アルコールと食べ物の違い




余談ではあるが
アルコールと食べ物の違いについて私見を述べておこうと思う。







お酒や薬物は脳がやられるのであって、
食べ物は心の枯渇
なのだと理解している。








心の空洞を満たすための道具としての依存物。
現状を忘れるための手段としての依存物。



どちらも心のスキマを埋める為の行為という
入り口は変わらないとしても
脳をやられるのか、心でハマっていくのかの
違いがあるのではないかと考える。





アルコールや薬物依存で話題に挙がる「どうやって止めるか?」っていうところがポイントだ。


他のものは断っても生きていけるが、食べ物をやめることなんか出来ない。


生きている限り断つ事なんか出来ないから「これからは飲まないようにしましょう」という
治療法が通用しないため、どうしても病気の成り立ちにフォーカスせざるをえない
のではないだろうか。



お酒は断酒会などで、断つ事を続ければいいが
拒食を治そうと思ったら最終的には、食べるという行為を受け容れなければならない。


断つのではなく、むしろ”受け容れる”事が必要。






なぜなら、お酒は無くても生きれるが
食べ物はそうは行かないから。







自尊心を回復するということは一緒なのかもしれないが、
お酒は一生触れないことが良いことだが、
食べ物に触れないというのは生きている限り極めて不可能に近いと思う





だから、断つんじゃなくて上手に付き合っていかないといけない。
断酒は、結局はお酒を断つことでしか解決しないらしい。
脳にお酒を求める回路が出来上がった人は
どれだけ長い飲んでいなくても、一滴でも飲んだら
また、アルコールへの渇望が広がっていくらしい。


けど、食べ物は仲間と誓い合って、
辞めよう、というわけにはいかない。
吐かない、食べ過ぎないという誓いを立てることは可能かもしれないが
いずれは一人で食事できてしまう。

コンビニとかスーパーとか24時間欲望を
満たせる環境が整っているにも依存症増加を後押ししているように思えてならない。


上手くいえないけれど、
集まって支えあうことも大切だけど、
自尊心をここで育てることが必要なのだと思う








お酒は自尊心の低下が入り口だったとしても
脳の回路が関係している。




たいして摂食障害は自尊心の問題で、食の障害じゃなくて
満たされない自尊心の衝動性の行動化の障害。



だから衝動性を抑えるための自尊心を整えることが必要。






気を紛らわすという意味では同じなのかもしれないが
出口が違う。

お酒は断つ、食べ物は付き合っていく。





お酒の脳は修復しないけど、
満腹中枢は飢餓の体に栄養を与えてあげれば
長い時間がかかってもしっかり修復していくのだと思う。



個人が闘う為の集団だというのも理解できるが、なんだろう。
闘い方違うというか。

お酒は耐えるんだけど、食べ物とは付き合っていく、消化させることが目的だって言う感じかな。












酒が避けるなら、食べ物は向き合う。
自分と向き合うというのはいっしょなんだけど、
やっぱり質が違う気がする。