目指した幸せ(痩せている自分)は悲しさだった。
痩せたねーって言われると嬉しい、認められている気がする。
っていうのは間違いないですね。
僕は痩せていく中でも他人から「痩せたじゃん!」みたいなことは
直接言ってもらった事はありませんでした。
それでも、自己満足感はありました。
だから、友達から言葉にしていってもらえたって言う経験は
すっごく嬉しいだろうし自信にもなっただろうなぁ思いました。
ただ、痩せている=褒められる、っていうのは裏返すと
痩せて居ない=批判される、っていう価値観ですよね。
痩せる=自信がつく、っていうのは
痩せない=ダメな自分、っていう方程式が見えてくるような気がしました。
☆
”痩せていれば注目してもらえたり、愛されたり、構ってもらえる”っていう思いは全く一緒です!
他人の興味を引くには痩せなきゃって思ってましたし、
今でもやっぱり思ってます。
どこから、
痩せる=愛される、みたいな考えが刷り込まれるのか不思議ですよね。
こんなに離れていても同じように思っているのだから
社会全体に散らばっている価値観なんですよね、きっと。
そういえば、高校生の時に
「人間関係がうまくいかないのは痩せて居ないからだ!
痩せれば認めてもらえる!!」
ってなぜか強烈に思いついた瞬間がありました。
だけど、関係をうまく築けないのは
もっと外見とか太っていることなんか影響ないんだなぁって。
今思うと当たり前なんですけどね。
人間関係に体型はそんなに影響しないって理解はしているつもりなんですけどねー。
あの頃は恥ずかしいくらいに
内容の無い自己主張で「認めて欲しい!」って必死になっていて
相手の話を全く聴いたり相手の個性を受け止めたりって事をしてなかったんだって。
他人の話を軽く流して自分の話しばかりしている人に
好意が向けられるのはなかなか難しいですよね?今なら当たり前なんですけど、
やっぱり自尊心が下がっていて、
他人からの承認を得る事でバランスとろうとしていたのかなって。
そう考えると痩せる事、痩せている事は
今の嫌な自分をリセットして、0からやり直したいという
リセット機能のような役割をはたしているのかもしれない。
「痩せた僕は前より価値があるよね?だから、仲良くしてね!!」っていう感じでしょうか。生まれ変わった自分で関係を築きなおしたい…
そう考えると、認めてもらえてないなぁっていう対人関係での悩みが
痩せたいって言う思いも根底にあるんじゃないかと。
☆
バイトで時間つぶせば過食しなくて済むって思ってたんですけど
現実にはそんなにうまくいきませんでした。
睡眠時間を削ってでも過食嘔吐してましたし、
出勤時間に間に合わないから絶対にしちゃいけないって言うタイミングで、どうしても抑えきれずに欠勤したりしてました。
逃げ切れないんだなぁって実感しました。
人間の3大欲求ですもんね。
意志とかじゃあ抑え付けられないものだって
痛感した出来事でした。
半年も持たなかったですね。
おまけに歓迎会とかバイト先の人との飲み会とかも断り続けてましたし。
食べたら吐いちゃうっていう最低の理由で断っている自分に
嫌悪感を覚えていました。
☆
確かに、痩せる事にそんなに価値を置かなくて、太っている自分だったときのほうが実際に痩せた身体を手に入れた時よりも、幸せでしたよね。
幸せのカギと信じて捧げたのに、それは違っていた、っていうのは空しいですよね。
そしてもっと悲しいのは、それに気付いているのに辞められない事。。
空しさの中に自分から飛び込んでいるこの日々は
やっぱり空しく感じてしまいます。