過剰な痩せ願望は自己中心的なだけ
痩せているかどうか、という要素も
人が人を評価や印象を持つときに
影響を与えることは確かだ。
ただ、痩せが全てではない。
当たり前の事だ。
痩せたくて仕方ない本人も
恐らく分かっている。
分かっていても、
どうしても「痩せている自分」じゃないといけないような気がしてしまう。
どうして、痩せない=ダメというスキーマに陥ってしまうのだろうか…
それは要するに、
自己中心的な考えを捨てきれないのだと思う。
なぜなら…
●理由①
・自己不在の自己中
依存される事で自分を支える場合もある。
相手の欲求を汲み取り、それを満たす。
その行為で自分の存在する意義や価値を見出す
彼氏が自分が痩せる事を望んでいると思い込んで
それを満たす事で
相手の要求を満たした自分に満足する。
彼氏が本当に痩せている彼女を望んでいるのかどうかなんか
お構い無しに。
まさに自己中心的な世界にいるっていうのが伺える。
全部自分の価値観で相手からの価値観を決め付けて
それに添う自分で自分を満たそうとする。
要するに、世界が狭い。自分の価値観でしか世界を見れない。
だから自己中心的って考えてるのが納得できる。
●理由②
・リアルな人間関係がない
他者との交流がなくなるから自分だけの世界が気付かれる。
自分の価値観でしか自分を見れない。
現実を知る機会がないから理想をいつまでも追う。
自分の世界の中で他者からの目線を想像して
その人たちが自分をどう評価するのかを気にしている。
自分の世界から抜け出せない=自己中ということになる。
また、水島先生は
「ダイエット依存症」という著書で次のようにおっしゃっている。
自分が他人からどう評価されるか?
痩せるという自分じゃないと評価されないんじゃないか??
ということに捉われている人と話をしていると、「リアルな人間関係が少ない」ことがわかります。
想像上の人間関係はたくさんあるのです。
摂食障害、社交不安障害など、「形」にとらわれている病気になる人たちは、
ほとんどが、リアルなやりとりがない。
何で痩せたいのかといえば、
モデルさんとか芸能人の人たちが基準だから。
ですから、治療において、自分の気持ちを見つめて実際に人に伝え始めてみると、
劇的な効果が現れるのです。
これは、心の傷を癒すと言う事でもあります。
かつて下された評価によって積み重ねられた傷は、
「世界は危険なところで、他人は自分を傷つけるものだ」と教えてきます。
そういう目を通して世界を見れば、
危険なところにしかいえませんから
「やはり」ということになっています。
そして、ますます「自分がどう評価されるか」ということばかり気になってしまいます。
100人に1人がキツいことを言ったときにそれが
「ほらやっぱり」ということになってしまうのです。
ところが、リアルなやりとりをして、相手にも色々な事情や限界があるということを理解するようになると、「自分がどう評価されるか」というところばかりに留まっていられなくなります。
また、リアルなやりとりには
「双方向性」という特徴があります。
一方的に評価を下されて傷ついてきた過去の人間関係とは違い、
こちらも何かを感じて伝えていくのです。
■自己中心的な妄想を諦める為に
苦労して手に入れて慣れ親しんだものを
古いからいらないと否定されるのは
たしかに怖いです。
しかし、変わらない自分を守ってちゃダメ。
怖がらずに常に気持ちを外に向けて欲しいですね。
そのためには何かを特別なことをする必要はないの。
変化を捉えるか、心の持ちようです。
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