発覚初期の本人と親御さんへ












良い人と都合の良い人は違う。
好かれる人と愛される人というのも違う。
都合の良い人というのは好かれるが愛されることはない。






愛するということに
明らかな条件が必要だって思っていませんか?




そういう風な価値観で育てて、育つようにしてきていませんか?

















良い人を演じることに疲れてしまい、
過食をしているという人もたくさんいる。


良い人という自分をたとえ受け容れてもらって慕ってもらったとしても
それはあくまで自分自身じゃないから結局、チョットの満足と大きな不満を感じるようになってしまい、本当の自分がわかってもらえない…







で、究極の寂しさを抱え込む事になる。
寂しさってのは、世界に一人って事を
どれだけの人に共感してもらえるのだろうか。




本当の寂しさとは
一人の時に感じるモノじゃない。
周りに誰かが居るのに誰も自分を認めてくれる人がいない、っていう
他者からの無視によって発生する孤独こそが真の寂しさ
なのだ。














例えるなら、


たまーに、なんか寂しい夜が有るなぁ誰かに
電話したいなぁお酒でも飲んで気を紛らせようかなぁ





といったレベルではなく、もっと逼迫した感じ。










寂しさに押しつぶされてしまいそうとか、冷たくて何かにくるまれていないと死にそうとか、寂しさによって深い場所まで連れて行かれて戻ってくれないのではないかと思ってしまうような、もっと危機的
な寂しさ。








寂しさを抱えた自分を保っていくのはシンドい。
でも、寂しさは消えない。



だったら、寂しさを感じないようにしてしまおう!
って身体が判断する。




存在しているものも、無いと思い込ませれば、
それはないことと変わらないから








この寂しさを感じないようにするための
防衛機制として精神疾患は現れてくれます。





精神疾患という感覚の麻痺によって、
あるいは病に気を向けて寂しさを意識させないように流れるために。
流れるはず涙の代わりに、誰かに助けを求めたい声にならない声の代わりに。










こういう時に出会ったのが摂食障害です。







だとしたら、
食べたり吐いたりする事を非難して
やめさせようとしたところで無意味な事がわかりますよね。








摂食障害の出所の根本が解決できなければ
行為を消したところで何も意味が無いと言う事を。