痩せないと、捨てられる?愛されない??

痩せなくちゃ
また…外出るのが怖くなってきた
スカート着たいでも…足出せない醜いから





彼の為に痩せたい。
痩せていないと捨てられる…






1キロでも痩せないと
捨てられる
痩せてないと存在価値ない
あの人の隣にいる資格ない





痩せてないと存在価値がない。
それは思い込みと分かってても
無理だよ。怖い。





彼のために
痩せたい
未来のために
綺麗になりたい












痩せたい痩せたい痩せたい痩せたい
ただそれだけ
それだけでいいの








☆☆








上記はミクシーの摂食障害コミュニティーで見て、
印象に残ったフレーズを引用したものだ。


なんだか、共通点があるような気がしたんですよね。
言っていることの根本は同じところにあるのではないかって。


なんというか、他者の評価を過剰に気にしているんだけど、
他者不在
なんじゃないかなって思うのです。

















痩せたら愛されるのか?
そもそも、本当に彼のためを思うなら
健康な自分であるべきなのではないだろうか。



大切な人には健康で居てもらいたいですよね?
だったら、世の中の彼氏達も、
大切な彼女の体型よりも体調を気にするはずなんですよね。



これはどういう事が起きているかというと
仮想的有能感に浸っているわけですよね、恐らく。






仮想の世界…
痩せれば愛される。
痩せる事が出来れば全てうまく行く!



っていう空想の中に居るわけです。






確かに痩せれば注目されるしチヤホヤされる確率も上がるかもしれない。
「痩せることが出来た自分」に自信を持てれば
自信からモテオーラが醸されるかもしれない。



けど、注目されたりチヤホヤされることが
そのまま愛されるってのは直結するのかは甚だ疑問だ。





それは彼氏の愛じゃなくて自分を認めて欲しいって言う
彼のためではなく、自己愛を満たすため。


現実はどうであれ「痩せている自分=愛される」っていう、
自分の価値観を満たせる自分であることに
重点が置かれている
気がする。






つまり、痩せてる彼女でいなくちゃ愛されないっていう
自分の中の価値観だけで動いているわけで、
彼氏のために…とか言いながら、
彼の意見なんか全く取り入れちゃ居ない。




しかもその痩せているかっていう評価軸は
自分の中にある理想に対して自分がどれだけ距離が在るのか?という事であって世の中の相対的な細い太いの範囲と大きく違っている。


だから、どれだけ周りの人が「これ以上やせる必要なんかない」と
諭そうとそ手も本人は納得できるはずも無い。





痩せても痩せても、満足感など無く
もっと痩せたくなるのは
痩せても愛は充足されないって言う、
何よりの証拠なのではないでしょうか。








痩せている=価値がある



っていう認識は

痩せて居ない=価値が無い


っていう風に、自分を高めると同時に
追い詰めることにもなりかねない。






摂食障害という状態を、痩せて居ない自分を受け容れれない状態と考えるのは本当の愛から自分を遠ざけてしまっているのかもしれない。




相手に対する思いやりとか接し方とか
もっと愛されるために磨かなきゃいけない要素から目をそらして
盲目的に痩せという外見を求めていても、
満たされるときは訪れないような気がしてならない。








痩せることは愛されるために重要だという認識は
社会で共有されている。


ただ、痩せた自分を認めさせたい人たちの目線じゃなくて
自分の価値観を満たせる自分を追いかけていても、結局は満たされずに
痩せに縛られて息苦しくなってしまう。





そう考えると、
痩せれば愛される。
痩せないと捨てられるっていうのは
小さな小さな自分だけの世界で価値観に縛られているわけですよね。



だとすると、達成すべきは目標とする体重まで落とすことでも維持することでもなくて、自分だけの価値観を脱出することなのではないかと思う。




自分の世界、痩せ=万能という価値観を脱出し
自分を取り戻し、取り戻す中で、本当に愛されるために自分を磨いていければいいのじゃないかなって








以上、理想論でした!!


分かっちゃ居るけどうまく行かない病気だってのは
自分が良くわかっている。


けど、あえて言うなら、自分だけの価値観を脱け出すこと、
他人と接する仲で自分を変えていくことが必要なのではないかと思った。