男性の摂食障害が増加すると推測する理由













ダイエット、痩せろ、モデル体型、スリムになってモテましょう、etc















現代は
ダイエットに関する情報で溢れている。






今や思春期の女の子や若い女性のみならず、
「メタボ」を解消したい大人から、
小学生の子どもにいたるまで、
老若男女問わず、こぞってスリムな身体を志向しているのが
もはや常識。















太ること=悪








という認識を小さい頃から植えつけられ、
常に体重が自分を評価する
重要な指標であると常にプレッシャーが掛かっている。















内面を育てる前に
外見という「形」が整って(痩せて)いなければ
内面を評価するにも値しない、とでもいうかのように
痩せろプレッシャーに晒されている。



















こうした時代においては、
摂食障害は女性特有のものではなくなるのは、
当然の成り行きのように思える。








































なぜ、男性の摂食障害が増えてくると推測しているかというと
社会における男性のポジションが大きな変化を強いられているから。





男性が男性らしさを獲得しにくい時代。
だけど、男性として社会から評価されたいし、女性にモテたい。
しかし、既存の価値観やライフスタイルを持続することは
多くの男性にとって不可能な時代になった。









男性が男らしさを考え直す過渡期における葛藤が
摂食障害に結びついてしまうのではないかと推測している。




















で、要因として考えられるのは









・社会に”適応”しなさいという圧力からのストレス累積




・男性の自尊心が満たされにくくなってきている



・欲求不満耐性が育たない時代



自己実現の自由を飽くなき求める”ドーピング”として



・自分の時間の無い日々の中で仕事に忙殺されて働いていると、
 日常的にストレスを溜めてしまって解消する日常的な手段
 が食べるしかない。



冷え性。運動能力の低下。血行不良。




・男性に体型も性格も、スマートさが求められる(いわゆる草食系)



・草食系というか肉を食べない(タンパク摂取の不足)によって
 セロトニンが不足している。甘い物を食べてる男性が増えていることも
 セロトニン不足からの低血糖。そして、食べすぎに辿り着く。








などなど。


主にこんな感じ。











時代的な事。
ジェンダー的な事。


自己実現と自己責任。
食生活のファット化。
女性の求める男性像の変化。





といったところでしょうか。
















































・イイコになりなさい!という抑圧







厳しい時代だからこそ、
氷河期を生き抜いてきた親の子どもだからこそ
親は、子どもだけは苦労をさせたくないって
社会で通用するような「いい子」とか「優秀な子」に我が子を
育てようと躍起になっている。








それは、子どもから子どもらしさを奪い
子どもらしさを抑圧されたまま
親の期待通りにいい子を演じてきてしまい、
「本当の自分」を失ったまま大人へと歩んできてしまう子どもは
爆発的に増えている。






時代が厳しくなればなるほど「我が子だけは…」と
親は子どもに教育を施して、
子どもの自我発達を阻害するケースは増えていくだろう。













自分を殺して親の期待に応えることに
特に不満を覚えずに生きれた時期はいつかは終焉する。







その時に、自分らしさが著しく欠けている事に気づき、
自分不在の自分に病んでいってしまうケースが
男女関係無しに増加していくのではないかと思う。





というかすでに
そういう”被害者”になった子どもがたくさんいるのは
悲しいことだけれど…。




















例えば、団塊ジュニア世代の親はとにかく働いていた。
働けば豊かになるって実感できていたから、
どんどん働いた。


それは家族にもっと良い生活を、という思いもあっただろうが
皮肉にも子育てへの時間と情熱が相対的に下がってしまい、
子どもに構う時間は減った。おまけにおんぶをする人も減った。
子どもにとっておんぶは重要だ。


スキンシップは当たり前だが、自分が発したアクションに対して
すぐに反応が返ってくるってのは非常に意義深い事だ。







反応があることで初めて自分の存在を確認できるし、
脳の発達に、自分に対する反応があるってのは大切だし
自分は守られている!っていう実感は自分の欲求不満の訴えに対して
すぐに反応してもらうことが何よりなのだ。


どう対処するかというより
気づいてもらって、どうにかしてくれている!っていう事が
”守られている”という安心感につながる。
















あるいは、
バブル崩壊後は危機感から労働時間が増えたことが起因しているかもしれない。






生活を、子どもを守る為に収入を得なければいけないって
必死に働いているのだけれども、結果的に子どもに関わる時間、
接する丁寧さは、ますます失われた。















大人の効率的な生活に合わせて
子どもに”命令”が多くなり、我慢する事ばかりを強いられ
ありのままの自分を受け容れてもらった実感に乏しいままに
自分の存在価値に不安を抱えたまま育った人も
爆発的に増えているだろう。





そして、その存在の不安をかき消すように
ある者は勉強という長所でもって親に認めてもらおうとするし
ある者は暴力や非行に走って、
真っ向から親と対立する事で訴えを起すだろう。
















母親が自分に愛情を向けてくれている!という
”安心”を心に育てられずに生育した。


母親に自らの欲求不満という苦痛を受け容れてもらった実感がなければ、
苦痛にもちこたえることはできず、衝動的に別の迂回路を使って
モヤモヤを排泄することで即座に欲求を満たそうとするようになる。




仕事に忙しく、子育ても”仕事と同系列”の扱いになり
何か解決というかゴールに向かわなきゃいけないという
子どもが育ちたい方向じゃなくて、大人が効率的に日常を暮らすための犠牲になっていたのかもしれない。




子どもの頃から大人のルールで動いていては
子どもらしさは抑圧されてしまう。






自分の存在が邪険に扱われたと子どもが感じてしまったときから
ストレスや空虚感の蓄積が
開始されてしまうのかもしれない。























そう考えると「良い子」というのは




「大人にとって都合の良い子」
「教師にとって都合のいい子である」などと言われのは、正しい表現の仕方だろう。






自分を抑えて大人に合わせることが得意。
ただ、合わせることが”過剰適応”を生んでしまっている
現状があると思う。







そうなると”いい子”の理想像として、
自分の怒りは自分で解消し、誰かに向けるのは間違っているということになり自分より強いと思われるものに立ち向かう勇気を持てずに、自分を守ることができない子ども達。







良い子は、いつも親や教師の期待に応えようと、
無理をしながら頑張ります。
そのために自分自身を傷つけてしまうのです。









そして、自分を守ることができないから、
人からの容易に傷つけられてしまうのです。






そして、自分が育たない、心が全く年齢に伴っておらず
モヤモヤをどう消化させていけばいいのか分からなくなってしまう。




幼い子どもほど、未熟な精神な人ほど、
心と身体が未分化な状態にあって、
ストレスが身体化しやすくなってしまう。


























身体化、行動化という視点で言うと、
男性は暴力に向かうようなイメージがある。








確かにそうなのだろう。




男の不満は外側に向くから
同じように悩んでいても摂食障害
女性に多いとされてきた。










心の傷の影響は、
女性の場合には内在化、
男性の場合には外在化という傾向があるようだ。




だから、女性は自分の身体、自傷とか摂食障害が多くて
男性は非行とか暴力で、他人を傷つけるのだろう。
































ただ、ここで、「優秀で、いい子」を押し付けられて、
両親の言う「偉さ」の意味で偉くなるように育てられた
男の子の葛藤があるような気がする。















あまりに押さえつけられて育ってきた為に、
聖人君子のような良い子を期待されて、
優秀でありなさいといわれ、それを愛情というニンジンをぶら下げられて
頑なに守ってきた男性が多くなっているので、
摂食障害は男性にも広まっていくのではないかと危惧している。





”良い子という呪縛”から逃れられずに
迷惑をかけないように、全て自分で引き受けてしまう男性は
あきらかに増えていると思う。

























・男性らしさの喪失








男性は基本的には社会での稼ぎとか地位が
そのまま男性の価値になってしまし
自信とか自尊心を満たしてくれるのって基本的には仕事しかないんだよね。
もちろん、愛する人とか家族が満たしてくれる場合も大いにあるんだけど
多くの人は、成功は社会で活躍することだって男性は思っている。





もちろん、そんな人たちばかりではないんだけれど






「勉強して社会でいい会社で働くことだけが
 成功で幸せになる唯一の方法なんだよ」って






教育されてきた人に取っては、
何かの拍子に勉強に完全なる嫌気が差したり自分の限界を感じたり
自分の限界を超えていくことに魅力を感じなくなってしまったら
自分の生きている事を支えていた全てがなくなってしまう。
















心の状況は身体に影響するが、
身体が疲れ切っているときに
心だけ元気にしようというのは無理な話だ。


もしそうしようとするなら、自分に嘘をつくことになる。
元気なフリをして仕事を続けても、ツラさを紛らわせるためにタバコや酒の量が増えたり、買い物しすぎたり何かに依存することにもなる。
















また、
男らしさを得る”最大の場所”であるはずの「仕事」での
成果が得られなくなった時代背景もあるだろう。









お金を稼ぐ、女性より優位な地位に立つなどの男性として、
存在を証明できる要素が経済の発展が止まったことで、
男性性をアピールできなくなった。




もちろん、素から女性の方が優秀であったけど
男性を立てる為にあえてフリをしてくれていた女性達が男の頼りなさに
立ち上がって自分の事を自分でし始めた、ってのもあるのだが。











お金を稼ぐ = 仕事が出来る = 男性として優秀












という図式の成立が困難になる。























けれども、男性としてのプライドは保ちたい。
それはモテること。



お金と言う資源が足りないのなら、見た目=痩せている自分を手に入れて
女性にアピールしたい。 
























だから、痩せようとする。
内面とか成果物(収入、社会的地位など)が手に入らないなら
外見を磨くしかないっていう答えに辿り着く。





モテるという男性の欲求を満たすために、痩せているという見た目の美を
アピールする必要が経済の停滞によって必要になった。






男はスゴい!といわれなきゃ行き行けないほど脆い。
けど仕事が対して成長できなくなったので、他の部分でスゴイって言われたいと思う。


もっとも短期でスゴイ!って女性にも言ってもらえるのは、痩せることなのではないだろうか







自尊心の欠如。
男性は仕事での成果が大きな自己効力感を保つバロメーター。


それがいま、満たされる男性が減っている。
成長が止まった社会では仕事における成果は感じられる人、つまり
成功できる人はどうしても限られて来る。















だから自尊心が低下する人が多くなり、身近にある食べ物お酒、パチンコに手を出し、そこに快感を覚えてしまうと、ノメリこんでいく可能性がある。






























・ドーピングとしての過食嘔吐









自己の裁量が広がり、
やりたい事がやれる時代になった。
いや、やりたい事を目指すのが自由になったといったほうが適切かもしれない。






その一方で、失敗は全て
努力が足りないとか考えが甘いとか
自己責任になった。














失敗しないために、そして成功する為には
疲れてなんかいられない。



ストレスなんかにツブされるなんて許されないし
限界なんか認めちゃいられない。








だから、過食嘔吐という”ドーピング”を使う。




自分のストレス許容量を越えたストレスを
食べて吐いて発散させる。
あるいは、詰め込んで嘔吐という”痛めつけ”を施して
ストレスという心の痛みを身体の痛みとして味わうことで
ストレスのツラさから逃れようとしているのかもしれない。













「イメージ上の自分の」と「現実の自分」との間のギャップを、
過食嘔吐の力によって埋め合わせたい、あるいは現実なんか忘れてしまいたいっていう願望からドーピングを繰り返し行い、限界を限界としないで、必死に前に進もうとしているのかもしれない。











全て自己責任の代わりに、自分が頑張れば、
きっと良くなるはず!!そう信じて進めるようになった
自己実現・自己責任時代」も背景にあるのかもしれない。



 





















・欲求不満耐性を身につけなくて良くなった?









多少の小さな不満はあるものの、
大きくは満たされた生活が保障された社会システムが出来上がっている現代では我慢しなくても済むようになった。






大した我慢をしなくても、満たされる事が多くなったがゆえに
「満たされない」という不満な状態を自分の内側に保存できなくなったのだ。



これを僕はシステム依存と呼んでいる。
例えば、









小腹が空いたと思ったらコンビニにいけば
おにぎりもサンドウィッチもある。


ネットで分からない単語を検索すれば
すぐに意味を教えてくれる。


欲しいものがあれば
すぐに配達してくれるし送料の上乗せをすれば
即日に商品が手に入る。





こういう近代的な素晴らしいシステムでの生活が
当たり前になっている。



つまり、「あれ欲しい!あれって何だっけ?」と
自分の欲望とか欲求に対して我慢をしなくても
すぐに”答え”が出たり、満たされるような社会になっているのだ。


















これをシステム依存と呼んでいて、
我慢する必要がなくなったがゆえに
我慢する力、つまり欲求不満耐性が身に付かなくなっている。












ただ、生きていく上では、スパッと解決しない事や
長期間抱えていく中でボンヤリと答えが見えてくる事だってある。



どれだけ便利な時代になろうとも
何もかもが、我慢せずに時間をかけずにお手軽に思い通りに
進むわけではない。





例えば、人間関係や勉学とか仕事上のスキルの醸造



人の心は思い通りにいかないし、
人間関係に答えなんか無い。
良好な関係性は長い付き合いの中で作られていくものだったりする。




技術もハウツーの知識はネット上に溢れていても
それが身につけるのは、どうしても時間が必要だ。




























あるいは発育環境の側面から考えてみると、
物質的充足を得られた社会においては
小さな頃から、花よ蝶よと欲しいもの、欲しそうなものを与えられるのが
当たり前という人が増えて、我慢をする必要がなく欲求不満耐性を育てられてこなかったのかもしれない。
















いずれにしても、自分の欲求が叶えられないという状況を
経験しなくても快適に生きることが出来てしまっているがゆえに
我慢が苦痛だったり、欲求が満たされないという苦痛に耐えられなくなった人たちが増えているのではないだろうか。








そして、自分の中で満たされない状況を対処する方法が身についておらず、感情の扱い方がわからない。





そうして、人間に備わっている健全な機能じゃなくて、
”行動化”という、心で処理すべきものを衝動的な行動によって
解決してしまおうとする傾向が
著しく増加しているのではないだろうか。










その、行動化の一つとして
過食嘔吐を選ぶ人が増えているのかもしれないって思った。





























過食嘔吐は情緒障害である。
 満腹中枢の崩壊などではなく行動化の病。
 心で抱えきれなくなった嫌な事を、過食・嘔吐という行動で解決しようとすること。
 不安や悲しみといったネガティブな感情を自分の内面に抱えて心で処理するのではなく
 食べ過ぎたり吐いたりする事で浄化させてしまう」














行動化の病という仮説が正しいとすると、
ネガティブな感情や見たくない現実に直面した時に過食嘔吐を使うのかもしれない。



















正面から向き合う力がなく解決する力もないから
心でまともに受け止めずに、別のモノにすり替える。



過食嘔吐という迂回路を使って
嫌な感情を感じないようにして感情を無かったかのように
吐き出させてしまうのだ。













システム依存になれすぎて欲求不満耐性が育ってこなかった。
だから、悩みとか嫌な感情を内側に溜めて溜めて、じっくり解決する事が出来ない。
だけど、感情は感じてしまう。




そこで、過食嘔吐という(錯覚でも)楽になれる方法、解決した気になれる手段を選んでいるのかもしれない。




























・草食化によるスリム志向








女性が強くなり
そこまで守ってもらわなくてもよくなったっていう事も背景にあるのかもしれないが。
筋肉質なひとよりも細マッチョな男性像が求められる傾向にある。









人間は基本的に異性にはモテたい生き物だし
摂食障害になってしまうような人は
なおのこと、他人から評価されたいし他人と親和したいという欲求が
人一倍強い人たちだと考えられます。








そうしたら、女性が求めているのが草食系でガツガツしていなくて
心も体型もスマートな男性なら、その男性像に近づこうとするでしょう。
なぜなら、求められる像に近づけばそれだけ女性に異性に認めてもらえる、
つまりモテるからです。






モテるための条件にスリムな男性、があるのなら
それを喜んで目指すものなのです。












男は外で働いていれば幸せ。
働いて結果を出せるのがいい男。
そういう評価をされる男に育つように期待され
必死にそうなろうとしてきた。
だからいい会社に入れるよう、いい大学にいけるように
勉強しなさい!といわれ続けて勉強以外の自分を育てる暇が与えられなった。



勉強することに意義を見出せる人はいいんだけど
そうじゃなくて、勉強することにヤリガイを感じなくなってしまう人だっている。


いままで勉強することが全ての生きる意味だといってもいいくらいだったのにそれを失ってしまう。








「勉強以外に自分が何をしたいのかわからない」
「自分は何者なんだろう」



って、自分の中に自分が育っていない。
自己不在で悩み病んでしまう。
自分という運転手の居ないドライブなど不安で空虚で目的地も分からないから
安らげないし生きる意味を喪失しながら生きていく事になってしまう。















そして、たとえイイ会社にはいったとしても
モノが売れない時代に、誰しもが求められる結果をだせるわけではい。




豊かになりすぎてモノが溢れていて、モノがうれなくて
消費者は消費をしない。結果として仕事では売上という成果の絶対数が減っていく。













おかしいじゃないか!!
いい会社に入れば全てうまくいって満足すると思っていたのに!











って努力に対する満足感が得られなくて
自分の人生に疑問符がついてしまう。



















そして自分の存在に疑問を持ち始めるところから病み始める。




相談できる友達を作る暇もないくらいに勉強をしてきているから
勉強のライバルである友達に心を許せずにいる男性だって、
たくさんいる。



自分の感情や弱味を見せる事は
男の競争社会では自分の弱点を晒す事になり
負ける確率を自ら上げる愚かな行為だ。



だから、自分でどうにかしなきゃいけないって思うし
実際に抱えていける強さを持っているからこそ、男性は病むときには
強烈に病んでしまう。










誰にも不満も愚痴も言えずに
ドンドン病んでいってしまう。











それで勉強しかしてないからストレスの解消法もわからないし
人とのコミュニケーションの経験も少なく、自分の思っている事を
相手に伝えるという技術も身についていない。
自分の思っている事を言葉にして表現する方法を持ち合わせていないし
趣味で解消することもできない。







そうなると、どうなると思いますか?















やっぱり、アルコールか食べ物に
救いを求めるようになるんだと思います。


だって、身近だし手軽だし、誰もがすることだから罪悪感も無い。
そして、アルコール依存とか過食が習慣になるまでにしても飲んだり食べたりすることで、気分が良くなって嫌なことを感じないで済むってのは小学生くらいの子ならなんとなく分かっていると思うんですよね。経験的に。







で、実際にアルコールや食べ物をイッパイ食べると気分がいいわけだ。
ただ、痩せていることが男性にも求められているから
ずっと大量に食べていると…。


で、いまなんとなく若者のアルコール離れってのが叫ばれている。
そうすると、食べ物がやっぱり助けになる。













というような、社会的な流れの変化も背景にある気がする。



生まれたときから偏差値という競争に勝つように
忠実でマジメな子どもになるように育てられる。







テストの点数という”評価”でしか
自分を認めてもらえなかったし、満足感を得られるのはテストの点数が高いときだけ。


うまく行っている時は、そこに帰属意識があっても
自尊心が満たされている。だけど
そうそう思い通りに右肩上がりをキープできるわけじゃない。












そうした不調のときに気持ちを吐露できる場所が無い。
抱えながら進む。



そのまま進める人はいい。
だけど、限界を感じながらも頑張っている人は…




別の場所での競争というか
自尊心を満たそうとするのではないだろうか。


















けれども、勉強以外に自分が得意な事が無い、いや分からない。
ゲームもアルコールも楽しくない。
非行や暴力も、他人を傷つけてもスカッとなんか全然しない。






そういう良い子で優等生でマジメな子、しかも
友達を作る機会をも与えられなかった。









そうして、身近でお手軽な”食”に救いを求める男性が増えたとしても
なんら不思議は無いのではないだろうか。































男らしさが奪われている時代にも
男は男らしさを追い求める。





女性は女性らしさを押し付けられているが
男性は男らしさを常に獲得しようとしている。








逆に言えば男らしさが無い自分というのは
男性にとって苦痛だと言う事だ。











社会的な資本(収入、地位)が得られなくても
女にモテるという社会的ステータスを得たい。



じゃあ自分に出来てすぐに効果があるのは、何か。




「痩せる事」なんじゃないか?時代的にも手段的にも。











モテるという”男らしさ”を
時代の変遷の中で獲得しようとしているのではないだろうか。































あるいは、男性の草食化には
食べ物の変化もあるかもしれない。




コンビニは徒歩10分としないで乱立している。


おにぎりやパンなどの炭水化物をお手軽に食べれる。
男のスイーツなんて商品もある。





男性だけではないが現代人はタンパク質を摂取する量が
明らかに減っている。



タンパク質は幸福物質のセロトニン




つまり、
男性はセロトニンを摂らなくなった。






女性の2倍のセロトニンが分泌されているって事は
逆に考えると、自分を保つにはそれほどのセロトニンが男性には必要なのだってこと。






その必要なものを創っていく
トリプトファンを含む食材を全く食べない。




朝はマっクで昼は吉牛、夜はコンビに弁当じゃあ
炭水化物ばっかりで、タンパク質が不足していくのは当たり前。






食事に気を使うほどの余裕がないっていうのも
日々の仕事に忙殺されているという要因も影響しているのだと思う。



仕事に忙殺されて女性を口説く余裕が持てないってのだろう。








また、
もしかしたら精子の量も起因しているかもしれない。




精子が体内に溜まっている量が多いほど女性に優しくするのが男性だ」
っていう仮説が正しいとしたら、タンパク質摂取が激減し、
タンパク質から作られる精子が作られていない現代男性が
女性を求めなくなったのも、うなずけるのではないだろうか。




























・いい子と草食のミックス








究極的には
男らしさの獲得競争を諦めて、
外見という土俵に自分の価値を見出そうとして
痩せているという外見を獲得する事に
闘いの場を移すという「選択的逃避」が
男の摂食障害の根本にはあるのではないだろうか。










競争社会の中でのプレッシャーとストレスには耐えられない。
ストレス解消方も持っていない。
男としての可能性(女性にモテる)をあきらめたくない。







そうした願望を助けてくれる最高のパートナーが
摂食障害であり、過食嘔吐なのでは無いだろうか。









ストレス回避行動とは
競争に負けたときや競争勝つ自信がないとき、
また競争に組み込まれのが嫌なときなどに、
そのストレスの影響の及ばない
「安全な居場所」を求めるようになる。




女にとって、その安全な居場所は
「美しさ」であり「若さ」である。














だけど、
マジメで優秀な男の逃げ場は実は用意されていない。
お酒もゲームも楽しくない、かっこよさなんか簡単には手に入らない。



だとすると、




を競うレースに疲れてくると
「もっと細いというモテるという要素を持った自分に近づけさえすれば…」という強迫な思いに取り付かれてしまうのではないだろうか。






過食という快楽と
嘔吐という快楽、爽快感、痩せているような実感、カロリーとの戦いに勝ったという(ニセモノの)充実感。





それらが凝縮された行為が摂食障害なのでは無いだろうか。






















・まとめて












男の草食化。
闘いから逃げたい。
だけど、逃げていている自分には耐えられない。
ひきこもっている自分を許せない。
マジメに勉強して競争に勝ちなさいと言われてきているから
休むと言う事、ひきこもるだけ、何もしないという状況に耐えられない。









それでもストレスは溜まっていく。









お金もない。友達も居ないし、ひきこもった姿は見せたくない。
そしてゲームにもアルコールにも救われなかった男は
食べ物という身近で安心な場所を得てしまうのではないだろうか。














マジメに優秀に、と団塊ジュニア世代に育てられて
遊ぶ事を楽しむ事を身についてこなかった。だから
ゲームやお酒という不良みたいな事ではストレス発散どころか
余計にストレスがたまる。
そこでお手軽に手に入ってすぐそばに居る食べ物にハマっていってしまう。












そんな時代がすぐそこまで、いやむしろ、
突入しているのかもしれない。


















食事は切っても生活とは切り離せないし、
摂食障害じゃなくても食べると言う事はストレス解消になるって事を
私達は経験している。食べるという行為のもつ快楽しか頼るものが
なくなってしまえば、そこにスガるようになるのは
必然的な流れのような気がする。









ゲームとお酒にハマるのは非難されとしても
食べる事を非難する人は少ないだろう。










日常生活に必要な事なんだから。違和感がない。
それに健常な人でもたまに何らかのバイオリズムによって
食べ過ぎてしまう事があるだろうし、食べればストレス解消にもなる。




自分が間違った行動をしているという疑いをもたれずに
プライドを保ちながらストレス解消も出来て
痩せれる。
















これらの現代男性のニーズをバッチリ満たしてくれるメリットに、
女性ならずとも男性だってトリコになっていくのではないだろうか。
























・解決法??












ただ、男らしさを失って仕事での競争、能力での競争、を避ける為に
それでも男性は、男らしさを手にする為に社会に戻っていくのだと思う。
自分を取り戻したときに、男として男の評価は何で決まるのかを悟ったときに社会に出ようとするのである。





それはもちろん、評価が良くても悪くても
どっちでも自分は揺るがないという
「ドッシリとした自尊心」を回復させてからの話であるが。













で、ここが重要なんだけど
社会に復活するに当たって
「自分の限界を知る」っていうのは大切だと思う。



限界を認めようとしないから
”ドーピング”をして限界を突破して
頑張ろうとしてしまうのだと思う。
















自分を越えていく為の健全な努力は素晴らしいし否定されるべきじゃないけれど、自分を麻痺させて疲れを感じないようにさせる手段として
過食嘔吐を使わないでも済むようになるのが理想。




麻痺で限界を感じないように前進しようとするのは
繰り返してはいけない。













あるいは快感充足の為に過食嘔吐以外の
ストレス解消法と喜びを感じる趣味やリラックス方法を身につける。



それか、ストレス量の少ない生き方を選ぶ。













いずれにしても、
自分の限界、自分を保っていける生き方にシフトしていくことが
重要なんだと思う。




もちろん、リジェリエンスによって自尊心が戻ってきて、
今までの限界を悠々と越えるくらいの真の能力を発揮できるならば
それもまた病気になった甲斐があったってもんだ。























現代病とも言われる新型うつ病の人たちは、自分から「私はウツなんです!」って積極的に訴えて自ら休もうとする。
頑張りが足りないといわれているが裏を返せば
身体のSOSを敏感に感じ取って
自ら回避・急速をしようとしているのだ。






ひるがえって、マジメで優秀な人がターゲットになりやすい摂食障害においては限界を迎えてもなお、過食嘔吐という麻痺、ドーピングを使って
目標に向かって突き進もうとする。







それじゃあ、なんのために身体が
「限界です!!」っていうハッキリしたサインを出してくれたのか
分からなくなる。







身の丈を知る、といったら言葉が悪いかもしれないが、
前向きなあきらめ、人生を長期的な視点で見つめる事、
人よりはちょっと遅いかもしれないけれど、
ゆっくり積み上げていけばいいって自分との折り合いを付けること。
















そのためには犯人を捜すのではなく、
自分の過食嘔吐の背景には何があって、
どういう働きをしてくれているのか。


あるいは、
関係性はどうなのか?自分の限界はどこか?
過食嘔吐というドーピングに頼らなくても生きていけるストレス度の生き方は
どこにあるのか?







ということを、自分で自分を知っていく事が必要だと思う。






















自分をしっかり見つめるってのは、健常者でもあっても
容易な事ではないと思う。





だけれども、自分を知って、
どういう時に過食嘔吐したくなるのか。


しっかりと心を診て、
自分と向き合える勇気と強さが必要なのだと思った。


























・展望















女性の拒食症は
美しさという女性の競争から降りるため、あるいは無条件に勝つ為に
起こる面もあるらしい。
(痩せて小さな存在になれば誰かも心配という愛を与えられ、
 美しさという戦場に登らなくても勝利を得る事が出来る)








だけど、男性だって、
学歴とか地位とか年収での競争が嫌になってしまう人だって
居るだろう。



だけど、そこから逃げてもゲームやアルコールは”いい子””優秀な自分”にはふさわしくない。


だから食べ物に…という流れがあっても不思議で無い気がする。













だがしかし。



最終的に男は恐らく社会に出て、収入とか地位とか、
あるいは愛でもいいけど
そういうものを得る為に再び立ち上がっていくのだと思います。









本当に価値のあるもの、
ここでならストレスを受けても大丈夫!っていうくらい能動的になれる場所で
認められるようになれば、大丈夫。なのかもしれない。












何かを追いとめて獲物を獲るのが
男の本能だとしたら
本当に欲しいものがみつかって、ハンターに戻る事が出来れば
再び歩み出すのではないだろうか。






他人からの押し付けや世間での評価軸じゃなくて
自分が目指すべき山が見つかれば、男は何度でも
狩りに出る事が出来るのだと思う。






















自分が成すべき事を成すために…