「痩せている外見」という”形”を整えようとしてしまう









ある女性は、外見について次のように語っていた。







>>


痩せたよ!もっと私を見て!みたいに思います。
一緒に歩くの恥ずかしくないでしょ?
可愛くなったでしょ?
写真撮ってもおかしくないでしょ?


友達の「飾り」として価値は上がった?みたいな。



とりあえず、
誉めて欲しいというのは常にあります。




痩せる前も外見で誉められる事はありましたが、
常に信用出来ず、確実に誉めてもらえる値にとりあえずなりたいと思いました。


じゃあまず形に表れる体改善を‥みたいなです。


大体常に不安定なままで、結局摂食になってしまいました。


>>









この語りから察するのは
良い形=良い外見=痩せている自分を差し出さないと
自分の価値を認めてもらえない
という強い意識がうかがえる。


人の価値を構成する要素は様々であるはずなのに、
外見という形、つまり痩せている自分じゃないと
受け容れてもらえないと思ってしまっているのだ。




自分を取り繕って
良い形の「包装紙」をつけた自分を差し出さないと認めてもらえなかった場合、「形=外見を良くしないと自分は認めてもらえない」という意識が定着してしまい、外見が整っていない自分はダメな存在=受け容れてもらえないと思い込んでしまう。














■ありのままが受け容れられていないと「形」にとらわれる


ありのままの自分を受け容れてもらう体験をしていない人は、
常に「形を整えて人に気に入ってもらう」ということをするようになります。



囚われる「形」は身体に関するものだけでなく、肩書きや仕事の業績、経済力、成績など、様々なものがあります。







もちろん、どんな人間も、社会生活の中で、「人に見せる自分」を作っているでしょう。
けれども、それは相手との距離によって様々な調整しているもので、
本当に親しい人たち(家族や恋人)には、
「ありのままの自分」を見せて受け容れてもらうことで安心感を得ることが出来るのです。





ところが、親しい人たちにすら、ありのままの自分をうけいれてもらったことのない人は、そもそも「ありのままを受け容れてもらえること」が可能だと言う事も知りません


人と関わるということは、その距離の遠近に関わらず、
評価を意識して自分を「作る」ことであり、ありのままの自分を「さらけ出す」ことでは
ないのです。



そんな人が、見た目を気にする病気になるのはうなずけることです。
これは病気にならないレベルの人であっても同じ事で

ありのままの自分を見せて相手と繋がる喜びを知らない人は、どうしても「形」に捉われるようになります。





摂食障害の場合、批判的な家族や虐待が存在することもありますが、
そうでない場合であっても、
親が心配性だったために自己表現することが躊躇われるような環境に


置かれていたことが殆どです。
いずれも、のびのびと、ありのままの自分を表現して受け容れてもらっていた、という環境からは程遠いところで育ってきた人が多いのです。







そのような場合に、自分の価値が外見によって決定されるという思い込みを主症状とした
病気になりやすい。





■処方箋??





①痩せていない自分でもOKという体験を積む



摂食障害という状態を、痩せて居ない自分を受け容れれない状態と考えれば、
受容され、承認されることが回復を巡って語られる事は納得がいくだろう。

つまり、痩せていても太っていても、もし他者あるいは自己に受け容れられ、
肯定されるのであれば、
痩せることで他者あるいは自己から受け容れられようとする気持ちは緩和する。


体型に関わらず、自己を受容し、
他者に受容される場では、
痩せている事に大きな意味はなくなるからだ。




「自分が承認され受け容れられたと感ずる」体験には
人を一定の世界観に埋没した状態から解放する作用がある









②現在と繋がる





誰でも自信を持ちたいし、自分を好きになりたいものです。
しかし、リアルな人間関係の中で、
自分のありのままを受け容れられることで初めて身につくもので、
自分ひとりで何かしらの努力をして身につけられるものではないのです。



「自分の長所を見つけよう」ということも悪くないのですが、
そこで上がってくることは、どうしても「形」を持つものですし、
長所というのも評価の結果です。


形や評価を手放すという目的を考えると、
「自分の長所を見つけよう」というタイプの
「自分の好きに成り方」「自信のつけ方」にはおのずと限界があります。


「人と接するためには、自分に自信がなければだめだ」と考えるのではなく、
「人と接する中で自信をつけていこう」と考える方が、
ずっと理にかなっているのです。



「痩せさえすれば」自信がつくはず、自分を好きになれるはず、と思う時点で、
今現在、自信をつけたり自分を好きになったりするチャンスから目をそらしてりう、ということに
なってしまいます。


もちろん、可能性は「人」だけにあるのではない。
「現在」は強力なキーワードです。
「現在」につながることで、
「自分はこれで良いのだ」と思える瞬間もあります。

しかし、人間はやはり社会的な動物であり、
日常生活が人とのかかわりの中にある以上、
「現在」にも人がいることが多いでしょう。



ですから、人との関係の中で癒しを得ていくのが一番近道だとも言えます。







形への捉われから脱するということは、
ありのままを認めるということであり、
自分自身に対する評価を手放すということでもあります。




評価は、過去に基づくものです。
過去に積み上げてきたデーターベースがなければ、
私達は評価を下しようがないからです。





何かに評価を下しているとき、
私達は「過去」を通してみています。







つまり、目の前にあるものをありのままに見ているわけではなく、過去というフィルターを
通してみているのです。



現在にとどまるということは、そのフィルターを手放すということです。
例えば、私達は何かに本当に集中しているときには、過去というフィルターを手放して、
完全に現在とつながっています。


そのようなときには、あらゆる不安から解放されているはずです。
余計なことを考えず、あらゆる評価を手放している瞬間だからです。














☆☆




参考文献
(10代の子をもつ親がしっておきたいこと/水島広子紀伊国屋書店
(ダイエット依存症/水島広子