ニセモノの自分が受け入れられてしまったら


この回の要点:





・愛されるために痩せて、愛されそうな自分になる。
本当の自分からは遠い自分になってその自分が愛される。
愛されることを求めていたのに。
その嘘の自分が愛されると余計に虚しい。





・恋人という心を満たしてくれそうな相手が居ても治らない。 
 むしろ悪化→心以外にも原因があるのでは。










君たちが好きだと言う私はね
偽物なんだよ
食べ物を
時間を
人を
蔑ろにしてね
それで保ってるの



貴方が抱く私はね
ギリギリまで吐いて吐いて吐いて吐いて
貴方に嘘ついて
吐いて吐いて吐いて吐いて
貴方とご飯食べて
吐いて吐いて吐いて吐いて
ねぇ
疲れたよ



好きで疲れた
嘘ついて疲れた
自分保ってるの疲れた



終わる?うん



嘘でいいから
好きって言ってほしくかったよ









好きな人が出来ると極端に食べなくなったり普通に食事をしても吐くようになった

結婚してからもそんな状態が続いたら気づけば過食嘔吐になっていた

人格が変わってしまった

明るかった自分はどこに行っちゃったの?
どんな人とも気さくに打ち解けられる自分はどこに行っちゃったの?






via @mixi






ニセモノの自分を好きって言われてしまった。
ニセモノになるために努力をしてきて、それが認められた嬉しさも
ないわけではないけれど、やっぱり空しい。

これで、あと戻りが出来なくなった。
ニセモノを受け容れたってことは、ニセモノ以外=本物の自分、では
受け居れられないことが分かってしまったから。




本物の自分が何らかの理由で自分からいなくなってしまった。
ニセモノで生きていても痛みは回避されるかもしれないが満たされる事は決して無い。
なぜなら、自分自身で生きていないから。
偽者の自分が受け居られても全く嬉しくなくて、むしろ空しくなるだけ。



愛されたいと願いながら、愛を感じられる可能性を自ら削ってしまっている。


痩せた自分、外見を整えた自分が愛されてしまったら、外見が愛されたと思ってしまい、
自分自身を愛してもらえたとは思えない。だけど、少なくとも外見は愛してもらえている。


そうやって、恋人が出来ているのに束の間以外は幸せじゃない付き合いが進み、症状は悪化するばかり。



幸せを掴もうとしているはずなのに、自ら幸せを手放している