優しさに触れた











一人の女性と知り合った。
摂食障害を同じく抱える女性だ。



















ミクシィを通して何回かメッセージのやりとりをした。
比較的長文のやりとりで病気のこと、友人家族についての接し方とか考え方を議論?したり共感しあったりした。














それで、なんか話が合うなぁって思っていて、
なんとなくリアルで会いませんかぁみたいな雰囲気になって
実際に会うことになった。



















病院のミーティング?みたいなものに積極的じゃなかったし、
オトコだからという理由でNABA的な摂食会合には参加させてもらえなかったから、
実質、摂食障害の人と現実世界でお話しするのは初めてだった。











期待と不安。
けど、きっと期待の方が大きかった。













人と接するにあたり、摂食障害という関門をどうしても通過しないと
自分の情報を相手にわかってもらえない日常なので、
そこを考えると、どうしても人に会いたくない、傷つきたくないって言う
邪魔なプライドが先行して関わりを避けていた。






だけれども、そこを認め合って話せれば、逆に日常的なレベルの話ができる気がしていた。
実際に、好きな本とか買い物の仕方とか夜に活動しますよね、とか
”他の人にはチョット理解されないし話したくも無い日常”を
話せるんじゃないかと思っていた。




実際にそういう時間だった。
3時間くらいだっただろうか。
あっという間に過ぎていった気がした。









一回会って話して、とても話があった(気がしているのは僕だけかもしれないが)ので
また会いたいって伝えた。相手も了承してくれた。


何回かメールのやりとりで、また来週にでも…という事になりかけていたのだが相手の方が、体調が優れなくてウツ周期に入ったとのことで、次の約束はなくなった。







そして、その約束はいつになるか、
果たされるのか分からなくなった。



















その時に素晴らしい体験をした。
僕の中で、「優しさ」ってこういうことなのか何かって事が
はっきりと分かった気がした。













優しさとは相手の望む事をしてあげること。
相手の望む事を本当に理解するんは、自分が同じ体験をしている事。

















だとすると、


自分にも周期的なウツのときがあって、
人と会いたくないと気がある。


そういう事を経験しているからこそ、
彼女の体調を尊重する事ができた。


もちろん会えないのは残念だけど、
自分でもそういう経験があるから、
その時の状態を想像できるから、
まぁ仕方ないかって、相手を疑ったりせずに受け容れられた。





















心からの優しさっていうことに初めて出会った気がした。
優しさってのは自分の体験から生まれるんだと思った。




自分がやさしくされたいと思った時の事を
相手が望んでいるであろう事を心から出来る。




やっと、優しさは、どこから出て、どういうもんなのか、
本質に触れられた気がした。












うまくいかない時期があることを知っているからこそ、
配れる優しさがある。自分が傷つかずに相手の事をただ思って、
待つ事が出来る。







優しさってのは、
相手の為に待てる精神的余裕の事なのではないかと思った。