僕がモテないのは、気配りが出来ないからだった!

自分の抱えるマイナス部分、汚い部分に目をそらしていると
他人との関わりが怖くなる。


なぜなら、
他人と関わる事で合わせ鏡のように自分の真の姿が見えてくるからだ。



他人と関わる事を恐れているのは、相手が怖いんじゃなくて
本当の自分に気づかされてしまう事を恐れているのだ。








対人関係能力の低い自分。
打算的で下心がある自分。
お金と女に興味が無いフリをして極めて求めてしまっている自分。







そういうダメで弱くて汚い自分に出会ってしまうのだ。
他人と関わる事で、自分がはっきりと見えてきてしまい
キレイだと思っていた自分の本当の姿に気づいてしまうのが耐えられないのだ。








たとえば、
女性に声をかける。


別に相手は単に話をしたい人なんだって思ってくれるかもしれない。
だけれども、自分は最終的にはエッチしたいっていう気持ちを
どこかにもっている。


だからこそ、そういう気持ちが相手にバレているかもしれないって
不安になってしまう。




そして、そんな汚い部分がバレたくがないために
お客様や女性を避ける。




自分の望みがバレるんじゃないかって、怖くて
隠しきれて居ない自分をだめな存在だと思い、声を掛けられない。






だけど、女性の心理として
存在を認めて欲しい、気にかけて欲しいっていう思いが男性よりも強い傾向にあるってことを知識で知っている。
だったら、自分のためじゃなくて相手の為に声をかけたり気に掛けてあげてる。その結果、喜んでもらったら自分も良い気分になれる。




そのためには、エッチがしたいって思われているかもしれない、っていう
自分が相手にダメと思われるかもしれないという恐れに勝たないといけない。







そういう風な部分を持った自分がいる。
男としてしょうがないって、自分で自分を受け容れていかないと
人間をいつまでも避けることになる。














下心の無い人間なんかいない。いや、いるのかもしれないが
打算無しで奉仕できるほどの器を持っていない。





持っていないっていう自分を本当に受け容れていけば、
自分が傷つく事ばかり考えるのを止めて
まずは相手の為に、そして相手の反応からの自分にとっての良い事を。






日常での基本的な自尊心が低いからこそ
マイナス評価を恐れてしまう。だけど、汚い部分は自分には絶対にあるし
マイナス評価をされてもしかたがないって、納得して傷つく事を恐れずにいれば人との関わりへの希求がある限り、僕は世界と繋がっていける気がする。





他人の評価を恐れすぎない。
良い人になろうと自分を磨くのはいいけれど、
良い人だと思われる事に固執していると、結局何も出来ないまま時間だけが過ぎていってしまう。





そのためには、
傷つく事を恐れずに汚い自分がいることを自分が一番理解して受け容れてあげる。


いやらしくて打算的な自分の存在を無視して否定し続けていては
いつまでも相手の評価を恐れて踏み出せなくなってしまう。







自分を受け容れる事が出来て初めて、
相手を受け入れ、相手の多様性も認めていけるのだと思う。







本当の自分に気づく事を恐れない事が
人と関わっていく中で最も必要
な事なのかもしれない。

























気配りは一体、誰の為にあるのかと問われたときに
ずっと相手のためだと思っていた。
もっといえば、相手に気づけた自分の為だと思っていた。





だけれども、
気配りは自分の為にするものなのだ。





自分の為って思えれば、
たとえ相手に否定される事になっても
相手に受けてもらえなくても、発信しようとした自分を肯定的に捉えられるはずだ。






見逃せない事を見逃す方がツラい。
それなのに、見てみぬフリをしていた。
それで結局、傷ついてきた。
だから、傷つく事を恐れずに介入していく。相手の為に自分の為に。
傷つくのを恐れなければ、きっと人と深くつながれる気がする。