結局、別れられなかったね。今年も
寂しさに飲み込まれた人間は、どれだけの知識や財を築いたとしてもまともで穏やかな人生は送れない。
心弱きものは普通という日々を謳歌することなどできずに常に孤独と隣合せで生きていくことになるのだろう。
やっぱりさみしいというか何もない人生で、何もない自分から目を晒す方法として過食嘔吐に護られてきたなぁ。
迷惑で消えてしまえって思っていたけど、
やっぱり護られてきたんだと思う。
ありがとう。
最も憎くて最も相思相愛だった摂食障害。
出し入れという快感を毎日、常に味あわせてくれた過食嘔吐。
あなたに支えられていると色濃く感じた一年でした。
PS
人生は自分を削って生きているってのは間違いなくて
それぞれが寿命を削って必死に生きているんだけど、
自分が喜んで飛び込んでいける苦しさで、できれば削られていたかったなぁ。
幸せだけど、やっぱり幸せじゃない。
意味があると思える苦労の中、
耐えるだけじゃなくて前進ある痛みの中で
散財したかったし生きたかったな。
恩人だけど手を切りたい悪友でもある。
手切れ金を渡して手放せるなら、そうありたい。
だけど、もう無理かもね。
生活の、僕の一部になりすぎてていて。
定着化、一体化。
どうやって別れるのかわからないけれど
多分、来年、摂食障害とは別れるでしょう。
ポッカリした人生はどうしようもないってことを教えてもらいましt。
心の脆弱さを支えてもらうか
耐え切れずに終わるか。
もうさー55年くらい生きた分の食べ物食べて吐いた。
もう十分