拝啓 摂食障害   様






多分だけど、摂食障害に助けられてきた。




たくさんのものを失って削らされて来たっていう側面は
拭いきれないけれど最も大切なものを守ってもらってきた。











なんだか、不意に
確信めいた思いが降りてきた。







摂食障害に出会わなかったら
自分を理解できない相手が悪いっていう他責人格を見過ごしていただろうし
本当は他人と関わりたいのにうまくできない自分の原因は
コミュニケーション能力が欠如しているからだっていうことに気付かずに
いつまでも薄っぺらい人間関係の中で空しさが蓄積して
いっただろう。






おまけに
摂食障害になった自分を調べていくうちに
幼児心理、カウンセリング、人の心に関する知識が増えていった。


摂食障害で繋がれた人もいた。







そしてなにより、
「過食したい、嘔吐したい」っていう願望があるから
今日まで生きてこれた。





この願望を満たした言っていう思いが
今日まで生きてくる原動力になっていた。



空虚で何の目標も無い。
生きている意味を感じられない空虚な日々に
過食嘔吐をしたいという欲望がなかったら
間違いなく自殺していた。


どうでもいい人生に、たったひとつだけ、
「生きたい」って思わせてくれた。




それが過食衝動であり嘔吐の快感なのだ。









命の恩人だ。
摂食障害が降りてきてくれなかったら
ここまで生きてないし、明日も生きていこうとは思えないだろう。





さらに、過食嘔吐って時間も体力も使う。
生きるのがイヤだって思っているのだから
時間が潰れてくれるのはありがたい。



体力がなくなって眠れてしまうのもありがたい。




時間を進ませてくれる事に、
どうにも生きてる事を感じるのがつらいって言う時間を
早送りする事で、生きてくることをサポートしてもらっていた。





別の生き方、もっと健全な支えになるものを築けなかった言い訳になるのかもしれない。
しかしながら、僕の人生にとって摂食障害ほど意味のある出来事、価値のある存在は
恐らく居なかった。





他者からみたら、健常者には大よそ及ばない考え方だろうけど、
紛れもなく最大にして唯一無二の恩人なのだと思った。





あとは、さらに感謝できる過去に出来るかどうか、ってことだけ。
負けそうだけど(笑)