摂食障害が発するサイン
心と身体が発してくれていた
何ら中のサインに気づけず、あるいは知っていて無視し続けてきた結果が
摂食障害だとする。
けれども、摂食障害それ自体も心と身体からのサインなのではないだろうか。
最後通告というか。
「まだ、無視するの??」って。
自分の心を誤魔化し続けていて
心が分からなくなってしまっても、
心の痛みを身体が教えてくれるいる。
その身体からのサインを無視してしまっては
身体が癒えていくことは無いように思う。
「身体の声、心の声を聴きけるようになり正直に生きれるようになれば
摂食障害は楽になっていく」って、聴くけれど
まさに、そのとおりで、実は摂食障害はゴールじゃなくて、
「まだまだ抱えている不器用な生き方を
変えないとこの先もシンどい人生になっちゃうよ!」
って示唆してくれているのだろう。
今度こそは、症状化している心の叫びをしっかり受け止めて吟味して未来につなげていかなければならないのだろう。
身体はその可能性を察知し、表現をしたのである。
症状に潜む「言葉」に気づけるかどうか。
本人が気づけなくても、
周りが隠れた意味に気づいてあげられるか。
自分のなかに潜む言葉を表現できない。
自分の心の悲鳴を周囲に伝えられない。
そんな生き方を続けていれば、身体だけでなく、
心にも大きな傷が蓄積されていく。
発せられているSOSを受け取ったら、きっと
止まってしまう、人生が中断して、大きな停滞になるってわかっていた。
だから無視してきた。
そのツケが、回ってきてしまっているんだ。
☆☆
(井上洋一/摂食障害の理解と対応〜現代の思春期女性〜/メディカルレビュー社 )参考引用
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無理をしたときにそれに異を唱えてくれるのは自分の身体だけです。
身体はどのような価値観にも惑わされること無く、
正直に自分の限界を教えてくれます。
摂食障害では、一見身体に注目が集まっているようですが、
摂食障害において注目を集めているのは外観としての身体、精神の容器としての身体でした。
摂食障害の患者は身体を精神的満足を得るための
手段と見なしてきました。
しかし身体は精神が命令することに従うだけの
システムなのでしょうか。
身体もまた生きる主体として存在しているのではないでしょうか。
身体は決して精神に従属するものではありません。
身体は独自の統合性を持った自立システムです。
精神に対する独立性を保ち、個性を持っています。
「身体」を支配しようとした「精神」が、身体から手痛いしっぺ返しに
逢っているのが摂食障害なのです。
現代の病として現れている摂食障害は、
生きる主体としての身体の存在を私達に教えてくれます。
私達の身体は生きることへの独自の判断を持っています。
身体は時代に左右されることはありません。
精神が暴走しそうなとき、
私達が何者であるのかを教えてくれるのが身体です。
身体の主体性を尊重することが重要であることを
摂食障害は私達に警告しているように思います。