のりぴー、ゴマキ、そして高みな




「肉体的にも精神的にも疲れていました。
 わたしは他人に期待されると頑張りすぎるので
覚せい剤を使用すると)からだが動くようになる
 と言う感覚がありました」


酒井法子被告の裁判での弁述)













この引用とタイトルだけで
ゴールが見えてしまう人も居るかもしれません。


結論から言うと
『「いい子」は未熟な親から作られていく可能性が高い』という事です。




自分が育つ前から社会への適応が自分の行動規範になっているから
自分が分からない。外部が基準なので外部から求められれば
それに応える内部であり続けようとしてしまう。


応えようとしてしまう。
望もうとも望むまいとしても…
これは未熟な親からの見えないトラップ。
愛情を担保に取られた搾取が起こっているのだと思う。






◇生き方の基礎は養育環境が作る















さっしーと高みなさんが好き








「推し」って多分、好きとかファンとかっていう以上の意味を持ちそうな気がするので
とてもじゃないけれど使えない。
ただ、さしはらさんと高みなさんは、頑張るなぁという印象がある。




さしはらさんはグータンヌーボに出演していたときに
場を盛り上げようと会話を積極的に生み出そうという意識が高かったし
高みなさんも、なんだったかのドキュメンタリーで
自分を高めつつもマトメ役もこなしながら、雑用も献身的に行っている場面があって、
パワフルだなぁという印象を持った。




努力の人たちなんだろうなぁというのが特に伝わってくる。
頑張っていない人はいないが、別に主張しなくても頑張りが伝わってくる人が好きだ。










■高みなさんの周りの評価と家庭環境?



ウェブで拾った記事の中で
僕がひっかかったワードはこれ。




●類稀なリーダーシップでAKB48全体をもまとめる高橋みなみ(20)


…自分の事だけでもシンドいのに、他メンバーの事に気を配れるっていうのは「いい子」として(自分を犠牲にしても)他人の面倒をの行いが身についているのではないか?


●高橋の弟は地元では不良として知られており、
 両親が数年前から別居し、離婚をしていたため



 …母と弟、あるいは父親の「面倒を見る役」を担っていた?







●総合プロデューサーである秋元康氏から、
「頼まれずとも研究生にダン スの振付や礼儀作法を教え、
 自身でも実践しその姿を見せることで後輩をさらに指導している」と
評価され、さらに 
「あれだけできる子が誰よりも早く来て、ストレッチをして
ケガをしない ようにしている意識の高さ。
 AKBの意識の中心なんですよね」と語られた高橋。


…完璧さを求め頑張れるのは、内面の枯渇を埋めるため?






ちなみに、
のりぴーゴマキのケースと
共通する要素もいくばくか在る。





・両親の離婚
・片親。しかも母親と一緒に生活。
・そもそも家族がおかしい。自分自身は正常に芸能人をこなす




共依存とかアダルトチルドレンとかっていう概念があって、
こういった不全な家庭の欠損を自分を削って補う役割を担わざるをえなくなると
どうしても、頑張れる子どもに、そして大人に成長していく
のは
ある意味で必然なのかなぁと思う。
幸運にも高みなさんの場合は、この荷物のおかげ?で
大所帯を束ねる基礎が身についているのだが…









■「いい子」と評価しているのは周りであり大人

いい子ってどういう子か。
「いい子」って誰から見た評価なのか。

これは大人の都合を考えて、大人の”資源”を効率よく大人が使えるように援助してくれる子の事ですね。


子どもは大人(親)の期待を読み取りその通りに、それ以上に適応して
親を喜ばせようとする。
その無垢な愛情を大人は自分たちの満足のために利用してはいけないのだとしたら、
これはもう、幼い頃から被害を受けている、事になるんじゃないでしょうか。










■他人の感情にも責任を感じる





常にご機嫌を取らないといけない役目だったら
自分と他人と境界線が曖昧になる。


あの人が不機嫌なのは私のせいだ。
他人の感情は私が満たしてあげないといけないと、
親との間で学んだ人間との付き合い方をスライドさせて
常に求められることをこなそうとする(ニーズを満たせ得る自分)

さいわいにして
ファンの感情を常に大切にして快を与える、ご機嫌を取っていくというのはそういう家庭で育てばお手の物である。
むしろ、そこに自分の価値を見出すかもしれない。






◇自分を支えるもののバランス




■自己愛=自分(の心身)を大切にしようとする意志




自己愛とは「自分を大切にする力」
自己愛がうまく成長していないと、
自分を本当の意味で大切に出来ないのです。
自己愛が目先の欲求を優先して
満足を求める段階に止まっていることもあります。
いわゆる「自己愛的」というのは
そういう状況を指すのですが
その場合も、本当の意味で自分を大切にしているとは言えません。
大切にしているようで
実は損をしているということがよくあるのです。
また、自分を傷つけたり、
自分を過度に卑下したり、自分の気持ちを殺してまで
相手に合わせたり、そんな役回りばかり引き受けたりする人も、
自己愛に傷つきを抱えています。


そのままで愛されなければ
穂のものの自己愛は育たない。
しかも評価でしか愛されなければ、評価が下がらないようにいつも不安になり、安心できる材料=評価を求めるようになる。








■他者評価が自己評価に直結しやすい現代


キャプテン(木村拓哉さん)もラジオのインタビューでは
「僕らは求められる事が何よりも嬉しい」と語っていた。
確かに仕事はニーズに合わせて相手の利益を位階に提供できるか、
という事が大切だ。
芸能界に身を置きたいと思う人たちなら
なおのこと、他者からの賞賛を得たいと思うのだろう。


しかし、それがもし、
家庭でも続いていたら?日常的に常に家族(両親)のニーズに添うように
暮らしていたら…。

常に評価だけが自分を肯定してくれる材料となり、
限界を超えて少しでも評価される自分になろうとする生き方が
定着してしまうのでは、ないだろうか。












■スーパーキャリアウーマン症候群


小学校の時、先生に「チクる、告げ口する」のは大抵、女の子でした。
女性は正しく生き評価をされるように生きている。
期待に応える順応性もその能力も男なんかよりある。


ゆえに、娘として母として妻として、女性性として、社会の一員としての女性、と、
もう、全部に応えようとしちゃうわけです。

そうやってただでさえ他人からの評価を気にする特性を持つ女性が
評価でしか自分を支えられなくなったら、限界を無視して
徹底的に相手から認められるよう、ニーズに添って行動するようになってしまってもおかしくない。



その背景にあるのは、
親からの無条件的肯定をしてもらえなかったから。
常に親に何かポジティブな要素を与えて初めて褒めてもらえる。
それは、何かを与えないと褒めてもらえないという裏返しであり、
常に評価を獲得しようと自分を超えて頑張ってしまう。


愛してもらうために。







■虐待=健全な発育を著しく阻害する行為


虐待は
身体的、性的、心理的、ネグレクトの4つに大きく分けられるが
暴力を使った虐待はごく一部に過ぎない。
虐待は何も暴力やネグレクトだけじゃない。



親があるがままの子どもを受容しないと
子どもは自信を失い、「いい子にならなければ嫌われてしまう」と、
自分の欲求を押さえ込んで他人の欲求や期待に応えるために
自分のためじゃなくて他人のために頑張るようになってしまう。


子どもの子どもとしての大人への発育を阻害する、つまり親の都合で振り回す、
親の自己満足のための道具に使われた場合、
これも虐待なのではないだろうか
















◇まとめ




■自分じゃない自分

良い評価を得られる事をしないと褒めてもらえなかったり愛してもらえていないと感じた場合に
ひたすら自分に評価される要素を身に付けようとする、相手の意向に添える自分に成ろうとする。


養育者(親)に気に入られるために、
素直で、おとなしく、かわいらしい女の子を
アイドルのように演じなければならず
家の中でも常に舞台に立っているような緊張をしいられていたのではないか。







■荷物は人を強くする



ただ、今回は親自身が問題を起こしただけで
高みなさんは何一つ関与していない。何かトラブルがあったわけでも体調を崩したわけでも
精神が崩壊したわけでもない。
つまり、恐らくおかしな家庭だったであろう、家庭環境に耐えられる強さを持っている人間だったのでしょう。
145cm?のあの小さな身体で100人以上居るメンバーを束ねているのだから。
ただ、そんなことは小さい頃から抱えさせられてきた家庭の問題への対処と比べれば大した負担ではないのかもしれない。


つまり、ハードルの高さが(今のところ)プラスに働いている。
いや、何よりも彼女の逞しさを支える源泉になっているのでしょう。


だから、ある意味で、このダメ家族は(アイドルとしての)高みなさんにとっては皮肉にも最高の環境だったとも言えるかもしれない。


願わくば、この先、幼い頃からの頑張りの蓄積が
大きな燃えつきを生み出さず
に活動していただければいいなぁと思う。
あるいは、得られなかったであろう愛情を求めて、
おかしな恋愛や結婚に辿り着かないで欲しいなぁと
かなり個人的願望ではあるが思う。


その一方で、もうちょっと誰かを頼ればいいのになぁと思う。
きっと、自分で出来る能力があるゆえに、
極力自分で抱えてしまうのだろうなぁと思う。


「辛いときでも誰にも頼れない」っていう環境で育っているなら
誰かを頼るという方法も身に付ける機会もないだろう。


これも、未熟な親が親になろうとした弊害、負の遺産、親から受け継いだ後遺症なんだと思う。