痩せる事は自分がしっかりしていると感じる為の道具






ある時まで自尊心を預けていた要素が通用しなくなったとき。
あるいは、その要素で評価を得る事によって周りからの自分の評価をコントロールしている感覚を味わっていた人が、その分野で成果を得られなくなった場合、どうやら”痩せる”事によって
自尊心の欠損を補おうとする向きが強いようだ。









たとえば、


勉強ができる自分=評価される自分



っていう図式を持っていたとした場合に
勉強がうまくいかない、つまりテストの点数を取れなかったら
自分を肯定できる材料がなくなってしまう。
そうした時に痩せたいという思いが強化
されていく。





また、
勉強というエネルギーの注ぎ口に意味を見出せなくなったときに
何をすればいいのかわからなくなり、自信を取り戻す手軽な方法として
痩せることに注力する。


いままで勉強に向けられていたエネルギーが過食嘔吐に向けられたし
努力の報われなさの蓄積が解毒されていく気になれる、というわけだ。






自己価値を支えてきた対象を喪失した後、
そこに注がれてきたエネルギーを痩せる事、あるいはダイエットに注ぐようになった。


ここでのダイエットは、
外見を磨いて周りにアピールするための要素としての痩せるというよりは
痩せられた自分に自分で満足する為という意味があいが強いようである。




点数が取れる自分=理想の自分になれる=自分をコントロールしている、っていう自尊心の保ち方をしていたとしたら
痩せられる自分=自分で自分を律する事ができた、という意味が含まれているのである。








それはつまり、
「痩せられる=勉強ができる=努力して成果を得られている自分」
を感じているのかもしれない。




痩せるという成果を努力で得る事が出来ていることで自信を取り戻そうと
していると言えるのではないだろうか。













よくよく考えてみれば
痩せる事を選ぶのは当然だ。若ければ若いほどに社会や人間、評価は思い通りなんかならないし若い時に自分である程度操れるものなんか、テストの点数と体重くらいしかない。





自分の人生は自分で切り開いていけるという自己愛的な世界に居る
発展段階に居る若者にとって、流されるだけの受け身で無力な自分には
耐えられないだからこそ、何か、コントロールできる対象が必要なのだ。


そう考えると、やせたいって言う思いはスリムになって
外見を周りにアピールしたいっていう思いもあるかもしれないが、何より
”数字を管理できている自分”を感じたいのかもしれない。






どんなに孤独でもとにかく一生懸命やって、毎日頑張って生きていれば
いつか幸せになれるって言う考え方になったんです。
でも、いまから考えると、勉強を頑張る事と幸せになる事とは全然結びついて
いないのに、そういう考え方は間違っているよって指摘してくれる人とか
相談する人とかもいなかったので、
どんどん自分だけの中で価値観を形成(痩せることは素晴らしい)を作ってしまう。




外見を磨きたいという思いではなく
痩せる事=自分で自分を支配しているという感覚を得たいのであって
本来的なダイエットとは程遠い痩せたい思いがあることは
見逃せない点であるだろう。


つまり、優等生で通してきた人の場合、痩せる事は自分を支配している事を自分で確認できる
単なる媒体であって、別に本当は痩せたいわけでは無いのかも知れないと言う事だ。


そして、痩せることが成功すれば、さらに自分を律せることを感じたくて痩せようとするだろうし、
痩せる=良いこと、であるのならば太る=ダメなこと、という図式が成り立っているから、太る事は許されない。


そうした強迫観念が摂食障害を呼び込んでしまう可能性を持っているのだ。


それはどう言う事かというと
「痩せる事で誰かに認めてもらいたい」
「痩せて周りから心配されたい」といった拒食症の背景にあるとされているが
間違っているという証明になるのではないだろか。



自分だけの為に痩せようとしている。
そして、自分の為に痩せているうちに摂食障害を招いてしまう、そういうケースだってきっと少なくは無いだろう。












私達はダイエットを「痩せたいから(原因)→ダイエットをする(結果)」と
いう因果関係でとらえがちだ。

しかし、肥満恐怖と呼ばれるほどの強烈な痩せ願望は、
ダイエットを始める前からあるものではない。


痩せる事が出来て初めて、肥満恐怖が生まれる。


ダイエットには「ダイエットをするから(原因)→もっと痩せたくなる(結果)」という
側面がある事が分かる。






普通に食事をしていた人々が、
何らかのきっかけでダイエットをはじめ、
ダイエットを続ける過程で痩せたい気持ちがどんどん膨らませているのだ。


まとめとしては、
痩せたいというのは外側にアピールするものではなく、
自分がしっかりしているという事を自分に証明する為、つまり内側に向けられたものである可能性を指摘して
終わりにしたい。