コントロール願望結実の道具としての体重

拒食症によって生じている現象は
食べることの意味の変質。


食べる目的が生きるため、
つまり生物として生存するためという基本から離れて
勝ちある自分(痩せた自分)を作り出すための手段と化している。



摂食障害の理解と対応 ー現代の思春期女性ー 井上洋一 メディカルレビュー社)







▲操作可能な社会






ネットにコンビニに、携帯電話。


私たちは自分の欲求を即座に満たせる道具を手に入れた。
ちょっとでも不快な思いを感じたり、欲しいと思ったことは
すぐに叶えられる社会が到来した。



欲求を我慢する必要が無い。
欲求を主どおりにコントロールできる。


素晴らしい世界だ。夢見ていた時代が来た。
何も不快なことの無い、成熟した社会。



しかし、困ったことが起こる。
時代が一気に進んでも、人間の心や精神は
そんなにすぐに成熟はしない。



コントロールできるのが当たり前に成ると
コントロールできない状況、つまり、思い通りに物事が進まないことに耐えられくなる。
あるいは、なんでもコントロールできるものだと
錯覚
するようになる。


そう、自分の身体、そして命さえも。








拒食症、あるいは摂食障害と言うのは
こんなコントロールできることが当たり前と錯覚つつある現代人が
陥るのは当然と思える社会病理として捉えることができるのではないだろうか。




拒食になる女性に多いのは、
勝気でしっかり者として頑張ってきた「良い子」です。





以下のコントロールしたがりの拒食症の人々の声を聞いてみよう。










母親に対しては、母親を求めながらも対抗心と反発心を募らせて
「親にコントロールされている」という不満をもち、親をコントロールしてやりたいと
思いますが、それはできません。


一方、食物の摂取量をコントロールして減らせば、
肉体は確実に痩せます。


拒食によって本能である食欲や気にかけている体重を、
自分でコントロールできていると思うのです。



「母親にいつも「あなたならできる、やれば出来る子」と言われて育った。それで、私は特別出来る子なんだ、特別な存在なんだと思っていた。


ーーあなはできる子だ、がんばれっていうのは、やれよ、と押し付けら得ているのをあんまり替わらないんですよね。
すごく、ストレスになるんですよ。
そこに出来る子だと思っていて、出来なかったときの空しさ。」







体重を自分でコントロールできているとうことに
100%自分の評価を見出していた。




数字って自分の位置だ分かるって言うか、
他に証明できるものってない。
数字だけでは証明できないものたくさんあるのでは?


ーーそうなんだけど、そういうのって、信じられない。
体重計は裏切らないっていう意識でした。
食べなければ食べないだけ体重が減っていく。
人は裏切るかもしれないけれど
自分で(拒食)したら、
そのまま体重に反映すると思ったら、
やっぱりそこにはまっちゃう。
他(数字以外)って評価する人によってかわってしまう。





全部自分の精神力でコントロールできると思ってたから、
減らすんだったらがんがん減らせると思ってたから。
それでも増えちゃうってのはなんか努力が足りないんだって思って。
体重イコール自分の精神力、みたいな。




体重は自分の精神力でコントロールできるものだと思っていた。
だから、思い通りに痩せられない場合に
自分がだめだ、という自責感が生まれる。








なぜ、体重をコントロールしたいのか。
STEPあやさんは、こう分析する。


自分で自分を満たせないから、人の評価や、それが得られる結果や数字など、自分以外の何かに頼って空虚感を満たそうとしてしまうのです。

ですが、そうしたものは常にコントロールできるものではないので、
うまくいかないときは存在を否定されたかのように落ち込んでしまうのです。




自分を抑える。食欲を我慢する自分、体重をコントロールする自分。


このコントロール願望、そして、自分の欲求を抑えるという自己コントロールは、どこから生まれるのか。






■我慢をする生き方は受け継がれる




母親の我慢が強いと
娘はその我慢を学び取り、
そのとおりに生きようとする。
しかも、子は親以上に学んだ生き方に忠実であるから
娘はより完璧な我慢をするようになる。
そして、その子が思春期になって、自立しようとするとき、
培ってきた我慢は自然な欲求を抑えて、
もっと、ずっと、我慢し続けようとする。
自立したいという欲求が強くなればなるほど、
我慢の力も強くなる。

すると、我慢が自己目的化する。


一度、我慢が自己目的化してしまうと、
最初に何を我慢してきたかは
見えなくなる。


拒食症の母娘が見えなくなっている我慢は何かというと
感情を表現することの我慢である。


人は、辛い、楽しい、苦しい、嬉しいなど、生活その時々の感情を
言葉にして気持ちのバランスをとり、
あるいは誰かの共感してもらって
緊張をほぐしている。
拒食症の母娘はそれを我慢している。
だから、いつも緊張が解けない。



では、自分の我慢が見えなくなったときに、
人は何を我慢しようとするのか?
食べないと言うことが人間にとって一番の我慢であり
最高の自己抑制であることは容易に理解できるであろう。
だから、我慢を自己目的化した女の子は拒食症になる。





自分を我慢させる=自分をコントロールさせる
コントロールのたががハズレると、
負のコントロールが始まる。


それがつまり、摂食障害なのだと思う。




■ちゃんとしないのは許せない



・打てば響く、努力して進めことを求める


神経症の人は感情が流れていく、変化することが待てない。
何とか取り除こうとして
悪戦苦闘し、不安がさらに広がっていく。
そして、摂食障害の人たちは
不確実が嫌いだから、
確実な場所へ行動して安心を得ようとする。
人間とかほかの事で自分の期待通りにストレスを解消できるかわからないから
慣れ親しんで確実な過食嘔吐に走る。


コントロール願望である。





◇コントロール願望を捨てるために理解しておくべき”生々流転”という考え方





■絶えず変化があるから苦しみも流れる


どうして人は澱んでしまうのを選んじゃうんですかね。
年齢のせいだけでしょうか?代わらない事の方が苦しいと思うんですけど



一つには変化が怖いのね。
苦労して手に入れて慣れ親しんだものを
古いからいらないと否定されるのは
たしかに怖いです。



この世は生々流転だから仕方ないと普通そう簡単には受け容れられない。



でも結局、生々流転でなければ、つらいこともなくならないわけでしょ
新し物を受け容れられない人に必要なのはキッカケだと思うんです。
代わる事は何も怖くないんだという。











参考文献:

摂食障害の理解と対応―現代の思春期女性 (心の医学新書)

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