摂食障害というサポーターを手放す。


■総論



今の不健康な「安定」に見切りを付ける必要があります。
変化する時には一時的にストレスを感じるものですが、
今のストレスに比べればほんの短い間の、先が見えてストレスです。


乗り越えることで必ず達成感が得られます。


その先には
今よりも有意義な生活が待っているのです。





今の不健康な「安定」に逃げ込まず、健康な、
本当の意味での安定に向かう勇気
を持つ事が大切。









3つの問いへの返答





①習慣化について



「なんで、わたし 食べて吐いてるんだろう。
 癖になってる。
”あっ、夜だから過食の時間”って感じで。
 特に嫌なこととか体重と気にしてなくてもしちゃう。
 お約束みたいになってる…」





摂食障害が歯を磨く事とかお風呂に入ることと同じくらいに
生活の一部として溶け込んでいる場合。
これといったストレスも痩せ願望がなくても
なんとなく、「いつものことだから」と始まってしまう。




これはもう、断ち切るしかないですよね。
毎日行う事が日課になっているのならまずは週6日にしてみて、
耐える日を作る。
もちろん、耐えられたとしても次の日は
朝から過食が爆発するかもしれない。


けれど、ストレスでも痩せ願望でもなく、
ただただ日課としての過食嘔吐だなぁって
思えた過食嘔吐が続いている場合には、
習慣化している、というハードルを乗り越えていかないといけない。


過食嘔吐の時間をユーテューブでもニコニコでも何でもいい。
どうにかやり過ごしてみるっていうのは非常に大切な試みなのだと思う。













②普通の食事量って…








「普通が分かんない
 なんで生きてるんだろう」



これは
普通を少しずつ身につけて思い出すしかない。



壊れてしまったものを取り戻すには時間と忍耐が必要。
そして、摂食障害というアンバランスの中でバランスをとっている生活との訣別に向けても、やっぱり劇的な魔法みたいにパッっと健常者に戻してくれる方法ってなくて。



少しずつ、食べる事を受け容れて、痩せて居ない自分でも許せるように
なっていく。それはサポーターはたくさんいたとしても
結局は、自分で決めて行動するしかない。


もちろん、24時間、吐かないように監視してくれるサポーターの力を
借りたっていい。


力を借りてでも最後に自分に勝てるのは自分しか居ない。


摂食障害に生きていることのバランスをとってもらっている生活と
悲しいけれどお別れする決意が必要なんだよね。












③精神力で食欲を抑えるという幻想






「今日から
 チュッパチャップスで過ごす」


「体重が増えてた…
 過食しても全て嘔吐出来なくなってるみたい…
 今日から食べないよ!!
 明日からアクエリのみで生きる
 食べなきゃ太んないよね
 お腹空いても鳴っても無視
 布団の中で耐える」








こういう”食欲という本能への挑戦”については
人間の限界と人間の生きようとする意志に対して
謙虚になる事が必要なんだと思う。


飢餓状態を精神で抑えるのやめませんか?
食ってのは人間が生きようとする意志そのものだ。


生きるためのエネルギーを得ようとする。
活動の源を食べ物から頂こうとする。
身体が「生きるよ!」って宣言しているようなものなのに
それを無理矢理に頭(思考)で抑え付けようとするっていうのは
「私は生きません!!」っていう生命を放棄している事になっちゃう。
(ただ、食を拒否する時は確かに人生はうまくいって居ないことが多い)


もしかしたら、意思が強かったり痩せ願望が強迫的になっている人は
最初のうちは身体の生きる意志に打ち勝てるかもしれない。

食欲を抑圧して痩せたという結果を得られるかもしれない。
しかしながら、人間が生きている限り、生きようとする意志=食欲は消えてはくれない。
ウイルスのように敵を倒してしまえば、消えてくれるっていう相手じゃない。
人間が生きるための本能なんだ。






どんなに抵抗してもドカ食い衝動が起こるのは意思の弱さのせいではなく、
脳と身体の悲鳴なのだ。
糖質に飢えているのなら、
定期的に補給して、もう飢餓はやってこないよって安心させてあげないと、
食欲の暴走は止まってくれない


人間には生命の保存という本能が備わっている。
何よりも生きる事を優先する。


飢餓状態になると、頭が働かなくなったり、
身体が働かなくなったり、それはそうすることで
いつまで続くか分からない飢餓から身を守るため、
動いても出来るだけエネルギーを使わず、
脂肪として蓄えておこうとしている、つまり省エネモードになっちゃっているって
ことなの。

長い飢餓の時代を生き抜いてきた人間には、
たくましい生命維持の本能があるのです。


だいたいいくら苦しい思いして、超低カロリーな食生活していても、
栄誉不足で飢餓状態だったら、身体が本来持っているエネルギー産生をする機能さえも停止させてしまう。
つまり、自分で痩せないからだを作っていることになる。


痩せるのは最初だけだよ。


続けていたら、
ろくに食べなくても太る省エネ体質になってくる。


だって、脂肪を燃やすために必要な栄養がないのに、
どうやって脂肪を燃やすの?













この”生きようとする本能”への戦いで勝利を目指そうとするのは
ちょっとキツい言い方をすれば、傲慢で無知なんだと思う。


あるいは頑張り屋さんなのかもしれない。






1人の人間として人間の限界にチャレンジして勝利を得ようとするのは
悪くない。限界を超えたところでしか得られないモノもあるだろう。


ただ、戦いを挑む領域が間違っている。
人間という個体に備わっている脈々と受け継がれてきた機能を
時代の流れ方みれば何の変哲もない「瞬き」である私達が
変えていけるわけが無いしパラダイムシフトを完遂できるわけなどないと思う。


もっと、
人間という存在を謙虚に真摯に受け止めて、
その強靭なまでの生きることへの意思を持っている人間という生き方を
受け容れて、一人の人間としての自分で生きていかなければならないのだと思う。