自分を支える方法としての自傷行為






リストカットの位置が
ここ10年くらいで変わってきているという話がある。











一昔前は手首や前腕など半袖では隠せない部分に傷を作っていた。
専門家によるとこれは他人の目の着く場所に傷を作って
苦しんでいるんだ!というサインを出して
相手の注目や心配を集める、という一種のアピールだとされてきた。





そして矛盾はしているが
アピールする目的であっても
隠したいバレたくないっていう思いが強い傾向にあった。
だから、夏場でも長袖を着たりリストバンドをつけるなどして
なるべくなら隠そうとしてきた。






















しかし、近年はアームとか足の太ももとか
すぐには見えない場所に多いとか。
しかも、あまり隠そうとしない傾向が強いらしい。



二の腕だったり太ももの付け根だったりといった
ほとんど人目につかないような場所をカットしているのだ。


また、手首のリストカットであっても
平然と人目に晒している人も少なくない。




コンビニの店員さんの腕にカット痕が
惜しげもなくさらされていたこともあったし
バンドのボーカルの腕には見た目にも痛い傷を見つけたこともあった。



















この変化の背景には何があるのだろう。






まず、隠さない人が増えたという事について。









恐らくだが、自傷行為が「普通」の事になっていて
自分の”一部”として傷にもある種の誇りを持っているのかもしれない。
そして、日常なのだから隠す必要がないってことがあるかもしれない。


自分の日常に溶け込んでいる行為や傷跡なのだから
別段、特別扱いをする必要性を感じていないのかもしれない。















そして、人目に付かない場所を自傷するケースについて。






これは何を示しているのかというと自傷行為ってのは、
「自分を保つ為に行っている」という事だ。


自分で自分を傷つけ、
その痛みを得る事で”完結した行為”であり、
自分だけの世界で終了していると言う事だ。





誰かの心配を得るためにという部分が無いとは言えないが、
自傷によって嫌な気分を忘れたり生きていることを実感したりという
「自分で自分をを保つ為の方法」としての意味が自傷行為には
色濃くなっているのではないだろうか。









誰かに向けた自傷行為じゃなくて、
自分の中で納得感を得るために
自分を傷つけて痛みを得ているという可能性は捨てきれない。
















また、ピアスの穴を耳だけじゃなくて
舌やお腹にも空ける人も増えているらしい。






ピアスの穴を過剰に空けることを
一つの自傷行為として考えてみると
耳だけでなく、
舌とかお腹とかの他人の目につきにくい場所にあけているのも
自分の納得感の為だと考えられないだろうか。





実際、
精神疾患だったりリストカットをしている人は
ピアスが空いている傾向が強いと思う。







ファッションとして相手にアピールするのではなく
自分の為に穴を空けて自分の中で納得感を得ているのだ。



自分を削る事で、
自分を保とうとしているのではないかと思われる。





ここにも、
アピールじゃない自傷行為としての意味が
うかがい知れる。
































「近年の自傷行為は誰かへのアピールじゃなくて
 自分自身を保つ為の手段」









だとすると、拒食症とか過食嘔吐というのは
痩せて衰弱した身体を心配してもらうためというよりは
自分を保つ方法として使われているのではないだろうか。










それぞれの抱える”生きづらさ”に対処するため。


ただ自分が自分に対処する方法として
自傷行為をしているのであって、
「痩せる事でみんなから心配されたり注目を集めたいんでしょ?」みたいな一般に言われているからって短絡的な解釈で
分かった気になるのは間違っている可能性が高い。








痩せる事、吐く事で、自分で自分を助けているのだ。
自分を保つ為だけに行っているのであって別に
誰かの助けを求めているわけではない。





だから、周りが過剰に心配したり騒いだりするのは
本人にとっては、見当違いの心配だし、ただの迷惑だ。













それに、
過剰に心配しなきゃいけない時機は、
もっともっと、前にあったはず。
発症する前に、あったはずですよね?


























だいたい、そうやって一般論に何でもかんでも当てはめて
判断して、人の気持ちとか事情を考察できないような大人の子どもが
だいたい精神病者に育ってしまうんだ。


















いいかげんにしてくれ!!















「助けて」と言えなかったし、たとえ「助けて!」って訴えても
助けにならない人物だろうなぁって
子どもに思われるような大人だから、子どもに頼って子どもの人生を
汚染させていくんだよ。



子どもの人生が壊れていくのは情けない大人たちの情けない部分の荷物を
持たされてしまったからなんだよ。


































くらだらない一般論でしか子どもに接する事の出来ない大人を
頼れないからこそ、なんとか
幼くて未熟で力ない力で
必死に生きていく為に自傷行為をしているんです。





助けて!というアピールではなく、ある意味で
「私は自分で自分を生きていきます!」っていう意思表示なのかもしれない。




「助けなんか要らないよ。
だって自傷でバランス保って生きているんだから」


という小さくも逞しい自己主張なのかもしれない。






注目を浴びる為に、心配して欲しくて自傷しているんだろ?
みたいな勝手な推測で子どもを追い詰めるのは辞めて下さい。















苦しくてツラくても、大人に頼れない状況にあった。
あるいは信頼感を得られる関係性じゃなかった。


だったら、「そこ」に期待するのを止めて
大人に頼らずに自分で自分を生かして生きていこうとする
覚悟を持った行為なんだ。自傷ってのは。





















尊い意思表示、生きていく覚悟という意味が含まれていることを
前提に介入するなり見過ごすなりしたほうが、双方にとって懸命だと思った。