過去に作られた過去を乗り越える!


原因にも原因がある。
原因が作られた原因がある。











なんか、鶏卵の言い合いみたいな話ですが
この事を理解できるようになったら、
私達は優しくなれるのではないだろうか。



トゲトゲしい自分から解放されて
ラクになれるのではないだろうか。










そして、
「原因を知る事」と「原因を責める事」の区別がつき、
自分の中でも整理がつく。


原因が人ならば、
その人物を憎む感情も薄らいでいくだろう。





何が言いたいのかというと
原因と犯人をぶつものとして扱うことでき、
犯人探しにピリオドを打つこと
が出来ると言う事。







「誰が悪いんだ、誰がこんな自分にしたんだ」って
犯人を捜して自分の怒りをぶつけるのではなく、
客観的に起きてしまった出来事の流れ(原因)を理解
する。









人が人を憎むというのは、ヒドい徒労感が残るだけで
決してポジティブなモノを生み出すことはない。



だから起きてしまった出来事だけ、
つまり原因だけにフォーカスをする。







起きてしまったことには恐らく突き詰めれば犯人がいるでしょう。
けれど、見つけたところでせいぜい積年の怒りをぶつける事が出来るだけ。







怒りは幾ら相手にぶつけても消えることはない。
なぜなら、怒りの出所の過去が変わっていないから






怒りが消えていくとしたら、原因の背景や成り立ちを知ることで、
自分の内部でその出来事を受け容れて納得していくこと。





そして、原因が分かると、
不思議と何も解決してなくてもスッキリする。






さらに、原因という名の犯人を憎む労力がなくなるので
肩の力も抜けていく。


そして憎んでいた労力が
受け容れていく事に対するプラスの力に転換されていく。









自分が何に苦しんでいるのか、どうして今の状況になっているのかという原因とその成り立ちの真意を掴む。


そしてその真意が、
自分の内部で折り合いが付き納得する事が出来れば、
ツラかった過去を乗り越えていける。











そういう力を私達は持っているのだと思う。





過去に縛れない現在を手にする権利は
手を伸ばせば手に入るのだと思う。










☆☆



ファミリー・シークレット

ファミリー・シークレット



(柳)


幼稚園以前のときに、母の背中を目指して歩いていって、
「ねぇ、ママ、ねぇ」と呼びかけても、振り向いてくれないというか、
かなり近い距離なのに、全く聴こえていないかのように扱われることが多かったような気がします。
母には余裕が無いほど事情があって母なりに葛藤を抱いていたのでしょうが、無視されるのは辛かったですね。だから、私、しゃべりかけて、返事が無いってのがダメなんですよ。
メールや手紙を送って、返事がもらえないときもガックリとか寂しいとか
そういうレベルをいきなり飛び超えて、死にたくなる。





(長谷川)
まだそこで、「ちょっとうるさいから向こうへ行って」とか
「まとわりつくんじゃないの!」とかね、お母さんが反応していれば、
違っていたと思うんですよ。
これは、娘の存在をまるごと否認しているような感じですからね。
これは典型的な心理的虐待といっていいですね。
そういう扱いをすることによって
「おまえななんて産まなければよかったんだ」とか
「おまえなんて邪魔で不要な存在なんだ」というメッセージをストレートに伝えてしまうことになるんですよ。


子ども時代の柳さんは、大人になることを求められていた存在だった。
お母さんのことをもう少し離れたところから観察して、
「今何が起きているんだろう」とか「今は触れないでおいたほうがいい」とか、大人の頭で分析し判断する、そういう子どもになっていた。


子どもらしい時間を生きていないんですね。
だから、今こそ、子ども時代の生き直しに挑んでいる。



娘の存在を否認する母親がいた。
それが原因となって、柳さんは自分の身に降りかかった出来事を秘密にしておくだけでなく、
自分でも「言うに値しないことなんだ」「大したことではないんだ」と思うようになっていた。



それがやがて心の真実の否認に繋がってしまう。



本当は誰かに聴いて欲しかった感情、キャッチして欲しかった感情、
生き生きと味わわれるべきだった感情、それを押し殺して、
なかったことにしてきている。


そして、殺して無かったことにしているはずの過去の感情が
実は隠れていただけで内側に残っていた。
重くフタをして殺しておいたはずだったのに、生きていた。
フタを突き破って暴れ始めて内部を徹底的に攻撃している。








柳美里/ファミリーシークレット)














このやりとりから学べるのは


人はそう簡単に過去や感情を無かったことにはできない、ということ。



感じないように忘れたフリをして、奥のほうでフタをして封印して
あたかも存在しなかったかのように扱ったとしても
無かったことになんかできない。


個人差はあるにせよ、
その感情たちを再び味わい向き合わなければならない
時が来るのだ。









怒りはその場面ではなく、
その人の心の中に溜め込んできた未解決のものに向かっているのである。







心のリセットは、心を白紙に戻す、ことではありません。
また、そんなことはできっこありません。



生活の中からちょっとした現象やきっかけをつかんで、
考え方や生き方を無理の無い程度に調整することです。







ただ、別の見方も出来る。
つまり、向き合うための強さを培う時間を稼ぐ為に、
別の場所に保存してフタをして封印しているということ。




幼ければ幼いほど、感情と直面化するのは困難だ。
課題を未来の成長した自分に預ける






そして、押し殺していた感情たちが暴れ出すと言う事は、
向き合える力が備わってきているからこ時期だからこそ
無意識にその感情たちを解放して味わっていこうという意志の表れだとも
捉えることができる。





もちろん、力が備わっているといっても、大いに苦しみダメージを負うのは当たり前のことだ。そんなに甘いものじゃない。



関わるために関わらない時間、自分の時間を大切にする必要がある。
人と向き合うのってすごく神経使うから
向き合うためには、向き合わないことが本当に大切だ。













過去が気になっているのは
過去を乗り越えていないから。


一見、解決したように装って
通過してきたシコリや痛点が実は
単なる先送りをしただけであって、
いつまでも抱えてしまっている。





それらのネガティブから解放されていないから
内側からジワジワと自分を傷みつける。




いつまでも先送りにして本質的な解決をしないから、
ドンドンとダメージが蓄積されていく。




過去は抹殺しようと思っても残念ながら出来ない。
なぜなら、現在を構成しているのは紛れもない過去だから。


だとすると、過去を乗り越えるには
向き合っていくしかない。



どんなツラい過去だったとしても
逃げずに全身全霊で受け止めていくしかない。


消えてくれないなら、仲良くとまではいかなくても
関係を修復しなければならない。
いつもそばに居るなら、なおのこと悪い関係のままでいたら気が張って
疲れてしまう。






悲しみに耐えられる強さが身についたかなぁと
思えてきたなら、過去に挑戦すればいい。





過去を乗り越えれていないのならば、
今から乗り越えればいい。








ただそこには絶望的な悲しみが必然的に襲ってくるだろう。
肝心なのは、ダメージを負うんだという心構えを準備していくことだ。





過去をツラい過去になるか、いい過去になるかは、
全部、今の自分にかかっている













・過去と過去によって構成されている現状を
 ありのまま受け容れる事


・悲しむことを恐れない勇気




この二つがあれば、
過去・未来・現在




全てを変えていけると信じている。





過去を受け容れていくと
ツラい過去を否定する労力が減る。




現在の負担が減れば、
少しずつ未来を創造するための力が戻ってくる。




未来にはツラい過去だとしても、それがあってよかったと思えるに過去に変えていける力があるのだともう。



そして過去を変えていける未来を作るのは豊かな現在だ。





こういう風に考えていくと、
現在を生きて未来を作っていくためにも
最初に着手するべきなのは
過去との関係なのだ。







過去と向き合い関係を修復していくことで、あきらめていた現在と未来が
再び輝きを取り戻し、現在が作っていく未来が、過去をよりポジティブなものに変えていくことが出来るのだと思う。




大切なのは現状をどうにかしたいとモガくのならば
まず、過去との点検して折り合いをつけなければならない。


そんなような気が実感としてあるのだ。







過去との関係が修復できないと、
自分を責めることばかりが得意になっていく。








そんなことが続くのは、あまりにも悲しすぎる。














現在を苦しめている過去を知るとラクになれる。



過去を苦しいと感じる理由、つまり原因と背景と成り立ちを
理解することで少しずつ固執や執着が薄る。


自分で作っていた壁、守ってくれていた壁を
壊して外の世界へと視界が広がりつつある。


知ること、犯人を責めないで原因の理解すること、仕組みを知ること、
そうすれば起きてしまった事実は変わらなくても
自分にとっての過去は形を変えていく。


納得できると折り合いがつき、
犯人を責めることは無くなる













自分自身なんだ世界を変えるのは。
成長した自分の内側での解釈が変われば世界は変わっていく。





自然なことなんだ世界が変わるのは
自分の解釈が変われば、世界は変わっていく。荒廃した世界にも命の息吹が。















そのためには、まず現実を受け容れること。

起きてしまった事、うまくいかない現状を嘆くのではなく、
ただただ、今ある状態、いまある自分を
そのまんま認めちゃう。



あとは、しっかり悲しむこと。
継続して悲しみ、悲しみ抜くことは非常にツラいし
投げ出したくなるけれども、
悲しみぬくことによって、その悲しみは心を強くしてくれる。

心が現実を受け止めるため容量と強度を高めていく材料に
悲しみは成るのだと思おう。

だから、悲しみを途中で投げ出さないで
しっかりと味わう。つらいけど。

味わい抜いたときには、心が大きくなって強くなり、
過去を受け止める事が出来るようになると思う。

悲しみから逃げたりお酒とか薬なんかでごまかさないで
しっかり味わうことが、受け止めていく心を作っていくのに
とても大切になるのだ。












過去を乗り越えるには、過去を受け容れて
存在を認めようとしなった嫌な部分との関係を修復していくことが必要




どんなに荒んだ現在を抱えていたとしても
過去を変えて、過去を乗り越え、
未来を展望できる現在を捕まえることが出来ると、僕は信じたい。