摂食障害者の語り 〜〈回復〉の臨床社会学〜










摂食障害の回復について本書で明らかになったことは





『過度な痩せ願望がなくなり、食生活が改善されれば回復する』

ということだ。


しかし、痩せ願望を捨てなさい、普通に食事をしなさいと言われても
すぐに実行できるわけではない。










私が言いたかったのは



「三食きちんと食べなければ身体が暴走するんだから、
 きちんと食べましょう。太ったってなんだって。
 まずは食事の訓練をしていいリズムを身につければ、
 過食の衝動もおさまるし、おかしな恐怖心も消えるし、
 そのうち体重増加だって落ち着くと思いますよ」










Kさんは、
心の問題が原因で拒食や過食という”結果”が現れているという見方に対して、食事を減らすことが”原因”で拒食や過食という結果とともに、
心の問題という”結果”も現れているのではないか?
と指摘している。





ダイエットを、摂食障害の単なる「きっかけ」や「引き金」としてのみ位置づける解釈はダイエットが個人に与える影響を小さく見積もりすぎている。

ダイエットという行為そのものに、
摂食障害を生み出してしまう作用があるのだ。




摂食障害者の語り 〈回復〉の臨床社会学 中村英代 新曜社)参考引用




摂食障害の語り―「回復」の臨床社会学

摂食障害の語り―「回復」の臨床社会学





☆☆










書評:





この書籍は僕が知っている中での摂食障害関連書籍としては極めて
驚きの多い、斬新で異端な作品だと思った。



なぜなら、大学で教鞭をとる臨床家の先生が
摂食障害を発生させる原因・背景として定着しつつある概念に
疑問を投げかけているからだ。



例えば、
摂食障害については多くの臨床家が異口同音に次のように述べられている事が多い。





「母親の愛情不足」


「幼少期の育てられた方がマズかった」


「良い子として自分を犠牲にしてきているから、
 いざ自分で生きなきゃいけない思春期以降に発生する事が多い」



摂食障害は「行動の病」なのです。
 その人の心に抱かれた不安や悲しみ、苦悩、あるいは
 葛藤をこころに置いて悩んでいくことをやめて、
 行動・行為にとって心から発散、排泄してしまおうとするありかた」

























しかしながら、本書では
このような今まで使い古されてきた考え方、
定着しつつあった摂食障害の背景にある概念に対して
概ね否定的である。





『体型へのコントロール願望をやめ、
 食べる事を受け容れれば治る』


というスタンスなのだ。












完璧な家族は存在しない。誰しも傷を少なからず負っている。
しかも、根本に流れるその家族における人間関係はそんなにすぐに変わらない。


しかしそれでも、摂食障害から回復していく人たちがいる。
家族が変わらないものだとしても、回復している人たちがいる。



その人たち共通する事は何なのか?
家族とか心の傷つきが改善されなくても回復できた人たちは、何が病前と病後で違うのか。




そのように、定着化している摂食障害に関連する概念への異見が
摂食障害からの回復者へのインタビューと共に辛辣に綴られている。










正直、ちょっと気分が悪くなる内容も含まれていた。
それは、自分がやっと身につけた”摂食障害の背景”という知識が
しっかりとした理論を伴って覆されているからだ。


摂食障害はコントロール願望が強い人」というのは
本書でも肯定されているが、それ以外、たとえば
「幼少期の問題」とか「心を埋める為に食べている」とか
「痩せる事で万能感を得ようとしている」といった僕の中でもやっと咀嚼して定着しつつある
摂食障害への概念が通用しなくなってしまった。



悔しさと同時に、摂食障害との闘いに希望が持てる内容であった。





摂食障害が長期化しやすいのは、
「今までの摂食障害の概念が間違っていて、
 その概念に対するアプローチが間違っている」事が理由だとしたら
本書で提言されている摂食障害への正しいアプローチ方法こそ
患者にとっても援助者にとっても救いになるのではないかと思った。



長期化する摂食障害と、その治療法に一石を投じるには
ありあまるインパクトを感じ取れる良書だと思う。






水島広子先生の著書を読んだときと同じような
光と慰めを得ました。