防寒のための傍観




痛みは寒さ冷たさに似ている。
正面から受け止めると、凍えてしまう。



だから、傍観して自分を安全な場所にとどめようとする。






そこにある人間の優れた機能が解離なのかもしれない。















心の内側が死んだ、あるいは麻痺したように感じている人によって、
生活は喜びが欠けている様に感じられます。
まるで自分以外の人は皆、色のある世界に生きていて、
自分だけが白黒の世界に生きているようです。






彼らは自分が人生の参加者ではなく
傍観者であるかのように感じるのです。




離人感に近い、自分を自分で上から見ている感じ。
おおよそ、自分に降りかかっている現実とは思えない。



現実を生きている感覚が希薄。









いったい、何が起きているのだろう。









恐らく心の機制として、現実と向き合うと潰れてしまうから、
解離させてくれていたのだと思う。


だから、無意識にかもしれないが、
とりあえず痛みからは逃れる事が出来ていた。










けれども、それで問題が解決しているわけではない。











「人間は本当に困らないと本気で変わろうとは思わない。」


それは確かに層なんだけど、現実と理想の自分との折り合いがつくまでは
危機感を感じても、苦しむべき。







あまりに速く回復しすぎるのは、悲しみを充分に味わえていないっていうのは完全に乗り切ったとはいえないから、再発の確率が高い。












自分の失敗から目をさらさずに
「ああ、あんな恥ずかしい思いをしてしまったな」と振り返ることが出来る人は実は、「そんなこと、もう忘れたよ」と強がる人よりずっと強い心の持ち主だ。





そして、自分で自分の失敗を認めることができたら、
次は他人の失敗に対してもやさしい目を向けることが大切だ。



「私もあの人もときどき恥ずかしい失敗をしてしまうけれど、それでこそ人間」と思う心の余裕ができたら、どんなに暮らしやすい世の中になるだろう。











立ち直ることよりも、立ち直ろうと思ってくれたことが嬉しい。
周りの援助者は、そのことが達成感に変わっていくのだろう。


結果を求められていると思うとプレッシャーになる。
まずは、立ち向かえる場所まで行く。




ちょっとずつしか進めないから。