卒業までは…
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燃え尽き症候群とは
「極度の身体疲労と感情の枯渇を示す症状」と
マスラックは定義している。
人は、過剰なストレスを抱えると、その負担を支えきれず耐え切れず、
対処できなくなります。
そして、張り詰めていた緊張が一気にゆるみ、
意欲や動機付けが急速に衰え、様々な心や身体の症状となって現れます。
対人援助職の燃え尽きを防ぐ:個人・組織の専門性を高めるために
- 作者: 植田寿之
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 2010/09/18
- メディア: 単行本
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燃え尽きると、
簡単には再起できない。
限界を感じながらもなお、高校だけは突き抜けようとしていた。
対処しないで、あえて脇においておくことで自分を誤魔化して、
なんとか駆け抜けた高校生活。
それなりに良い事、学びもあるって感じられた学校生活だったが、
何をしたのかかなりボンヤリしていて、何を得たのか何が楽しかったのか、全く思い出せない。
良い思い出、といわれても思い浮かんでこない。
それでも、
燃え尽きる寸前で走り抜けてよかったなって思えているのは確かだ。
人生はツラいことばかりだ。
だからこそ、ひとひらの幸せが輝くのかもしれない。
☆
思えば、中学生の時から抱えていた不調感を抱えたまま、
なんとか高校を出て働きたいって思っていた。
働くことだけに集中できれば、余計なことをなんとかなると思っていた。
高校までの貯金で生きていけると思った。
だから、高校は不調感に気づきつつも認めずにいることで
勉強もしたし部活もした、資格だって取った。
ボロボロだった。
それでも、必死だった。
何かに必死だった。
だから、早く卒業式を迎えたかった。限界だった。
けれども、休むと伝えると、症状は不思議と治まる。
すると「症状が治まったのに休んでしまっている…」と自分を責める。
つまり学校を休んでも気持ちが休まらない。
休んでも休んでも、寝ても寝ても全く回復しない。
だから、休んだことに意味が見いだせなくて、
学校に行けなかった自分を責める。
休んでも食べても頭も身体もスッキリしない。
いったい、自分の身になにが起こっているのか不安になる。
どうして、疲れが取れていかないのだろう…って。
☆
燃え尽きることがわかっていたから、
燃え尽きたら再起に多大な時間がかかるって感じ取っていたから、
止まりたくなかったし、限界なんて認めたくなかった。
もう、人生が終っていくんだって思った。
だったら、終らせてもいいやって思っていた。
サンドイッチは吐くし
食べれたのはウイダーインゼリーと味噌汁だけ。
生きる力の全てが枯渇していた。
それでも、止まりたくなくて、限界を抱えながらも負けたくないって思った。
同じ学年の人たちは、着実に次のステージに進んでいるのに、
自分だけ取り残されたくないって思っていた。
あるいは、中高と失敗してきた友人作りに
ゼロベースで参加できるんだって嬉しかったのかもしれない。
本当は、気づいていた。
「あぁ、きっとダメだ。長続きしない」って
環境を変えたって何も変わらないことを。
そうして案の定、過食嘔吐に縛られた生活をして
大学の授業には一度も参加できなかった。
4月に上京して5月のゴールデンウィークに倒れるまで、
ひたすらに吐き続けた。
その時から、いや、きっと中学2年生くらいから
時が止まったままなんだ。
何も満たされない、不満な状態を感じないために走り続けるだけであって、何に向かって走ってきたのか分からない。
そんな精神的暴走をしていては
身体も燃え尽きてしまうのは当然だろう。
☆
燃え尽きるとわかっていて、燃え尽きた。
その中で、得たものもあったから後悔はない。
ただ、その先の人生がこんなに陳腐で
寂しいものだとは知らなかった。
痛みを抱えていてもいいから、
社会に所属して、誰かと関わっている方が、ずっと健康的なんだって思った。