主訴は境界性パーソナリティ、なのかもしれない…。




同じような人間関係の問題をくり返してしまうケース。
何度か続いたら相手が問題なのではなくて、
自分の問題なのかもしれないと、
時間をかけてちゃんと取り組んだ方がいいんじゃないのか





って思った。





















明らかに誰とも深く親しくなれないってのは
もはや相手との相性じゃなくて、
自分の側にある欠陥なのかもしれないって、
いいかげんに認めないといけないって
思えた。










自分が本当に求めているものは何なのか。
相手に求めすぎていないか。
同じ失敗を繰り返す心のに潜む因子は何なのか。








そして、人と深く付き合えない自分に対する怒りが
過食嘔吐を日常化しているのかもしれないって思った。



逆に言えば、
人とうまく関われる自分を作り上げられると
症状は徐々に落ち着いていくのではないかと
思う。





人とうまく付き合えれば、
孤独が緩和される…って信じたい。










そのためには、
なぜうまく付き合えないのか?自分に潜んでいる欠陥に
目を向けなければならないって思った。

















過食嘔吐で何年も苦しんでいるし、
表に出現している診断は間違いなく摂食障害だ。














ただ、調べてみると、
BPDが最初にあって、
BPDの衝動的な破壊行動の一つとして
過食嘔吐が選ばれているのであって、
本質的に解決しなければならないのは、
境界性パーソナリティ障害なのかもしれないって
思い始めてきた。













「圧倒的な空虚感と”愛”の枯渇」





というBPDの主特徴。



















このことに耐えられないから食べて吐いて、
必死に空虚さを埋めようとしているのかもしれないって思った。















生きてきた意味を象徴してくれる人間関係も思い出も成績も
何も残せていない、どうしようもない人生を感じないために
助け舟として摂食障害を引き寄せたのかもしれない。














僕の心には、人々からの愛情を受け取る受容器が備わっていないらしい。
内側に存在する太くて長い空虚感空も
音の無い世界にポツンといるよう孤独感も
自分は、誰かと繋がっている存在なんだという
”愛”が欠落しているからなんだって
やっとわかってきた。






いや、気づいていたけれども言葉として出てくるようになってきた。















空虚さの理由に納得できれば
どういうわけか、空虚さも少し軽減されたような気分になる。




ただ、圧倒的な空虚感は消えるわけではないし
空しさは常に付きまとう。








そんな、言葉にならない空虚な思いを
代弁してくれている言葉がちりばめられている書籍に出会えたので
引用させて頂く。











漠然とした不安も恐怖も空虚感も
言葉として取り込むことで、
自分がラクになれるって事を
改めて思わされた。











空虚な自分を自分で許せれば、
ちょっとだけ、ツラさが軽くなっていけるのかもしれない。






そして、空虚さと空しさを抱えた人間なんだというところを
受け容れて、スタート地点にできたら、
人の心に触れながら、生きられて、
人間らしさを取り戻せるかもしれない…。






















☆☆











(パーソナリティ障害の精神分析的アプローチ 松木邦裕・福井敏 金剛出版)参考









・自分の存在すべてがわからない。
 という離人感。





・自分の感情に触れる事が出来ない。








・空しい。生きている意味がない。
 何も自分の中に積み重なっていないという身の引きちぎられるような苦 しさや自分が存在しないという感じが、
 忌避しがたいものとして現れた。














・今まで誰とも本当の関係を結んでこられなかったことへの悲嘆と
 いったい何をして生きてきたのだろう。
 意味の無い、取り返しのつかないことに人生を費やしてきた。








・自分の真実や、傷つけなくてもいい人も傷つけてきた罪悪感、
 無意味な行動に時間を費やしてきた。
 



















・いつも相手が言い寄ってきて、
 その後自分が夢中になると相手が離れる事が多い。









・何もかもさらけ出せる人が欲しいと思いながら
 自分から一線を引き、人と関わる事が煩わしいと感じている









・思いっきり気持ちをぶつけられる人が欲しい。
 でも最終的には人に頼るわけには行かない。
 近寄り難いが甘えてはいけない。
 でもいつも気にかけて欲しい。






・相手が喜んでくれることをするのが基準。
 嫌われるこをすれば離れてしまう。だから近づくに近づけず、離れるにも離れられない。



















境界性パーソナリティ障害の患者は、愛情を飽くことなく希求する。
彼らは暴力的に迫るやり方でもって、自分の欲求を何も言わなくとも即座に満たしもらおうとし
100%の愛情を確かめ続けるのである。








それは、こころにある空虚で耐え難い飢餓的感覚にもとづく行為であろうが、他者を巧妙に巻き込み混乱させ、倒錯的であるがゆえに不快にさせ、
彼ら自身が疎まれる結果を生む。










そしてさらなる孤独の恐怖から、
愛情希求の行動を強める言う悪循環が確立される。





そこにいかに愛情が注がれても、それは彼らの求める自己愛的で万能的なものとは異なる為に、
彼らがついに満たされることはない。












彼らの心にはコンテイナー(愛を与えてくれる人たち/受け容れてくれる人たち)からの愛情を受け取る受容器が備わっていないかのようであり、
関わる対象には底の抜けたグラスに水を注ぎ続けるかのような徒労感だけが飽満することになる。