ありのままの


ありのままの自分が素敵って言ってくれた事が
嬉しくて嬉しくて



ありのままの自分を好きになれないことが
悔しくて悔しくて



自分ひとりが闘ってるって思ってたんだよ
それぞれ何か掛かえて
この平成と向き合っている




内面の弱さも外見も
この世に一つしかない君の個性だろ
嫌いだったこの弱点も強さに変えていこう


Uverworld浮世crossing













何に苦しみや悲しみを感じるのかと言うのは
それぞれの価値観や感受性があるので
定義するのは難しい。




しかしながら、多くの人に共通しているのは
「自分の事を分かってくれない、認められない」
という事だろう。






誰にも理解されて居ないって事は
世界に独りぼっちになる事なのだ。








マズローの5代欲求の定義で考えるなら
4段階目の承認欲求の部分。






人は他者を通して自分の存在を確かめる。
だとしたら、他者から認められて居ない自分っていうのは
存在している事が分からない。



自分が存在しているかどうか、という疑念ほど
生きづらさを与える苦悩は無いだろう。



















ある女性は嘆く、
誰も分かってくれないと。






>>




私の存在意義って何?誰も私の話聞いてくれなかったじゃない。
みんなで無視したじゃない。もう消えたい。


もう終わりにしたい


こんな人生なんていらない


私なんて必要ないんだから。



存在をなかったことにしてください


存在しているのにそれを踏み躙られるのは酷すぎるよ。



もう何も考えたくない



消えたい





>>










自分を理解されない事ではなく、
理解してくれようとしない、その態度
にこそ、彼女は傷ついたのだ。




誰もが自分を理解してもらいと願いながらも
理解なんかされるわけ無いよね…とドコかで諦めも感じている。
(理解されなかったときの予防線として、過剰な期待をしないという防衛機制かもしれないが)





だからせめて、理解する姿勢、つまり話を聞いて欲しいと思ったのに、
それさえも叶わなかった事に対して深い落ち込みを感じ、
死にたいとさえ綴っているのだ。










分かってもらえない、理解者がいない、
理解者になろうとしてくれる人さえも自分には居ない。
これは、死ぬ事よりもよっぽど怖い事だ。






生を保ちながらも、死の中で生きることを強いられているのだ。




















だれかが自分の言葉に耳を傾けてくれるとゆうのは幸せの極みです





このツブヤキの中に
人間が幸せになる方法が凝縮されているのかも知れない。