長期化する摂食障害との上手な付き合い方。+改善法をちょっと。






長期化する場合は、
本当に長引いてしまう傾向が強い病なのだと思う。
摂食障害は。


















完治する人っていうのは、どうも罹患して3年以内に抜け出している
ような気がする。3年以内に抜け出すことができていれば
結構スムーズに抜けて言っている印象。







だけれど
5年以上の期間闘病している人は、
長期化している傾向があると思う。
6年目で治りました!みたいな話はあまり聞かない。
それで10年以上苦しむことになる人も少なくないのでは。










3年以内なら、治るけれど、そこを越えちゃうと。
どうしても長期化してしまっている気がする。
















それは恐らく病気が定着していて
嘔吐するのは非日常のはずなのに
それが日常化してしまうからだ。


















嘔吐できないと落ち込むってのは
本来はおかしい。



食べたら吐かないのが
人間として正常。



だけど、非日常が日常で無い場合、定着した嘔吐が出来ないと
不安になってしまう。




















なぜ苦しいのに長期化してしまうのか。
抜け出せないのか。






それにはいくつかの要因があるのではないかと。






どれも決定的な理由ではないが
どれもが回復の為には重要な因子で
複合的に絡み合っている。















・食べることの問題だと思っているから。



食べすぎてしまうこと、嘔吐してしまうことは
身体の機能が壊れているんじゃなくて心からの悲鳴だと言う事に
気づけずに、いつまでも、普通にたべれて嘔吐を止めさせれば
治る病気だと本人も回りも思っていること。






本当は食べてしまう事、命を削ってまで痩せようとしている事には
本人なりに理由や背景があるはずなので、
そういう本質的な部分を着手しなければ快方には向かわないと思われる。


















・痩せたいのは、なぜか



痩せた身体を手に入れたいから
必死にダイエットしている、という風に
「痩せる事そのもの」に意味があると周囲と本人が思っていると、
解決には至らないのかも。







痩せたい気持ちに隠れた本当の気持ちと
向き合えないと長期化してしまうのかも。












痩せたいってのは、
評価でしか自分を承認してもらえていないから。



「痩せている自分」という
肯定的な評価を得られる自分じゃないと
誰からも受け容れてもらえないのではないか?という恐怖感がある。












つまり、自尊心を満たせる場所が「痩せている」という事しかない。
だから、痩せたいから痩せるのではなく、
自分が認められていないという「自尊心の著しい低下」が
根底にはあると言う事を見つめていかないといけないのだと思う。






















・過食、嘔吐にはメリットがある




治すのが嫌。治りたくない。
日々苦しんでいても、どこかでそんな思いを強めに持ってるものだ。






嘔吐する事で痩せれていたりすっきりしているのが
事実なので、そのメリットを手放したくない。


あるいは
嫌な気持ちが吹き飛ぶとか
現実を忘れる瞬間が快感とか
そういうメリットを健全な方法に転換していければ
過食嘔吐という”手法”を手放す事ができるのかもしれない。


























・未来が描けない



病歴が長期になりあきらめている。
病気が治ったとしても
何も無い自分では明るい未来が見えない。







今はネットとか書籍で
自分と同じような状況から回復していった方々が
多く居る事を知る事が出来るし、もしかしたら
実体験を聞かせてもらえるかもしれな環境が整っている。




だけど、表に出てくるのは成功者だけで、
その影に居る何倍もの治っていない人たちがいるという面も事実だ。






だとしたら、
小さく成功体験を積み上げていくしかない。
















胃に吸収させる時間が伸びた、
過食を15分遅らせた我慢できた
嘔吐せずに食べられた



などの、ちょっとした成功を積み重ねて
「自分は回復に近づいているんだな」という実感を少しでも得ながら
未来を信じて成すべき事を成していくしかないのだと思う。







もちろん、身近に完治者がいて
お手本にできるのなら、それが最高なのだが…。















・人間パターンが固定化





人は人と接する事で
気分をリフレッシュできたり新しい自分の一面に気づけたりします。





ただ長年、病気の自分を抱えていては
家族以外の(あるいは家族とさえも)友人知人と
接する機会も少なくなっており、「きっかけ」を掴むチャンスを逃しているのケースも多いでしょう。





親との関係が良好であれば
(子どもが親の顔色をうかがい続けての上での
 ”良好さ”は最悪ですが)


ちょっとずつ改善されていく可能性はあるが、接する人が親以外にいなくて親との関係が険悪だったりシラけムードだったりすると
自分の考えを受け容れてもらったり、気持ちを解放する事が出来ずに良くない生活パターンが繰り返されてしまう。








そして、治るきっかけの無いまま、
発症したときと同じような環境・心理状態で過ごす事になり治療効果が思うようにはあがらないくなってしまう。










すっごく苦しくてシンドい。
裏儀らるかも知れないし
拒否されるかもしれない。



それでも、誰か理解者ができると何かが変わっていくのだと思う。
理解してくれなくても、話を聴いてくれて




「それはツラいね、よく耐えているね」



って言ってくれる相手がいるだけでも、
かなり違ってくるのだと思う。






そして、そういう温かい人との関係の中で
なんとなく自分が戻ってきたり痩せることだけに縛られて生きていることに飽きてくる。




そこで、もっと面白いもの興味が持てる場所に行く為に
体調を整えようと思って痩せるのではなく健康になる事が大事なんだなって優先順位が変わっていければ理想的なのだと思う。






















本当は家族とか主治医、カウンセラーとの関係が良好であって
その人たちとの関係の中で自分の在り方を考えるのが良いんだけど、
基本的に長期化している人ってのは、そういう人たちの関係構築も
良好じゃない場合が多い。


じっくりと自分に向き合ってくれるべき存在も
実は、自分にはそんなに構ってくれないって感じている場合が殆どだ。









だとすると、他の場所(友人知人)に救いを求めていくのが最善になる。
受け容れてくれる相手に依存するんじゃなくて
”キッカケ”をもらいにいくスタンスだと
割と受け容れてもらいやすいのかもしれない。





























上記には
僕なりの分析と改善策を提示してみました。










これらの要因が複合的に絡み合って
長期化してしまっているのではないだろうかと思った。


もちろん、他の要因もあるだろうし
何より専門家じゃないので経験でしか語れないが。









ただ、一つだけ確信を持っていることがあって




食べる事や吐く事の意味に気づいたり、
自分の気持ちに向き合ったり、
人との関係の中で自分を取り戻したり、



これらを実践する事で、何を目標としているのかという
『自尊心の回復』を目指しているのだと思う。
























摂食障害の発症や長期化は
”自尊心の著しい低水準・自己効力感の欠如”
が最重要因子としてあげられると思う。





自分が価値のある存在と思えない状態が長く続いて
心が折れてしまった。


折れている状態はツラいから
”痩せる”という手段で
自分に自信を持とうとしている、つまり
自尊心を保とうとしているのだと思う。









痩せようと思ってダイエットしている人が全て
摂食障害になるなんて事はありえない。




それは、痩せる事に必死になろうとも”依存”はしていないから。









自分の誇れる事、自尊心を保てる場所が「痩せている」という”形”にしか無いと思ってしまうと、もし太ってしまったら、自分の価値を失ってしまうことになる。






自分の生き方、自分自身に誇れる部分を持てずにいると
痩せているという一般的には評価を得やすい要素、たったひとつの要素に
自分の全てを投影して痩せている事そのもをアイデンティティとして扱っていく事になる。







だったら、そこから抜け出すには痩せていること以外にも
自分を取り戻せる場所、誇りを感じられる部分を見つけていけばいい。


















そうすれば、
痩せる事の執着から離れられるのではないかと思う。












そして、自分の誇りを回復できる場所がどこにあるのかを
自分で気づくためには
間違った方法(過食嘔吐)で自分の気持ちを解放する事をやめることや
自分と向き合うことを恐れない事。
そして、他人との関係の中で、
なりたい自分を見つけるキッカケをもらう。





こういう事を実際に行動していけば
非日常に染まりきった日常であっても、
どれだけ長期化して諦めてしまっている状態でも
超ゆっくーりだとしても、道は開けていけるのだと思う。






8年かかって、やっとその入り口に立った男が
少なくてもここに一名いるので、全くあさっての方向を示す方法ではないと思います。





少なくとも僕は、こんな風な事を
摂食障害から感じ学びました。




























ただ、早く治ればいいものでもないのかなぁとも最近は。
苦しさをしっかりと味わうことも大切なのかなって、なんとなく思うようになった。







つまり、苦しみをしっかりと苦しんで、
何で苦しまなきゃいけないのかって事を把握できるまでは苦しんでいくしかないんだと思う。











「今までの考え方、価値観、生き方だと、もうツラいよ〜」っていう
身体からの心からのサインとして苦しんでいるのだという事を理解する。



そして、その苦しみから学んで、
新しい自分とか、もっと自分に楽な生き方を模索する必要があるってことを摂食障害という苦しみが教えてくれていたんだなぁって思えるまでは
治らない方がいいのかも。






中途半端に症状だけ治っても
自分に無理をしすぎる生き方を改善するところまで至らなかったら、
再発しちゃう可能性があるから。













だから(?)苦しんだ分だけ、僕達は幸せな日々を手に入れる権利があるのだと思います。


苦しみから学んだ事は絶対に現在に未来に活かせるだろうし、
苦しみにも学びがあるんだって思えたら、人生、なんでもこい!って感じになるじゃないですか?









だから、
じっくり苦しんで、ゆっくりスローに
完治を目指していければいいのだと思います。






















もし、摂食障害が長期化してしまって
どうしようもなさすぎる…って感じている人が居たら変化を起してみるのがいいのかも。



治らないパターンを繰り返し続けていても治らない。
今までの生活の中で良くなっていないと感じているのなら、
「今までを変化」させて、他の良いと思われる方法を試してみるのがいいのかもしれない。







それは、
体重計に乗るのを止めてみる事かもしれない。
痩せる事にこだわる自分を振り返ることかもしれない。
食事を家族と一緒に食べてみてもいいかもしれない。





あるいは、
避けていた人間関係をちょっとずつ再開してみることかもしれない。














治らないパターンを繰り返していても良い方向には向かわない。
だったら、何か変化させていこうとすること。
変えていくことの勇気を持つ事が
大切なのかなって思います。
(体重が増えることを認めることが最も難しいのですが…)