入院 その②
入院するくらいの窮地まで追い込まれた体の状態だったんだけど
24時間点滴につながれて4日位すると、
それなりのカリウム値に戻った。
ただ、身体が元気になると
結局、現実が襲ってきて、生きている意味とか存在価値とかを
実感できて居ない自分が戻ってきて、寂しくなった。
くっだらない人生だと思った。
「朝起きて昼間を時間つぶしのように生きて夜は眠れるまで眠りを待つ。
三食食べて寝る。この毎日が退屈だし、いやです。
人生がくだらなくて仕方ないんです」
って主治医に訴えた事があった。
そうしたら、何のヨドみもなく言葉が返ってきた。
「3食食べて寝る生活は誰もが繰り返す、人間の基本だよ」
って、当たり前の事として諭された。
主治医が何気なく放ったひと言がすごく印象に残っている。
その時は、「なんだよ、病人の訴えなんだから、もっと優しく扱え!」って思ったけど
今思うとあぁその通りだったなあぁって思った。
人間の当たり前の営みが
どうしようもなく苦痛なくらいに
人生に嫌気が差していたんだろうなぁって今思っても寂しくなる。
☆
どんなに刺激的で華やかな仕事をしている人でも
基本的には毎日同じようなこと、くだらないと思っちゃうような
毎日を繰り返して生きている。
その繰り返しが嫌だ!ってのは
やっぱり毎日というか人生がくだらないって思いながら生きているんだよね。
たまに日常に飽きて、面倒になるならいいけど
日常的に”つまんねー”って思っているのは
やっぱり満たされて居ないか、ADHDの特性が出ているんだろうなぁって
思う。
摂食障害になったから、嫌気が差したのか
それとも嫌気が差していたから摂食障害になったのか、
どちらが先なのかは、計る術も無いが
いずれにしても空虚な日々の連続だったんだろうなって
悲しい。
やっぱり、入院中だけでなく
それまでの人生もくだらなかった。
さしたる目標も無ければ
深い関係を築いた相手もいない。
心の空虚な人間が
生きて行こうなんてどうして思えようか。
☆
思えば、入院者としてしっかりしなきゃ、っていう思いと、
こんなところで入院しているような存在ではない。
いい子で手のかからない人間でなければって思っていたような気がする。
摂食障害の症状は
単なる勉学などのストレスによるものではなく、
その人生に対するあまりに深い絶望が
心を張り裂けさせていたのだと思う。
自分で自分が分からなくなったせいで生じたものであるということが
今頃になってようやくわかるようになった。
意味の無い人生を感じている自分を破壊する事で
なんとか意味の無居人生から目を晒そうとしていたのだって。
自分を失っているという現実を
より強く自分を失わせる事で、なんとか忘れて、自分を守ろうとしていたのだ。
死にたいっていうのは
健全に、より良く生きていたいんだよ!っていう
願望が隠れた叫びなのかもしれない。