良い兆候(という錯覚か!?)
■食事をする自分に罪悪感
食べることに罪悪感を感じていた。
頭で太らないって思える分量以外の食べ物を食べると
誰かに怒られるような気がしてた。
同時に、食べてしまったら負けるような気がしていた。
身体に素直になってみてもいいんだと思う。
けど、そこから解放されればいいと思う。
誰も食べることを禁止なんかしてないし
怒られることもない。
食べちゃった…っていう事が深刻度のレベルが違う。
食べる事への罪悪感から解放されると
なんだかちょっと穏やかな感じ。
たんに、躁の期間なだけなのかもだけど(笑)
■日常的にもこだわりが薄れたような気が
結果が無くてもプロセスを楽しめるようになったかも。
何か有益なことをしなければ…っていつも思っててマンガとかゲームを
する時間が無駄に思えた。
生産性を現物でしか捉えられていなかった。
お金とか有益さとか
何かプラスの成果がないとその時間が無意味なものだと思ってた。
何かを生み出さなくても、たとえ生み出して居ないことに喪失感を
味わったとしても充足感があるのならそれで。
やっぱり食なのかななあ。
思考が安定するというか落ち着いた感じになれる。
ダメな状況でも言葉を思い出して言葉が落ちていくのを守ってくれている感じ。
身体が喜んでいるのが分かる。
何かから許されている気分になる。
生きているだけでいいんだ。っていうか。
病気は相変わらずだし将来に対する不安も拭えない。
だけど、ここに「在る」だけでいいって感じ。
「居る」だと「居場所」とか「会社の席に居る」とか、
何か肯定的な要素を持っている自分じゃないといけないかんじだけど
「在る」だと、ここにいるだけでいいって感じ。
なめらかに時が流れている気がする。