体重という数字管理に溺れていく



”体重をコントロールしようとする所から摂食障害が始まる”
という仮説を立ててみる。





そうすると、
それほど強くダイエットをしようという意識がなくても、
体重が減っていく、つまりコントロールが可能になることで
さらにコントロールしたくなる。



それはつまり、
数字が減り始めた事によってダイエットへの欲求が強化
されてしまうのではないか?という推論に達する事ができる。




痩せる事が、痩せたい願望に拍車をかけるのではないか?と思うのだ。














健常者と摂食障害者が口にする
『痩せたい』って言うのは含んでいるニュアンス
が少し違っているような気がする。


見た目とか外見って言う
形に対するコダワリというよりは
体重計で見る数字に意識が奪われている気がする。




数字なんですよね。
見た目でなく。









どっちかというと数字ですよね。
鏡ではなく体重計を見る。









ダイエットというのは
痩せた後に何かの目的、たとえば
洋服が着たいとかスリムな自分を他者にアピールしたいとかっていう、
外見とか見た目を周りにアピールするための材料であるはず。



しかし摂食障害者、特に拒食症者に限っていえば、痩せれば痩せるほどに
長袖やダボダボの服などで自分を隠そうとする。


それはつまり外見的な形としての痩せではなく
数字とだけ向き合っている気がする。


痩せるという意識が数字だけに執着している。




ダイエットの為のダイエットは数字に対して勝負を挑んでいるというか
体重という数字への執着心があるだけであって
数字を減らす=満足、なだけであって、実は(ビジュアル的な)スリムになりたいっていう
思いは無いのかもしれない。






体重という数字との闘い。


数字を抑えられるかどうかっていう自分との競争。


体重=精神力。
自分に勝った(数字を管理できた)という優越感






これらを味わっているうちに
食欲とか前は人間として正常であった機能が
異常を来たしてしまい、壊れた食欲に振り回され始めてしまったのではないだろうか。











そして、痩せる事が勝利であるのなら
太る事は敗北を意味することになる。




「体重(数字)になんか負けるか!」
「負ける自分なんか許せない!!」






っていう風に、数字だけとの戦いになって行き
数字を増やすこと、食べる事がイヤになって行く。



そして、忌み嫌っている食事をしてしまう自分に
罪悪感を感じてしまう。


その罪悪感は強烈なストレスを呼び、
さらなる過食を引き起こすかもしれない。




つまり、
モテる為に痩せたいとか、キレイになりたい!とかっていう
摂食障害を招くような強烈な思いからスタートしたわけではなく
何気なく減った体重がダイエット願望を生み、ダイエットを加速させ
摂食障害の種になっていくという可能性は否定できない。




もし、そうなると、
心の問題を抱えて居ない健康的で自分に自信が合って仲間に恵まれているような

人物であっても摂食障害を催してしまう事があると言う事だ。


















ある女性はこう言っている。





夏に向かって痩せようといった軽い気持ちでダイエットを始めた。
すると、食生活をコントロールすることが究極の目的になっていき、
ダイエットはエスカレートしていった。
次第に身体の調子も悪くなり、
すっごい毎日毎日が生きてても仕方ない感じ、空しい感じっていうか、
自分の存在の意味とか、そういうのがだんだんわからなくなっていった、
という。













これらのことから分かるのは
なんでもない軽い気持ち。
だれでも持つような本の軽いダイエットの開始、
そしてダイエットが成功していく。


成功する過程で減っていく数字が快感となり、
その快感に溺れていく。


つまり、痩せていく中でダイエットへの執着が生まれる。
軽い気持ちが数字が減っていく過程によって強化されていく。

ダイエット願望はダイエットを始める前じゃなくて
始める事によって加速していくのだ。