食育に関心があるのは


僕が子育ての本を読むのは、もちろん
幼少期に原因を求めているからだ。




それは親への反抗でもあるのかもしれない。


どれだけ間違った育て方をされたのか?
という納得を得ることももちろんだが、



親に謝って欲しいのかもしれない。
親の育て方の間違いを認めさせて、
自分の人生をめちゃくちゃにしたことを謝って欲しい。






きっとそういう思いが
隠れているのだと、気づいてしまった。










そんな謝ってもらったところで、
何が変わるわけでも無いのにね…













で、それと同時に
なぜ食育や食事の意味、栄養にこだわるのか、やっとわかった。
自分が手に入れられなかったものだからだ。





人間の食事は動物のえさの時間と違って
お腹を満たすだけにとどまらない広い意味を持っているはずだ。


しかしながら、誰かと食卓を囲むことが
ポジティブなイベントじゃないって感じちゃうのは
やっぱり幼少期に起因しているんだと思う。



だからこそ、手に入れられなかったことを後悔しているからこそ、
子供達に同じ思いをさせてたくないという完全な自分勝手な思いなのだ。





すぐにキレる子、落ち着きがない子、
抑制の利かない子、と小学生低学年まで、
ずっと言われてきた。






確かに周りよりはキレたり、おちつきがなかったり感情をコントロールする力は弱かったのかもしれない。




それでも「落ち着きがなくて(劣った)どうしようもない子」というレッテル、ダメな子を育てているダメな親と見られる、という親の体裁を気にするのではなく、



子どもの話を聴いているのか?
家庭の雰囲気はどうなのか?


そして、食べ物はどうなのか?
子どもの心の平穏さを奪うような栄養素の食べ物を与えていないか。





そういうところに目を向けて欲しかったのだろう。











自分を顧みていないと言われてもいい。
もしかしたら、本当にコントロールができない、ダメな先天性の何かを持って
生まれたのかもしれない。





もしも、栄養をしっかりと考えた食事を与えられていたとしても
それはそれで、実はどうでも良かったりする。



要するに、責任転嫁をして自分が楽になりたいだけなのだから。






お菓子をあげすぎたり、親の機嫌を伺うようなことをさせてなかったのか、子どもに責任がない部分、逃げ道を与えて欲しかった。






食べてるものがいけないから、コントロールが難しいんだよね、って。










子どもは「与えられたもの」を食べているのです。
親は、子どもが正しい食生活をするように心がけなければなりません。
すべては親の責任だということを自覚すべきだと思います。