止まっていた時間が動き出す 〜アダルトチルドレンの氷解〜



アダルトチルドレン
どうすればうまく付き合っていけるのか。





大きなキッカケになるかもしれないヒントを
友人のSさんから頂いた。


極めて重要な要素を伝授してもらった気がした。










それは、
ありのままを見せる事、
マイナスな自分の存在を見せても
それも含めて受け容れてくれる存在の重要性。




ACがそう簡単には治癒しない症候群だとしても
あるがままの自分を出しても受け容れてくれる人が居れば
背負わされた”ACという生きづらさ”は少しずつ氷解していくのではないかと思った。









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i: 受け入れて欲しい人 が否定しないで受け入れてくれたら
泣きますよね




S:うん。
 最初は男性恐怖があったから
  信用できてなかったんだけど、
  だだこねてみたり、怒ってみたり、すねてみたり、とか 
  自分の色んな部分が出せるようになって
  自分でも、こんな私いたんだ!て(;゚Д゚)!
  [びっくりしたーーー」




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このやり取りの中で思ったのは、
出会うべき人と出会えてはじめて、
本当の自分に出会うことができるんだなぁってこと。





1人では進むのをタメラっていた道(本当の自分に出会うこと)でも
一緒に進んでくれる人、この人とだったら進んで行けるかもっていう人に
出会うことで止まっていた時間と自分が動き出すのではないかと思った。



長期間の辛さも「この時の為に苦しんだのか!!」って
思える瞬間に出会えたら、自分の過去を愛する事ができて、
自分を否定する感情も薄くなっていくのではないかと思った。











・何かうまくいかないと、たいてい自分のせい


・失敗したら、人から嫌われるのではないかと心配


・本当に思っていることを口に出すのは、たいていの場合危険だと思う


・異なる意見を言ったら、相手は自分を好きにならないと思う。


・どうしたら人が幸せになるかわわかるが、
 自分が幸せになる方法はわからない


ACの人は、こんな風に思っている事が多い。













なんか生きづらい。
なんだか漠然と不安。



弱い自分。




自分のままの自分では
生きていちゃいけない気がする。










こうやって、どんどん自分を責めて行ってしまうのも
ACの特徴だ。





「良い子にならなくちゃ」
「認めてもらえる自分にならなきゃ」って、
自分を失くす事でしか生きてこれなかった



大人の顔色をうかがわなきゃいけない状況があったし、
自分のままで生きてしまうと封印した過去が
隆起してきてバランスが崩れる。







だから自分を失くす事を選んできた。





だけど、
自己不在の自分を生きる空洞感にいつまでも耐えられるわけではない。


空しさに飲み込まれてしまい、飲み込まれている自分を忘れる為に
アルコールだったり過食嘔吐だったり、現実から自分を解離させる方法を
取ってしまう
事も在る。






そして、空洞を埋める為に自分を探す。
自分を満たしてくれる要素を探す。





自分を探す…。
自分はどこに居るのだろうって、
自分は何を感じ何をしたいのか。



自分の軸で生きてこなかったから分からない。



だけど、1人の男性との出会いによって
自分にも出会うことができた。

優秀で良い子で、相手を煩わせない事を対人関係において何よりも大事にしてきたのに怒ってみたり泣いてみたり出来る相手でだし、受け止めてくれる相手だった。


こんな自分がいるんだって。
幼くて子どものように制御しない自分が居たんだって気付けた。



抑えてきた自分が出てきた。


本当の自分は奥底に隠れていただけで、しっかりと存在していた。














自分探しというのは外の世界に探したり、求められる自分を磨く事でもなく、本当の自分は、自分の中に見つけていくことができる。

自分と繋がる事。
自分と出会ってしまうことを恐れない事。



本当の自分と出会ったときの恐怖を一緒に共有してくれる人が
現れたって思えたこと。これは素晴らしいというか
まさに出会うべくして出会った、という感じ。











受け容れてくれる相手というのも、
やっぱり同じように苦労しているのだと思う。


同じように自分を抑圧して
求められる自分を演じ続けてきているうちに
自分を失いかけた事があるのだと思う。




そんな風に考えていくと、弱さも痛みも全てに意味があるのではないかと思えてくる。


もしも、弱さが無かったら、出会うことも無かったのかもしれない。
だとしたら、意味のないことなんか起こらないのかも。



お互いが1人では社会の荒波や心の奥に抱えている未消化な問題からの反逆に耐えられなかった。
だけど、2人でなら、生きる事ができる。




健全な弱さを持ち合わせて一つになって生きていく。
補填しあって自分を取り戻すパートナーとして出会う。




自分がよりよく生きていく為に
出会うべき相手に出会った。
決して共依存ではなく、自分が自分で生きていくための出会い。






抑えない自分で、ありのままの自分で入れる時間が増えるごとに
恐らく、人間は幸せを得ていくのだと思う。
自分らしい時間を失った期間が長ければ長いほど。










二人は近々、結婚届を提出するらしい。互いにバツイチの二人。






幸せの為の準備期間が苦しかった分、
幸せが持続して言ってくれれば良いなと願うばかりだ。


苦しみもいつか、乗り越えた際には幸せの材料になるのではないか?
そんな希望を頂けた気がした。