いつの間にか治る事は無いが、いつの間にか治っている

時間が解決してくれる。
苦しみが蓄積されれば、いつかは救われる。


もしも、神とか仏とかがいるのなら
悲しみと苦しみがある一定量に達したら許されるのかも知れない。

















ただ摂食障害に限って言えば残念ながら
どれだけの悲しみを積み重ねようとも
時間が過ぎていくだけでは何も解決しない。




時間に身を預けるにしても
しっかりと自分で努力して回復していこうという具体的な対策を
行動に移して、摂食障害を使わなくても生きていける自分を形成していかなければならない。





つまり、何かがどうにかしてくれるって思ってるうちは何も変わらないってこと。



「いつの間にか」治っちゃってる!っていうラクルは起きないのだ











しかしながら、治る瞬間ってのは、
どうやら「いつの間にか」訪れているらしい

気付いたら治っているというのが下記にしるされている、






いつの間にか治っている、という日々を迎えるためには
「いつの間にか治る」っていう幻想を捨てて着実にやるべき努力を
積み重ねていく事が大切なのだろう。




それはたとえば
食事改善、体型体重に対する価値観の見直し、
現実を歩む覚悟、対人関係におけるストレスコントロール(SST、CBT)などだ。







☆☆




摂食障害の語り―「回復」の臨床社会学

摂食障害の語り―「回復」の臨床社会学


摂食障害の語り/中村英代)参考引用








Dさんは、過食や嘔吐をしても「後悔しない」と自分に決め、
全部受け止めていった。




吐いても別に後悔しない事って自分で決めて、
何をやっても後悔しない事。


食べすぎても、
「食べ過ぎた、食べ過ぎた、どうしよう」

とかじゃなくて、後悔しない。


吐いたとしても後悔しない。




全部受け止めようと思って。






その他にもDさんは回復を意識していろいろなことを試している。



たとえば、体重を測ると体重の事が気になってしまうので、
体重計には乗らないようにした。
すると次第に体重が気にならなくなっていった。





また、インターネット上に、
それまで誰にもいえなかった自分自身の
摂食障害の経験を書き、
それがいろいろな人々に受け容れられていく中で、
気持ちが楽になっていったとも語った。







そんなある日、過食の後に吐かないで翌朝まで
眠ってしまった日があった。






このときのことを
「朝起きて一瞬後悔したけれど、何となくスッキリした。はかなくてよかったんだきっと、って思えた」と語る。



こうした日々を過ごすうちに
「食べてもまぁいいかとか、おいしいなとか思えるようになってきて、
 そうするとだんだん、それまですごく気になっていた痩せなきゃ痩せなきゃっていうのが
「まあいっかーというのになって」いったという。




そして、過食・嘔吐の回数も次第に減っていき、
ある日気がついたら、過食も嘔吐も全くしない自分がいた。













Hさんは、こう語っている。





もう一切、過食嘔吐したいとも思わないし、
なんだろう、全く過食嘔吐がなければ
まずは止まったことですかね。


自分の意志で我慢して止めるのではなく、
自然にほんとに止まったんですよ。
や、こんなことあるのかなって感じで。
その時、やっぱ治ったなと思いました。



あとは
自分が今そうなるだろうという恐怖感もないですし、
不安もないです。自然に止まった時が私にとっては回復ですかね。
あと、食べちゃ悪いものとか一切、今の私には無い。
体型とか体重とかそういうの気にしてない。