僕にとっての過食嘔吐の効用を吐露してみる(ラスト2)






リセットした気分になった。
良くない現実をなかったことにしたかった。
ダメな自分を感じたくなかった。



僕にとっての過食嘔吐は次のように意味づけされていた。




[悪い事(今までの人生)=(食べ物)]を吐き出し(自分から切り離す)心をキレイに(食べ物と言う敵がなくなった内部)することで
自分をリセット(悪者の居ない自分・悪者=自分。食べ物と言う悪者と別れる事のできた自分)しようとしていたのだ。

ただ、そんな代償をおこなったところで
良くない現実とも価値を感じられない自分と別れられるわけではない。
しかし、別れたい。決別したい。捨てたい。
だからこそ、何度でも繰り返す。効果が無いと分かっても
束の間に放たれた感覚を味わうために。





そう考えていくと、体重がどれだけ減っても
過食嘔吐を手放すと言うことは考えられない。
食べ物を悪いものに見立てて吐き続ける。
つまり、悪いもの(自分の過去・現在)を受け入れることが出来なければ
食べ物を消化(自分をありのままに許し受け入れる)
することなどできないのだ。



やっと分かった。
だから、摂食障害は心の病なんだ。
[痩せたい太りたくない]という思いは
心の何を投射しているのか?
という事が大切なんだ。




それならば、これからの課題は、
「自分を受け入れ消化できる自分に成る」という事だろう。
あるいは、消化できる自分、よりよい自分…という条件を付けようと言っているうちはダメで
今あるそのままを受け入れないといけないのかもしれない。



それは…難しそうだな。。。












学術的に記すなら
以下の文献が最高に適しているだろう。
それを示して終わりとしたい





摂食障害の病理が数年にわたっている場合、
彼らが過食嘔吐を手放すことは極めて困難だ。
なぜなら、
過食嘔吐していないときに感じる圧倒的な不安感という内的脅威
があるから。
多くは幼少期の体験に根ざした不安感に耐え切れずに
過食や過食嘔吐を使って脅威に対抗・排泄しているからだ。
過食嘔吐と言う症状には、無力な自分は吐き出してしまい、痩せたままの万能感な状態に自分を置こうとする
意図があった。




摂食障害精神分析的アプローチ 病理の理解と心理療法の実際
 松本邦裕・鈴木智美 金剛出版)