食べる事でしか摂食障害の完治はありえない


「過食に移行した時に前の会社を辞めてほっとしたんだけど
 過食が止まらないってのがあって。
 これは精神的なものが多少変わっても治るもんじゃないなーって。」
















カウンセリングや薬物で心が軽くなったとしても
過食は一向に改善されない。





それはつまり、
ストレスだけじゃない=心の病、という側面以外からのアプローチが必要なのではないか?
ということを示唆しているのではないだろうか。










最後はきちんと食べれるようになる。


どれだけ心が回復して過去と訣別しても
間違ったやり方で痩せようとする事、そして
栄養不足による飢餓状態によって生み出される”一日中食べたい病”から解放される。
ここに辿り着く事が完治と呼ぶに相応しいのではないだろうか。










■嘔吐せずに食べれる確率が上がってくる=
回復に近づいている実感がある。









心と身体、どっちを優先すべきか。


鶏卵みたいな話だけど
これは結構重要な議論だと思う。



食べてしまったという思いと
生理的な意味での気持ち悪いっていう嘔吐感もあるだろう。
あるいは、いつもの通り食べたら吐くという行動を取って居ないことに
気分の悪さを感じるかもしれない。


けど、そこを突き抜けていくしかない。


僕の場合で考えてみると、
入院してたときも外出できるようになったキッカケも
よくよく考えてみると、食事をするようになったからだ。
食事を受け容れることが出来ると症状が前進して
人生も、ちょっとだけ自分の元に戻ってくる。







これは、僕の実感から出た結論。


食べれるようになる=食べる訓練




完治への前進を感じさせてくれるたった一つの道。
別に心とか家族関係とか関係なしで自分人地で前進できる方法。






心の問題は後から解決するか抱えるか決めればいい。
食べる事をなるべく受け容れる、吐かずに食べる、
太ってしまって理想の痩せた自分からかけ離れた姿でも自分を許す。






実際に身体は楽になるし頭も働く。
興味を持てるものも増えてきている。


痩せていたい、食べないようにしなきゃ、
っていう事に全てを捧げていた時間から解き放たれると
症状が緩和されているなぁって分かる。










当たり前の機能…


食べたら消化させる。
太るだけのもの食べたら太ってしまう事。
相殺しようとしないこと。
相殺するのは運動など正しい方法で。



当たり前すぎるけど、どうしても取り戻す事が出来ずに居る動物としての
当たり前の基本的な行為を取り戻していけば、治るということなのだ。




心の問題なんか、そう簡単には解決しない。
それでも、心が完全なクリアにならなくても摂食障害から回復した人たちがいるっていうのは
希望を与えてくれる。




そういえば「吐いているうちは完治しないよ」って主治医も言っていた。


「食べる事じゃなくて吐く事から改善しないといけない」って、
前の主治医からも口を酸っぱく言われた。









食欲や体重は自分でコントロールできる。
自分が認める以外のものは食べちゃいけない。


こんな風に”頭で身体を律していける”っていう
幻想を捨てて、脳が求めるものを与えて身体を飢餓状態から救い、
自分は満ちているという心の飢餓感も回復させていく。
まずは身体を満たす = ちゃんと食べる =必要な栄養で満たしてあげる
ことから始めてみてもいいのではないだろうか。





何か集中しようとしても
食べ物のことが頭に浮かんでしまう。
食事に支配される。
当たり前じゃないのか。

身体と脳の飢餓状態が満たされていないだから
栄養が欲しい、食べたいっていう思いが常に思い浮かんでも
当然なのではないか。



人からエネルギーを十分にもらう事の出来ない摂食障害者が
食べ物から生きるエネルギーを与えてもらおうとするのは
本能なんだと思う。







健康な人っていうか健全にスリムで健康体を保っている人って
人間関係も概ね良好なんだと思う。
それが生育環境とかプチトラウマとか
色々な理由でコミュニーションによって人からうまくエネルギーを
もらえない状況にあるのなら、
食べ物からもらうエネルギーが人より必要なんだって、
ある意味で諦める事が必要なのかも。


それでエネルギーが満ちた自分になって、
コミュニケーションをどうするかっていうことを
変えていけばいいし、変える活力が湧いてくるかもしれない。



心をナイガシロにするわけじゃないけど、
確実に変えていけるところから着手するのもありなのかなって。


たとえば、家族から受けた傷があったとして
その家族の在り方、両親それぞれのパーソナリティってそう簡単には
変わらないと思う。


だったら、まずは食べる事を受け容れることから
始めてみても良いのではないかと思うのです。