カミングアウト選抜





病気のことを打ち明けるのは不安だし怖い。
けれども、誰かには自分の状況や気持ちを話したい。
誰か一人でもいいから、理解者が欲しい。



そういう風に自分の事を分かってくれる人の存在を望むのは
何も精神疾患者だけでは無いだろう。




ただ、やっぱり、話すのは誰でも良いわけではない。











僕の場合は男性の摂食障害だったので、
かなり孤独感を感じていた。


孤独という孤立、と言った方がいいかな。
男性の患者に向けられた書籍は無いし、病気本の対処法も症例に出てくるのも
全部女性向け。


どうも、おかしな存在となってしまったようだ…という疎外感にも似た孤立感。


ネットが女性の患者さんと多少のやり取りがあったとはいえ、
女性の病気だという認知は未だに崩れていないし、これは男に言っても
バカにされるか理解されないのがオチだなと思っていた。


家族以外には言っていないかと思っていたが、
二人の友人には、それとなく打ち明けてみたことがある。







ただ、反応は


「何それ?」「ふーんそうなんだ」という
予想通り過ぎる反応。






まぁ


「お前キモい」みたいに


突き放されなかっただけでも心ある人たちだったのかもしれない。








ただ、打ち明けるからには、やはり「手応えが欲しい」というのが
本音だ。



上記のお二人は、「ツラいね、大変だね」という
常套句すら掛けてくれなかった。


この時に痛烈に実感したのは、
あぁ打ち明ける相手はしっかり見極めて選抜しなければ
さらに自分が傷つくことになるんだなって思った。




それでも現在は、ネット世界をのぞけば、
2人の人には一応打ち明けられている。


といっても、病院で知り合った
同じように精神科に通院する人ではあるのだが。



だから、やっぱり周りの人には打ち明けられていない、というのが実状だ。





恐らく、この先も精神的に病んでて…というような言い方を
することはあるかもしれないが、
摂食障害という病名を打ち明ける機会は、何のではないかと思う。


やっぱり、理解できない人に打ち明けても
寂しくなるだけだし。




もし、堂々と打ち明けるときが来たとしたら
完治したとき、かな。


笑い話として、時には苦労話として。


その瞬間が訪れるような予感が、いまのところあまり無いのが
非常に残念なのですが。。













打ち明けたい。けど打ち明けるのは怖い。
痩せたい。けど食べたい。





抱えるアンビバレントな感情。





もしかしたら、精神疾患の原因には
「わがまま」が起因しているのではないかと
綴りながら思ってしまった。




















前置きが長くなってしまった。
本題はここから。

打ち明ける人を選ぶときに
私達はどういう基準を持って、自分の抱えているものを
聞いてくれそうな相手を選ぶのか。











打ち明け話をする時にどうしても頭から離れないのは
こういう思いだ。



相手に引かれないか。

軽く流されたら傷つく。

分かってもらえなかったら打ち明け損。

共感してくれなかったらショックだ。






などという、「恐怖」があるからだろう。


だとすると、打ち明けても良いかなと思う相手は
自分の話を否定せずに真剣に、けど深刻にならずに
状況だけでなくツラいという心情にもある程度共感してくれる人、


ということになる。






勇気を出して打ち明けるのだから、人選ミスをして、
受け止めてもらえなかったり流されたりしたら、
ものすごい徒労感を感じるし、傷ついてしまうだろう。






けれども、打ち明ける相手を選ぶとき、
私達が本当に気にしているのは、自分の恐怖よりも、
相手のことではないだろうか。





打ち明ける相手を選ぶ時の選抜基準の根底にあるのは
相手への最大限の配慮だと思う。













つまり、自分の経験や気持ちの重さを
「受け止められる心を持っていない人」だったら
”相手を潰してしまう”のは、お互いに何のメリットもないということだ。








自分の気持ちの転移を受け止めきれる心を持っている人間かどうか、
病気に罹るくらいの優しさを持っている人であれば、
打明けられた相手の立場を考えられる。
だからこそ、つぶされないで耐えれる心を持つであろうという確証に近いものが
ない人には言わない。




このような配慮があるのではないかと思った。











例えば、ツラそうに打明け話をしているAさんがいる。
そしてそれを聴いているBさん。


Aさんが自分の辛い過去や状況を打ち明けているときに
涙ぐんだり呼吸が荒くなったりしたとする。









そういう時に、Bさんの側から頻繁に発言されるセリフがある。



「ツラいなら無理して話さなくて、いいからね」


というヤツだ。






このセリフは一見、
打ち明けている相手に対する思いやりのように見えるが
実は、聴き手側であるBさんがAさんの話の重さに
耐えられなくなってしまっているのではないだろうか。


つまり本当に苦しいのは、
打ち明けて呼吸を乱しているAさんではなく、
話を内容と目の前のAさんの状況を受け止めきれていないBさんの方なのだ。



この状況に耐えられないからこそBさんは相手の為を装って、


これ以上、その話をして欲しくない!
耐えられないよ!!といって、話を打ち切ろうとするのだ。












この例から分かるように
人によって、心の許容量は決まっている。
だから、話し手は相手の心にも配慮し、
自分の話を、つぶされずに受け止められるかどうかを、
話して側は見極めているのだと思う。


そして、この人なら委ねても大丈夫!潰れなそう!!
と思える人にだけ打明ちけるのだ。



傷つけられる事を人一倍怖がり、
傷つけそうな相手を見抜いて近づかないようにしてきた
私達ならなおさらのこと。


相手に負担だと思われたくないし、潰してしまったら申し訳ない。
しかも、受け入れを拒否されたら勝手だけどムカつくし。




だから、同じく精神疾患を抱えている人には
気楽に打ち明けられるのだと思う。

あぁこの人なら、もう自分の事を受け容れているのだから、
こちらのを委ねても大丈夫だろうという安心感があるから。










自分の打ち明けが無意味なものになるのは嫌だ、という思いも
もちろん強いのだが、相手への配慮から、
打ち明ける人を選んでいるのだと思う。


そして願わくば、自分の辛さをより理解し共感してくれる
ヒーローの出現を病気が治ることと同じくらい、
どこかで待ち望みながら過ごしている。




やっぱり寂しさから全てが始まってるケースが多いと思うから。






寂しさは人を壊しますね。