食べればいい


食欲をコントロールしようとするのがいけない。


心が求めているんだから仕方が無い。




そもそも食欲はただの空腹を満たすだけの行為ではない
美味しい食べ物を食べて居る時には
食べ過ぎてしまう経験は誰にでもあるだろう。


あるいは怒りや悲しみの対処する為に食べ過ぎることもある。



そして体調が悪いときには少量でも満腹を感じる。


つまり、単に減った分を補うためだけに
食べ物を摂取するわけでは無い。
食欲は、そんなに機械的なものではないのだ











野生の動物が肥満しないのに人間が太ってしまうのは
空腹以外にも食べてしまうから。


さみしい人や幸福でない人は、
心の飢餓感を食欲の
飢餓感と勘違いしてたくさん食べてしまいます。

けど、それもしかたないというか
正しいのだ。



食欲は「生きる力」の一つです。
一般に、食欲が落ちればどこかに具合が悪いのではないかと思うものですし、何かの病気を患った後、食欲が回復してくれば「もう大丈夫だ」などと言われるものです。




そんなときの食欲は、
生命力のようなものを表しているのだと言えます。




何も日常に支障を来たすほどの心の問題を抱えている人でなくても
そのときの状態や心情が食に表れるのは不思議な事ではない。




人間は完璧ではないので
心が満たされないときは何かでバランスを補って生きていく。
多少かっこ悪いのかもしれないが、それが生きていくと言う事だ。



何となく食べる量が増えてしまうような時もあります。
このようなときに、私達は食べてしまった自分を責めがちです。



そして、食欲をコントロールしなければ、体重を減らさなければ、と
焦ってしまいます。

余計に食べてしまった=太る、って考えてしまうと
折角、心のバランスをとろうとした行動で掛けた心を補ったはずなのに
食べ過ぎた…という罪悪感によって心にスキマが生まれてしまう。







しかし、「何となく食べる量が増えてしまう」モードが続いているときには、食べてしまう自分に罪悪感を抱くことがさらに食べる量を増やし、
さらに罪悪感が増す、という悪循環に陥っています。




何となく、つまり空腹でも無いのに食べてしまう、ということは、
精神的な満たされなさやホルモンバランスなどによって心身が不安定な状態になっていて、
それが食べるという行為に向けられているということです。


ところが、「食べた」ということだけに注目し、それに対して「悪いことだ」と
評価を下し、そのレベルでコントロールしようとしてしまうと、
解決しないどころか悪循環に陥ってしまいます。


空腹でも無いのに食べてしまうときは、
体型が気になるときと同じで、
自分が何らかのケアを必要としている時です。



「食べ物に支えてもらったんだから太るのはトレードオフというか必要悪なんだよなぁだったらしょうがないか!また別の機会に運動したりカロリーコントロールすればいいやって」って思わなければならない。