痩せれども痩せれども… 〜巨食症と寡食症〜



『痩せても痩せても
 痩せるのを止められないのはなぜか』





























摂食障害の大前提として




■体重がメインじゃない







体重を落とすことに集中、あるいは
落として不健康な自分になることで
何かを伝えようとする。
だから、その芯の目標が達成されなければ痩せる行為に終わりは無い。



どこまで痩せても満足も出来ない
痩せたいのが真の目的じゃないから)












摂食障害で表現される「思いと心」










■痩せた=太る恐怖を獲得










純粋な拒食症、つまり「過食を伴わない拒食症」では、
痩せても保守的な外見を崩さず、
むしろ自分の痩せた身体を隠すような服装をすることが多いようです。
また、「痩せて流行の洋服が着られるようになりたい」という
願望よりも、”太るのが怖いという恐怖”に支配されている印象を受けます。





痩せを達成したのに、今度は太ってしまう恐怖によって
ますます痩せを得ようとする。


どういうことか。


痩せた身体まで自分を我慢させた。
この痩せを手に入れたということは、さらなる恐怖でもある。なぜなら、
「太るかもしれない…という恐怖」を獲得することでもある。



好きな人に告白をして
お付き合いを出来るようになる。
この時に得たのは嬉しい感情、だけではない。
失うかもしれない、というマイナスの感情も同時に抱えることになる。


これと一緒。
「得る事と失う恐怖はセット」になっているのだ。






そして、メリットを得ると
デメリットが発生するのは
拒食症と言う病の悩みの中核をなす要因である。
















■「こんなに頑張っているのに、何で分からないんだ!」







拒食症は「頑張り過ぎて身も心も滅ぼしていく」病気。
どっちに行っても解決できない状態に追い込まれた心の痛みが
拒食症という形になって現れた。


どういうことか。




(病的に)痩せることによって必死に愛情を求めているのに、
気づいてもらえない。
もしも、痩せることを止めるとする。
それは、「愛情を欲しい」というサインを出すことを諦めることになる。
痩せることでしか伝えられないメッセージを発信するのを止めることは
死ぬことと同じくらい辛い。


一方で、痩せたままで居続けると、メッセージは発することは出来るが
身体の方が悲鳴を上げてしまう。
身体の生きるエネルギーが削られ、こちらも死に近づく。


どっちを選んでも、死の状態になってしまう。




拒食症の中学生は次のように涙ながらに語った。







「もうだめなんだ」ということをお母さんに言ってしまった。
(そんな言葉を)吐き出してしまった。
お母さんは善意で「頑張って治そう、しっかりして」と言ってくれるのに…。
私いろんなことを我慢して頑張ってきたのに、
分かってもらえなくて…お母さんの前で泣き出してしまった。
でも、お母さんはどうして私が泣いたのか分からなくて
困っていた。






















■自分が消えていくのが快感





拒食症の人、とりわけ過度の運動を行う人は、
エネルギーが高まっていく感覚や心身に満ちる幸福感、さらにはハイな気分などについてしばしば次のように口にする。





「常に限界に挑む運動で引き締まった筋肉質の身体を作ろうとすると
 自由になった感覚や万能感、身体が軽くなったような感覚を得ることができるーーまるで空でも飛んでいるかのように!!」









つまり、苦痛は快感なのである。
彼らにとっては痛いほど、我慢するほど、耐えるほど、
快感が増すのである。


身体をイジめるためだけの運動
(体力を向上させたい試合に勝ちたい、
もっとうまくなりたいのではなく、ただ限界を味わうことが目標)



身体をいじめるための絶食状態
(痩せたいのではなく耐えることが目的)






そして、ある拒食症はの男性は
(外から見たら)自分への虐待行為について、こう語る




「私の一番の関心は”飢餓”だった。
 どれくらい長い間食べ物なしでいられるかをめぐって、
 私は自分自身と”戦って”いたのだ。
 その戦いはしばしば、数日間にも及んだ。
 あのとき、私が飢餓の旅を続けてまで必死で求めていたのは
 きっと”今とは違う私”に辿り着くこと(今の自分は大嫌い??)
 だったのだと思う。
 しばらく食べていないと、ハイな状態や強い興奮を感じるなど
 不思議なことがよく起こった。
 休憩を入れずに過度な運動をしているときにも
 同じようなことがよく起こった。
 でも私が一番夢中になったのは無感覚(≒消えられる?)に
なれたことだ。
 ただ何も感じず、消えてしまうこと。」











こうした彼の態度を見て「それ以上、痩せる必要ないよ…」と周りが説得をしたときに、
ポツリと次のように心境を語ってくれる



「私は、どれをとっても、パッとしないの。だからせめて拒食症だけでも、頑張らなきゃ」






と、周りから見れば羨ましい、いや、
ちょっと”引いてしまう”ほどの状態であっても
本人にしてみれば自分は全然ダメなのである。




そして頑張ること≒耐えること、我慢すること、が出来ている生き方を
感じるために自分に我慢をさせる。
我慢をしている、耐えていることにプライド感じて生きることでしか
枯れは自分の存在がここにあることを確認する術を持たないのだ。











■ダイエットにハマる






ある拒食症の女性は次のように語る。






「あっ、痩せられたと言うちょっと喜びみたいなものがあって。
 やっぱり痩せるのは面白かったと思いますね。
 面白いように落ちたからやっぱり、
 いけるところまでいって、
 そのときは何キロになりたいっていうより、
 いけるところまでいきたいって思った。 
 痩せたいっていう気持ちは
 食事コントロールすれば痩せるから、
 それでますます加速しちゃうみたいな。」
 





ダイエットに成功することで
痩せ願望が強まった
ことが分かる。



ダイエットには
ダイエットするから(原因)→もっと痩せたくなる(結果)という側面がある。












■痩せるのを諦めるのは弱い自分








身体が物理的に疲労するとかそういうことを無視しちゃう。
精神力でどうにかなると思う。
身体ってものを忘れちゃう。
それに、もともとが、食欲って抑えられないと根性がないとか言われること緒がある。
精神力がないとか、
そういうふうにみんな思い込んでいるんだと思います。
食欲って言うのは
もともと、精神力でコントロールしようとしてはいけない。
しかし精神力でコントロールしようと努力するところからはじまる。
できないと精神力が足りないって思っちゃう。






体重は自分の精神力でコントロールできるものだと思っていた。
だから、思い通りに痩せられない場合、
「自分がだめだ」という自責感が生まれる。

そして、だめな思いを消すためにさらに
食べるか食べないかを、より頑張ってしまう…


抜けられないループ。。














◇根っこに横たわる"自己否定"について
















■自分を認められない






▲痩せることを諦められないのはどうしてなのか。








・痩せることに救いを求めている。


・痩せること自体にトリコになっている。


・体重を管理しているという安心感。


・体重を管理することで自分から自分への評価、そして
 周りの評価もコントロールできている安心感がある。

主に、このいう要素によって
「安心感」と「達成感」、そして
「心の平穏」を獲得
していると思われる。






ただ、最も根幹にあるのは
「今の自分のままじゃいけない」=「自分大嫌い」という
”自分への拒否”なのではないだろうか。






今のままの自分では、許せないのだと思う。

定期テストのために、やりたくもない勉強を”してしまう”のは
今のままの自分じゃ、今回のテスト範囲を通過できない(赤点以上)をとれないからだ。
あるいは、欲しい評定には届かないから。


試験範囲を勉強しない自分じゃあ、テストを「通過できず」に進むことを
「許されない」から。




今の自分じゃあ、これから先を生きていくことを許さない、許されない。
そういった、自分への強烈な存在価値への疑念=拒否、が
食べ物と言う生きるエネルギーを摂取しようとしない疾患の
根幹を成している、のかもしれない。













男の子でも女の子でも子は親に従い、
親を助けようとする。
しかし、助ける方法は男女で異なる。



酒乱の父親がいるとする。



お酒を飲んで機嫌が悪くなると
母親をなじり、時にはものを投げて暴れる。
そんな時に、女の子は父親のそばに座り、父親の機嫌を取る。
一方、男の子は自分の部屋に入り
一生懸命に勉強をして母親の期待に応えようとする。

大きくなったら、僕が助けるよ、と。


性が違うから、男の子はお母さんと同じようには生きられない。
彼らは母親を支えようとして病気になる。