「消えたい・死にたい」に隠された思い


自分はどこにいるんだろう。
自己不在の人生は空虚感が加速するだけだ





自分の空洞を感じながら過ごすのは
とてもツラいことだ。


カラッポなのではなく、空洞なのだ。






カラッポには無い冷たさが空洞にはある。




ただ、どれだけ諦めようとしても、
空洞をどうにかしたいと思っている自分の存在がいる事も事実なのだ。












「消えたい」も「死にたい」も”価値ある自分を感じて生きたい”っていう強烈な生への願望なのだと思う。




存在価値の無い自分と言う存在が
あまりに恥ずかしくて耐えられない。




消えたいと思う、価値が無いのに生きる価値は無いって思う。



だけど、「まともになりたい、普通に生きたい」という思いの中にこそ
自分の存在が”居る”
ということになるのではないだろうか。










寂しいから物を壊したりするんでしょ?




寂しさを感じないように自分を壊して
寂しさを無いものとすることで、自分を守ろうとしてるんだよね??






できるだけ早く、自分の価値に気付けると良いね。