認められている感覚に乏しい

■就職面接という承認




面接を受けてきた。
正社員の面接だ。
アルバイトさえもできる状態じゃないのに。


たまに、就職活動するんです。
もちろん、年齢も年齢なので
お金とか将来に対する不安からの行動って言う面もあるんですけど
実際には就職する事で、働く事で、全てが解決するような気がしてるだけなんです。


本当は働けるような状況に自分は居ないんです。
それでも、就職活動をしてしまう自分が居るんです。




■自尊心を満たす場として…




仕事をしようとすることで
自分は何を解決しようとしているかというと
主な目的は二つあります。


一つは逃げるということです。


食べ物に支配されている時間を仕事をすることによって
忘れてしまいたいという思い。
自分の力では逃げられないから、
何かに強制されることで良くない状況から逃れたいという思いがあります。




そしてもう一つは認めて欲しいからです。


もし面接で受かれば、
「あなたは必要です」っていうメッセージを受け取れるから。

それが目的です。
働きたいっていう気持ちもあるけど、
働けないって分かっている。
それでも認めてもらえた、っていう感覚が欲しく欲しくて…。



ただ、就職面接なんてのは仕事の能力として合格といわれているだけで
人間としての価値があるか、ってのは一切関係ないはずなんだけど
それでも、自分そのものの存在が認められている気がしてしまって。
突発的に、だけど周期的に年に何度か、そういうバカげて迷惑行為を
してしまっているんです。






本当は働いていくなかで自尊心を高めていくのが正しい姿なのに、
それができないから面接だけを繰り返す。



働けもしないのにね。


自尊心の低さを埋めてもらおうとする、大ばか者。
人間関係が無いから、誰ともつながれて居ないから社会から承認されようとしている。




心が枯渇しているんだと思った。
何でもいいから認めて欲しく仕方が無かったんだと思う。


だから、痩せて注目してもらおうとしたし、
認めてもらえない自分にイライラして食べて吐く行為を繰り返しているのだと思った。










■面接に参加したのは悪い面ばかりではなかった



けど人と話すことの大切さを感じた場面があった。

一緒に面接を受けた人とお茶をした。
真剣に転職活動している男性で歳も同じくらいだった。


なんてことない時間だったけど
僕にとっては人と話すという貴重な機会だった。


当然ながら、心の問題などを話し合ったわけではないが
それでも、話すことに意味があったのだと感じた。



やっぱり、人と話さないとダメだね。
良くない状況を抱えているんだら
自分との対話ばかりをしていたらネガティブな考えしか思い浮かばないに決まっているんだから。




そう考えると、知識ってのはあくまで媒体なんだと思った。




知識は救いにはなるが、
それだけでは完璧な救いにはならないのかもしれない。
あくまで、人と繋がるための媒体でなければ意味がない。
救いは人との繋がりの中にあるんだ。



勉強してテストの点数とっても図書館にこもって意味が無い。




■小さなこれからを考える


人と話すことの大切さに気付けた今は
まず当面は、人に会って話せる状態に自分を持っていくことが必要だと思う。

しっかりと対話になるくらいの精神的余裕をもって
相手と喋れる自分でいる確率を上げていこうと思う。


自分との対話だけしても救われないし
解決はないんだって痛感できたのは、良かった。有意義だった。


やっぱり内側にコモっちゃうのは
良くないことなんだよね。
内省が大事だと思ってきたし問題に必死に向き合う事が今でも重要だと思っている。
それでも、自分とばかり向き合っても遅々として状況は良くならないって気付けてよかった。