外見を評価される恐怖




週末ですが調子はいかがですか??




僕の場合ですけど
週末ってあんまり調子よくないんですよね。


きっと、働いている人たちが休む曜日であって、
何もしてない自分も一緒になってナマけているという
罪悪感に起因する事なのだと思いますが…。









図書館に通っているのは
過食をしない状況にいる自分を作るのが第一目標であって
本が読みたいとか勉強したいっていう能動的な目標があるわけではないんです。





ただ、少なくとも過食をしないと言う事は
お金を使わないし過食行為によって同居している親へのストレスも
避けられているという意味では、
それなりに価値のある消去法なのかなとも思っています。





ただ、空しくなっちゃうときもありますけどね(笑)









大学に行きたいから勉強するっていうのと
補習を受けたくないから勉強するって言うのでは、やっぱりモチベーションが違うというか。


まぁ消去法の人生って行き詰る可能性が高いんですよね。





よりやりたくないものを避ける為にやりたくないモノを選ぶっていうのは
自分に嘘を付くというか、自分が居ない人生を生きていけるほどの
心の強さを持って居ないんです。












勝手な自分の中の決め事…やっぱりありますよね。




甘い物、油物は嘔吐するときじゃないと食べれないとか
出かける前、人に会う前、は絶対に食べないでおきたいとか
食べ物に関する条件が生活の優先順位の所にあって
極めて不自由な感じですよね。





誰にも強制されて居ないけど、
守らずには居られないって感じ。









人と比べたりしますね。
私の方がイケテルとか、そういう目で見ちゃう。





体重って勝ち負けの指標になる。
あと、痩せられている自分は偉いっていう確認作業?みたいな。











もし何か外見に関することで具体的な嫌な出来事とか思い出があれば
話せる範囲で教えていただきたいです。



というのも、僕は誰かから
「お前、デブ」とか「太っているからダメ」とかっていう拒絶をされたわけではなくて、ただ自分の妄想の中で太っているから受け容れられないんだって思っているので、
他の人はどうして痩せなきゃいけないって
強く思っちゃうのかなぁって思って。










自分が太る(ダメ)になったら周りから批判されたりハブかれたりするんじゃないかって言う恐怖ってありますよね。
実際にはそんなに廻りは気にしないって分かっているんだけど、どうしてもそういう想像は消えていかなくて…。









「人は中身だ!」といわれても、
どうしてもそんな風には思えなくて、事実、女性はもちろん、男性でも痩せている人の方が認められているっていうのは現実にあると思います。


それに、正直に言えば細い人、痩せている人のほうが人間としての価値があるなぁっていう認識は自分がこれだけダメージを受けても全く変わってないんですよね。



痩せる事以外にも自分の勝ちを感じられる部分が見つかって、
それに向かって努力することができると、体型体重から離れられるのかなぁって思います。


痩せているという部分を過度に重要視してしまう理由がわかれば
解決するのかなぁって。


解決するには、解決するための問題が何なのかを把握するところから始めないといけないから、。