コンビニでの醜態





味があって噛めて戻せれば、
別に捨ててある食品だろうが賞味期限切れだろうが古米だろうが
関係ない。むしろ、「活用」したい…。
















全ての過食嘔吐者がそんな風に思うかどうかは懐疑的だが
少なくても僕は、なんでも良かった。























どうしても嘔吐は止められない。だけどお金をムダにしたくない…。
だから、この矛盾した思いを解決してくれるのなら、なんでも良かった。











今思えば、最底辺の人間に自ら突き進んでいた時期だった。



















コンビニエンスストアの夜勤で
バイトをしていた時があった。


夜に家にいると過食してしまう。
夜は過食が加速する時間帯だ。だったら夜に家に居なければいいのでは?って
思って、夕方にスーパーでバイトして、そのまま朝までコンビニの夜勤をしていたことがあった。
できていた事があった。





必死に過食衝動から、自分から、逃げようとしてたのだ。
でも結局は、自分からは逃げられずに、自分を追い込んでいたのかもしれない。
























コンビニ商品には賞味期限が決まっていて、
「廃棄処理」を行う。

あくまで
売っちゃいけない商品であり
すぐに食べられなくなるわけじゃない。


あまりにモッタイナイなって思った。
絶対に活用したいなって思った。



何よりも、「要らないもの」になった食品が
手に入るのが嬉しかった。














過食の材料を買う時って
吐く為に買っていることに対してだったり
お金を無駄にしているっていう罪悪感も大きいんだけど、
一番の悩みっていうのが










「何が欲しいか分からない」ってこと。


















自分がなにを食べたいのか、という事が全く分からない。




「食べたいという衝動」があるのに
「食べたい対象」が思いつかないってのは、
なんといえない怒りにも似た無力感が湧いてくるもので、
スーパーとかコンビニとかをグルグル何周も回って、
何も買わずに帰りたいけど、買わないと大変な事になるから
結局、安くて量が多いもの、値引いてある揚げ物とかのお惣菜を
欲しくも無いのに多く買って、
お金だけがなくなっていく空しさを感じて
帰路に着く。








よく、買い物を母親に任せる摂食障害の人がいるって書いてあるけれど、
もしかしたら、
スーパーをグルグルする空しさと徒労感を感じるのが嫌だから、
何が欲しい川から無い自分を知ってしまうのが嫌だから、自分で買い物に行かないで
任せているのかもしれない。








自分が何をしたいのか、何を基準に”選択”をすればいいのか。
自分でも分からない自分と付き合っていくことほど、不快感を感じる生き方は
無いのかもしれない。









そうして、量と値段だけで食べ物を選んでいたので
必然的に少しでも安く買える時間を狙って買い物にいく。









閉店間際のスーパーで
賞味期限が明日に迫っている食べ物を
3日分くらいは溜め込むのだって日常的だった。




賞味期限当日のお刺身を
2日くらい保管していたヤツを
親に捨てられたことがあった。







全く、わかって無い!








って思った。















親とか健常者の人にとっては、お腹を壊す”食材”だけど
僕にとっては安く手に入った「嘔吐の為の材料」なのだ。


食材は材料だっていう感覚は
到底理解されないのだろうって
そのときに思った。



















でも、コンビにの廃棄は
売れ残りだから、自分が選ぶ必要がない。
しかも無料だ(もちろん、本部や雇い主は廃棄は廃棄として賄い的な扱いは許さないだろう)




”欲しいものを選べない自分”に出会わなくて済むので
非常に有難かった。

















食べれれば、もっと言えば
吐ければなんでも良いので
定期的に売れ残ったものを
廃棄になったものを
コンビニの大きな袋のなかにつめこんで、車のトランクに詰めて
持ち帰って、過食嘔吐の材料にしていたこともある。















あるいは、働いている最中に廃棄になったFFを貪っていた時もある。
それは監視カメラにとらえたれていたとしても、しかたないじゃないか、というか
そんなことは関係なしに、
自分を抑えることができなくなっていた。





























きっと、酷い形相で接客をしていただろうし
一緒の時間に途中まで働いていた人にも不快な思いをさせていただろう
(深夜になると朝の8時まで一人体制になる)













そして、挨拶もせずに退職するしかならないような状態、
誰とも話したくないような心理状態が続いて、
結局は迷惑をかけてしまったのは
本当に申し訳なかった。








お店に深夜一人で居る時には
廃棄になった瞬間、あるいは廃棄のゴミ箱から
捨ててあったものを食べた事もあった。







もはや、限界だった。逃げるように止めた。




吐きながら、お客を恨むようにレジ打ちをしたり、
食べて吐いて商品陳列をしていた事もあった。


もう、人間として最も腐っていた時期だった。








売れ残って販売可能時間を過ぎて廃棄処分となった
商品を誰もお客が居ない4時くらいになると
漁っていた。












賞味期限とか恥さらしな行動とか
そんなことは、関係なかった。





ただただ、無料で大量の過食材料が手に入るのなら
なんて素晴らしいことなんだろうって思った。





まさに、食べ物を漁っているハイエナそのものだった。











ただ、タダで手に入るという喜びと引き換えに
罪悪感が押し寄せてきた。



いや、罪悪感というよりは、空しすぎるという感覚だ。
人間とし終わっている行動をしている自分は
いったい、なんなのだろうって、本当に深く惨めな情けなさを
感じていた。












それでも、


食べ物は食べるための材料ではなく
過食嘔吐の為の材料になる。
この違いは大きい。








過食嘔吐の材料ならば、消化するつもりがないのだから
賞味期限などはお構いなしな条件だ。




食べられれば、というか
嘔吐の材料なのだから、胃に入って戻ってきてくれさえすれば
それでいいのだ。


























人間が動くためにはエネルギーが必要だ。
それは、食べ物からの物質的なエネルギーと、
人から与えられる精神的なエネルギーがあると思う





もし、独りぼっちで誰からも心のエネルギーをもらえていないのならば
それを補うように食べ物からバイトという労働をするために、
枯渇したエネルギーを得ようとしていたのではないだろうか。





食べたいっていう衝動は実は、
体からの、心からの悲鳴だったのかもしれない。







気づいてあげられなくて、ごめんね。
けど、きっとその時には絶対に気づけない状態だったんだと思う。


何かに必死で、必死でやってるのに何も埋まらない。


だからこそ、もっと必死になる。







空しい徒労感と戦いながら
エネルギー切れの体が求めるエネルギー源を拒否しながら、
いったい、何がしたかったのだろう。












しかも、たくさんの人に迷惑をかけて。
最後まで役立たずの人間で終ってしまった。





本当にゴメンナサイ。












今もなお、勤務を持続できるかどうか分からない自分が不安で
働く事に抵抗があります。





いつの日にか、何かの形で罪を償える日が来るのでしょうか。


手繰り寄せなければ、ならない事なのでしょうか…