サイズに合った服を選ぶ






過食症の人は自分の主張や好みがなく、
人に嫌われないように…
という風に自分を抑えて望まれる自分であろうと
自分自身をコントロールして生きてきた
人が多い。



それは例えば、「良い子」という役割を強いられていて、
自分を抑えて親の思いを汲んで生きてきたケースも多いだろう。
















本当は甘えたい思いを抱えているのに
親の望む強くて手の掛からない子になろうとする。





期待に応えようとするあまり自分を犠牲にしてしまう。





自己主張や自己表現をする方法も機会も与えられていないので
自分の感情や、感情に直面した自分をどう扱えばいいのか分からずに
悩み苦しむ。

甘えベタが加速してしまい、”立派な自分”でしか
両親とも接する事が出来なくなってしまう。






そんな子どもは
結果として「自分がわからない」状態になり、
そのストレスから過食症に陥ってしまう事が少なくない。











最初はリストカットだとしても
どういうわけかリスカ経由で過食症に進むケースが多いらしい。




行き場の無い感情を体内に滞留する事によってストレスが蓄積される事が
分かっていたとしても、感情を消化する方法がわからないのだ。

欲望や感情は表現することなく
全て自分で我慢するもの、という生き方をしてきたので
抱えきれなくなったストレスを、どう処理したらいいのか分からずに
過食という迂回路を使い感情を浄化させ、
どうにか自分を保とうとするのだ。













こんな風に自分を
「親の期待通りの自分」であるように
コントロールできてしまう優秀な子ほど
過食症の原因となる生きづらさ、
自己不在の自分を抱え込んでしまいやすいのだ。
















そう考えていくと、
”理想の中に在る痩せた自分”に近づこうとする力が強い拒食症も含めて
摂食障害になりやすいのは
「自分はこうあるべきだ」という「あるべき自己」に
向かって強力に自己コントロールを行うタイプの人だと言えるのではないだろうか。






あまりにも本物の自分と乖離した自分を、自分自身に強要する事によって
蓄積したストレス、これが摂食障害を呼び起こす大きな原因だとしたら
自分じゃない自分を演じようとすることを止めなければいけない




「自分はこういう自分にならなきゃ!」という事を目標にするのは
決して悪い事ではないけれど、
自分を追い込むような”行き過ぎた期待”を自分にかけるのは間違っていると言わざるを得ない。




期待というのは、「現状の自分では足りない」という
”自己否定”以外の何者でも無いのだ。






今居る自分を受け容れていくためには
あるべき自己に向けて鍛錬するのではなく、
「あるがままの自分」を承認するようになれることが重要。





ここで大切なのは、
家族などの評価や価値観にとらわれないこと。


他人の評価ではなく、
自分の感覚を重視すること。









本来、本当の自分というものは
どこかから持ってきて身に付けるものではなく
あらかじめ内側にある。
探すのではなく見つける。



自分の中にある自分をしっかり見つける。















体重増加を受け入れる代わりに
生きやすくなるって言うトレードオフが前提だけど
そろそろ、自分のままで生きてもいいのかも。


自分が着たい服に自分を合わせる生き方をしてきた。



理想ばっかりを追って、「自分はこうあるべきだ」って
目標とする服に自分を何とか合わそうとしてきた。


そのままの自分を否定し、「もっと良い自分」になろうとして
結局は自分を失ってしまった。









なんて愚かな事なのだろうって今になって後悔。







ただ、これからは
自分の体型に合った服を選ぶ、という生き方をした方が賢明なのかもしれない。




自分を諦める。
前向きで肯定的な諦念。

身の丈にあった生き方を
選択する。




ボロボロになるまで追い詰めて、理想を追ったのだから、
後悔はない。




ずっと、”こういう自分じゃなきゃダメだ!”っていうことに
必死にフィット
しようとしてきた。


それを叶える力は持てなかった。



だったら、理想を追い続けた自分は死んだと思えばいい。
残った現実に居る自分を生きていけばいいのだ。


そして、
あるがままの自分に似合う服を購入すれば良いだけだ。










自分のサイズに合った服なら、
この世に溢れているのだから。


サイズだけでなく、色もデザインも豊富にあるだろう。



サイズという理想から解き放たれたとき、
本当に自由な選択をすることが出来るのかもしれない。