースができるのです。
この反抗期には親よりも友達や先輩のほうに魅力を感じ、そのかかわりの中から自分なりの価値案や人間関係を作り、
その中に親も位置づけられると
反抗期が終わります。
つまり、自他の境界線があいまになり人格の面での自立した自我が未完成ながらも「自分」として確立されるのである。




















◇痩せている自分=ちゃんと自分で自分を管理できている「いい子」







摂食障害=良い外見(痩せた自分)になることで認めてもらおうとする疾患





摂食障害になる背景にはいろいろな問題があるのですが
「形」へのとらわれに関して特に注目しておきたいのは
「ありのままの姿で自分を肯定された経験が乏しい」ということです。
摂食障害になる人は
「いい子」が多いと言われています。
ありのままの自分ではなく、
いい子という仮面をかぶった「良い形」をした自分じゃないと
受け入れてもらえないという状態。



■ありのままで受け入れてもらえないなら「いい子」という形を整えるしかない




ありのままの自分を肯定してもらった経験のない場合に
「自分の価値が外見によって決まる」という思い込みを主症状とした
摂食障害社会不安障害になりやすい。

ありのままの自分を受け入れてもらう体験をしていない人は、
常に「形」を整えて人に気に入ってもらう、ということを
するようになります。


自分の「形」ばかりを評価され続けて育った人は
「形を整える」という事と「人を見たら評価者と思う」ということを心に深くしみこませています。
生きていくことは自分の「形」を整えながら、
批判されないように常に警戒していくこと…と考えるようになる。
自分が整えている「いい子という形」を受け入れてくれるかどうか?
いい子に合格点と言う評価を与えてくれるかどうか?
ということがどうしても気になってしまい、本当の自分と認めてもらうために整えた形を自分が
どんどん乖離していく。

つまり、
「ありのままの自分」と「人に見せる自分」が自然と乖離してしまうのです。本当に親しい人たちくらいには「ありのままの自分」を見せて受け入れてもらうことで
安心感を得たいものです。




■拒食と言う訴え





拒食症の人にとって痩せることは
痩せた身体を得ることが目的と言うよりも
痩せるに関連する行動で何かを伝えよう、表現しよう、としている。
それは何か。
理由は一つじゃないだろうが
ただ一つ言えるのは
食べる=生きる、を拒絶するほどに
心身はパンパンだし欲求不満が溜まりすぎて
おかしくなりそうだよ!!というサインなのではないだろうか。



だとすると、拒食で何をアピールしているのか
大人がしっかり見極めて話を引き出してあげることが大切だ。













◇さいごに



■汲み取り救い上げる

ものすごく大事なことなので最後に一言。
拒食症は食べられないんじゃなくて「食べない」のです。
本人は食べると気持ち悪くなるとか胃腸は稼働能力が落ちているので
始めは消化に苦労をするかもしれませんが、人間が食べ物からエネルギーを
もらって生きる生き物である限り、胃腸が消化を拒否するなんて事は
重篤な別の内科的疾患をわずらっている場合以外にはありえません。


食べないと言う意思表示なのです。
その意思は何を訴えようとしているのか。


子どもを拒食から救うためには
何が食べ物を拒否させているのか、をきっちり理解し受け止めることからはじめまって行くのだと思う。











参考文献:ダイエット依存症 (こころライブラリー)
作者: 水島広子, matsu
メーカー/出版社: 講談社

ダイエット依存症 (こころライブラリー)

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