治るの怖い






きっと、怖かったんだよね。
治る事によって傷つくのが。
真実を見る事が…。









■治らない方が得?


病理利得という言葉がある。
苦しみながらも、病気であることで患者がメリットを感じている状況のことを刺す。




例えば病人という役割を得ていれば
不都合な現実からは、とりあえず逃避して静養・闘病に集中する権利が発生する。


本当の自分を取り戻してしまったら、
本当の自分として社会と向き合っていかなきゃだから、言い訳が出来なくなってしまう。




本気を出して勝負に負けたら、自分に言い訳がつかなくて
正面から悔しさと向き合わなければいけなくなる。


だから、80%くらいでやめておく。



病気に逃げ込むのも、そういう意味合いが含まれて入る気がする。







摂食障害という”言い訳”に守られているというのは事実






病気が治ること。
あるいは病気とのうまい付き合い方を学び、
自分との折り合いを付け、過食嘔吐によって削られる時間を未来の自分に向かって(病気に費やしてきて出遅れている社会スキルを身につけるため)時間を使う事が出来るようになる。




極めて健全な人生を手に入れることになるが、それと引き換えに
自由を得る、ということは責任が伴うと言う事でもある。



治ってしまったら、自分のやりたいことに本気になってしまう。
そして、本気になった自分でチャレンジして、それがだめだったら…
という思いを考えると、とても怖いことだ。





何が怖いのかと言うと、
社会に出ること、人と会うこと、
結局はコミュニケーションがうまくいかずに社会に溶け込めない自分を感じるのが最も嫌悪感を感じさせる
ことなのではないだろうか。






だから、摂食障害に限らず精神疾患
DBTとかSSTとかシャベリ場みたいに、同じような人とのコミュニケーションという
入りやすい場所から、対人関係コミュニケーションを身につける事が推奨されているのだと思う。


精神疾患が自尊心の低下から起こってきているとしたら、
自尊心を解決するにはただ一つ、社会的な存在として、人との関りの中で、回復していくしかないだろう。


受け容れてもらった、世界から認められている存在になれた、
気持ちを話せる人がいる!






という小さな成功体験の積み重ねが、必要なのだと思う。





■痩せを手放すのは痛い



また、摂食障害に限って言えば
痩せることで得られる”注目されてる感”を失うことは
患者にとってはかなり厳しいこと。



自尊心が低下して摂食障害を招いた。


自尊心は人との関りの中で上下するので、
人との良好な関係、相手に自分は分かってもらえているし、
自分も相手を受け容れている、という”世界との繋がり”を感じている事が自尊心を保つ大きなポイントになると思う。




だとすると、痩せることで今まで満たされていなかった
注目される、関心を持ってもらえている、という感覚が満たされているのに、治ってしまって普通の体型になったら、また関心が薄くなってしまうかも…という恐怖
があって治るのを拒むと言う心境に陥ってしまっても無理は無い話しだろう。










痩せることで、友達や知人からは注目されるし、
今まで接点を持ちたかったけど持てていなかったグループの人から話しかけられるかもしれない。
異性が近づいてきてくれるかもしれない。



まさに、”自分が求められている”という感覚を味わうのに、
短期でしかも分かりやすい数字として表出してくれるのは
痩せること以外には、あまり考えられないのではないだろうか。



痩せていないときには無かった満足感を得られている。
つまり、「痩せていない自分はダメ」という認識が確信に変わってしまったなら痩せることを脱出する、摂食障害を手放すことは、
もはや世界から断絶されるくらいの恐怖を感じてしまうのではないだろうか。





そして、両親からは健康を心配してもらえて、
今まで感じられなかった確かな愛情を感じる事が出来る。
常に心配してもらえているってのが分かる。


こんなにメリットがあるのに、治せなんて言う医者や両親は、
全く気持ちを分かっていない!!って叫ぶのは、当然のことだと思う。







摂食障害には苦しんでいる。
けれども(現時点で)享受しているのはメリットの方が圧倒的に多い。
だから、治りたい、けれど治りたくない…というのが
患者さんの正直な気持ちなのだと思う。








また、
食べること、吐くことで
自分を忘れることができる、というメリットも手放し難い効果だ。



詰め込むように食べれば、何かが埋まっていくような気がする。


食べずにいられないような衝動性の時には安心感を得られる。


食べても吐けるだ、好きなだけ食べれる!っていう
優越感、我慢しなくいいんだっていう解放感もある。



吐くことで、
全てをリセットできたような感じになる。




カラッポになれた(ように感じる)ことに対する満足感。

頭がボーッとしているけど、なんともいえない爽快感、お酒とはまた違った酔っていて
気持ちがいい感じ、これによって現実から離れられる。





というような、
「嫌な事を忘れられる自分」を
与えてくれるのだから、治りたいわけが無い。





何よりも自分を(刹那的ではあるが)自由にしてくれる存在を
手放せるわけが無い。









このように苦しみながらもかなりのメリットを感じられてしまうのが、
治りにくい病気だと言われる所以なのだと思う。


通常の病気と言うのは痛みやつらさ、自由を奪うものであるが
摂食障害という病は、上記のように本人にとって、
多大なメリットを享受できる最大の”味方”でもあるのだ。




だから、本当には治りたくないし手放したくは無いのだ。
どんなに歩けなくなろうが救急車や入院の常連になろうとも、
素晴らしいメリットを感じているから、辞められない。








この素晴らしきメリット達を越えるような、人生を豊かにしてくれるモノとの存在に
出会う機会に恵まれなければ、お金が続く限りは、なかなか本質的な治療に向き合うことは無いのだと思う。


たくさんの人や自分の身体に申し訳ない…と思いつつも
辞められないのだ。









こんな風に考えていくと
治らなくても幸せな状態なんじゃないかって思えてしまうのが怖い。
太く短く生きるなら、むしろこっちの方が幸せに包まれて生きれるんじゃないかって。




それくらい、依存性の高い病気なのだと思う。



「痩せる事の代わりに自尊心を支えてくれる、
 真の生きている感覚を与えてくれる出会いがあるかどうか。
 あるいは、この幸せはニセモノだと気づけるかどうか」





ここに完治へのヒントが隠されている気がする。