形を整えないと認めてもらえないという緊張感。


摂食障害、身体醜形恐怖社会不安障害
「自分がどう見られているか」を気にする疾患という共通点がある。


外見は確かに
その人間の重要なパーソナリティの一部である。
ただ、日常生活に支障を来たす病的なほどに
自分の外見・見た目、つまり形がどう見られるか?に縛られてしまうのだろうか。


それは、自分の評価が内側(人間性)ではなく外側(形)が
どれだけ肯定的に映るか?
という軸で評価されてきた経緯があるようだ。














■外見=形を整えないと認めてもらえない



「どう見られているか?」を病的なレベルに追い込まれるまで
気にしてしまうのは、
「良い評価を得られる姿を整えた自分じゃないと
 認めてもらえなかった…というありのままを拒絶された経験
が背景にある場合が多い。


つまり、「今のままの自分では拒否される」という恐怖体験に由来する。

そのままの自分を受け入れてもらえなかったという傷つきは
「常に評価される自分を形作らないといけない」というプレッシャーとなって
精神力と心を消耗させるのだ。




次の文献が理解の深化に役立つだろう。




摂食障害の場合にも批判的な家族や虐待が存在することもあれば、
そうでない場合であっても
親が心配性
(親の望みどおりに育たないことに対する親人の心配へのケアであり子どものための
 心配ではない)だったために自己表現することがためらわれるような環境に置かれていたことが殆どです。
いずれも、のびのびと、ありのままの自分を表現して受け入れてもらっていた、という環境からは程遠いところで育ってきた人が多いのです。


そのような場合に
自分の価値が「外見によって決定される」という思い込み
主症状とした病気になりやすい


(10代の子をもつ親が知っておきたいこと 水島弘子 紀伊国屋書店)参考引用





幼い頃からありのままの自分を大事に扱われた経験がなく
(親は大切にしたと主張するかもしれないが「大事にされた」というのはあくまで受け取る側の感覚なので
 必ずしも親子の語ることが一致するとは限らない)
「社会から認められる要素を獲得しなさい」と言われ続け、今の自分を否定してより良い自分になろうとした場合に
どういうことが起こるのか。



次のような例を参考に話を進めたい






ある過食と拒食が交互に訪れている女性A子さん(29歳、通院暦4年半)は
小さな頃から母親に
「女は見た目が大事。太った女性に価値はない。痩せていなきゃダメよ」と折に触れて言わつづけていた。
特に服を買う時には鏡の前で
「選ばれる女性になるには可愛い服が似合う女性で居ないとダメよ。
 そして可愛い服は痩せていなきゃ似合わないのよ」
などと言われ続けていた。


彼女の母は文字通りのスマートさを結婚出産後も維持しており、
だらしない体型の友達のママが多い中で極めて細い存在で
注目をされていた。


ということだ。

母の期待は裏切れないし
何より同じ女性として母のようになりたいと思った。


母は有言実行の人。
そして彼女自身が大人になるにつれ、
女性が痩せていると”良いことが起きるのは事実”らしいということを学ぶようになる。



母は正しかった。
母の示してくれた生き方は正しい。


彼女は心から母を頼もしいと思ったと言う。
一人の母親としても、一人の女性としても誇らしい人物だと思った。


ただ、頭ではそう思っているのに、どうも心がついてこない。


これは恐らく、ある時点において
母親を生きているのではないか?という疑問が湧いたのだと思う
つまり、端的に言えば、
自分の中に「自分が育っていない」事に気づいたのでしょう。




















■自分の軸がない人生の生き辛さ



自分の判断基準が分からなくて、判断基準は常に母親の顔色や
母親だったら何を選ぶか?という事に終始していた。





いつも親の目の基準にものごとを選んできたA子さんは
自分の判断基準を育てることができなかった。


いつも親に甘えている自分に違和感を覚えつつもそれ以外の
方法が思いつかない。自分が居ないことに愕然とする。
ですから、自分はカラッポでできそこないだと思っていて、
自分がやりたいこともよくわからなくなってしまいました。
そしてそんな中身の無い自分を人が見破るのではないか、といつも不安な
A子さんは、
このような生育環境もあってか、摂食障害になってしまったのではないか。



彼女は次のように語る。


「親や他人からどう思われているか?ということばかりを
 考えていたので、他人はともかく自分は何をどうしたら満たされる人間なのか
 さっぱりわからなくなった」



そして、
「中身がないっていう空虚感に気づいた。
 中身がないから入れ物(体型)にこだわるようになっていったのではないか…」と
 彼女は取り戻せない時間を嘆くように静かに呟いた。



















■親が過保護で守りたいのは親自身

過保護というのは、大人が先回りして「正解」を教えてあげたり、
代わりにやってあげたりすることを言います。
正解、目指すべき女性像、愛されるモデルを押し付けられました。


政界や正しさに沿って生きるのは大人にしてみると
成功の確率が高くて効率的で幸せになれると思うかもしれない。

しかし、子どもは挑戦の中で”発見”をしたいのであって
成功・正解を求めているのではない。


それなのに大人の都合で曇りの無い正解を与えられる。
これでは自分が育っていかない。






それでも親の与えてくれる正解を喜ぶ姿を見せる(演じる)のが子どもの偉大な所である。
そしてその弊害も大きい。






















■支配と悟らせない支配

小さい頃から親に嫌われたくないからと、
いい子と思われるために我慢し続けて親の言いなりになってきた人がいる。

これは本当に親が命令を下していた、というケースもあるかもしれないが
ちょっと親の言う事と違うことをやったときに不機嫌になって見せたり
別の方法でうまくいったことを話そうとすると、そっけなくしたりっていう
間接的な支配も含まれるだろう。


自分が悪者だと悟られないように
でも、自分の思い通りに
動く子どもになるように操作する。

愛情との取引。子供が最も欲しいもの。
それを自分の思い通りにならない態度の時には
さりげなく与えなかったり少なくしたり。


そうやって親の価値観にあわせたイメージ像に育つように
子どもの自己イメージを操作するのだ。








けど、親にもそういう風に自分の親から操作されて
自分を奪われて生きてきた過去があるかもしれない。


自分を殺して親に合わせるのが当然だと言う考えが
母親には無意識に根付いているのかもしれない。



我慢を重ね、ここで生き延びてき人たちに限って、
我慢すると言う方法しか知らないせいで
いつでもそれを選び取ってしまう。
そしてそれを無意識に子どもにも強いて受け継がせてしまう


子供達は親の背中をみて、我慢する方法だけを学び取る。
我慢は、考える力を育まない。むしろ奪い去っていくのだ。















■両親も自分の親から受け継ぎ背負う




子の義務感は親から受け継ぐ。だから親の義務感が強すぎると、
子供の義務感も強くなる。その強さは必ず親より大きくなる。
親が10の義務感で生きていれば、子供は15くらいになる。
義務感の強すぎる母親は知らず知らずのうちに子に強いメッセージを送り続ける。



感情の問題を抱えている人の育った環境を見ると、
親が怒りなどのネガティブな感情について否定的だったという場合が殆どです。


怒りを感じるのは人間として弱い、あるいは未熟である証拠だと言うような
刷り込みをされていて、
自分自身もその価値観を引き継いでいます。





そして、A子さん親子のケースでは
成功体験を誰よりも幸せになってほしいと願っている娘に伝えたいと言う
親心から生まれるものだ。
痩せていることで損をせずに女性の人生を生きてこれたという誇りがあって、
それを娘にも伝えなければ、と思っているのかもしれない。

それゆえに、ますます娘は従順になるしか選択肢がなくなる。



痩せてなければならないという母の思いは
1.5倍になって娘の行動規範となり、適応力と実行力のある子供の場合には
その枠(痩せていなければならない)の中で自分を磨き続けることができてしまう。


こうして、親の思いに忠実なモルモットが完成していき、
自分のない人間、心に傷を負った子が育っていくのだ。
















■小さい頃の教えが導き破滅させる




また、人間は自己イメージに向かって育つ。
そして、人間は社会的な生き物だから
周りに言われた言葉に影響されて自己イメージを形成する。
自己イメージは他者や社会からの言葉で構成されている。
人は、子ども時代から両親をはじめ、
学校の先生や友人から様々なことを言われて育つ。
相手がほんの些細な気持ちで言ったことも、言われた側としては
すべて真実だって思い込んでしまって、
いつの間にか、それがセルフイメージになっちゃうことが多い。


もしも
痩せていないとダメだ、という思いが定着してしまえば
母の基準に会わないスリム水準を保てて居ないときには
また、痩せていないと価値が無いということは追い詰める。




形を整えなければという恐怖、ありのままの、形を整えない自分では
受け入れてもらえないという認知が幼い頃からあれば
常に良い自分、評価してもらえる形を整えようとする、親の大人の愛を得るために。


そして、評価なしでは自分を見られない。
つまり、良い子か悪い子か、という「フィルターで自分は見られていて、
そのままのあるがままの自分では認められない、愛されないという認知が広がる。





それが原因だとは言い切れないが…と本人は言っていたが
見た目に対するプレッシャーは人並み以上だっただろうし
「形を整えない、ありのままの自分では受け入れてもらえないだろ」うと言う思いも形成されただろう。


「見た目という形、いい子という形を整えない」と受け入れてもらえないと言う想いが
形を整えることに意識を向けさせ、内面の成長を置いてきぼりにさせることもある。
過剰な期待は現状のあなたには不安ですよ、という否定になる。











■子どもは子どもとして生きても良い





確かに太ってるのは不利に働くことが多い。
社会に出れば、評価を得てこそ存在価値がある。
社会に自分の持つ資源を提供してこそ評価されるので
ありのままで存在している自分を認めてもらおうというのは無理な話だ。


母親としては教育のつもりで伝えた。
娘が少しでも幸せになれるようにアドバイスをした。



だけど、真実を教えるのはもう少し後でも良かったのではないだろか。



自分は自分でいいんだ!っていう自己肯定感がしっかり定着した段階で
徐々に社会のことを教えていってもよかったのではないだろうか。


どんな自分でも良いんだ!という安心できる場所があるからこそ
どこまでも歩いていけるし、酢の自分でいれる確かな場所があるからこそ
その場に適応した自分を創ることができる。


自分が固まってから(そのまま)、
社会でつ要する(評価されるための自分)を獲得してもいいのではないだろうか。







■大人の正義は子どもの障壁に


子どもは現実を知らない。
自己愛的に全てがかなう世界にいると思っている。
両親の間の暖かさが
社会、そして世界そのものだと思って生きている。


いつかは出なければならないが
そのときまでは
大人の価値観、大人の自分の失敗や成功を伝えることはしなくてもいいのではないだろうか。



子供が子供として培わなければならないのは社会で評価される自分になる方法ではなく、
「ありのままでも認めてくれる場所がある!だから、
 社会で評価される要素を身に付けて逞しくなろう!!」
という心の安心を得ることなのではないだろうか。




「自分は自分のままでも受け入れてもらえる場所を持っている」という
揺ぎ無い自己肯定感なのではないだろうか。


子供はどんな親であっても親を愛し親になろうとし
親の与えてくれた環境で適応する能力を持っている。


その能力を悪用し、子供から自分らしさを奪うような操作性のある子育ては絶対に行われるべきでない。