それでも、生きていく



おかしいですもんね。過食衝動というか
食べ物に支配されている日常って。
















いつでも死ねるから今を生きる。っていうのは
確かに納得です。





けど、治らなすぎて、どうしようもない気持ちになることが
ここのところ多くて。













けど、僕も勇気が無いのでなんだかんだで、
(呼吸をしているという意味での)生きていくのでしょう。


なんのために生きているのかもわからずに。


































人間から感情を奪うと、嫌なことだけじゃなく
良いことも同時に感じられなくなるんだって分かりました。










優しくされると、
腫れ物だから優しくするんでしょ!
本当は迷惑な存在なんでしょ!!って叫びたくなりました。











健全に生きている若者を妬ましく思いました。
けど、もっとムカついたのは、健康なのに毎日をボンヤリ生きていて
それを惰性と思わずに安穏と生きている若者を見たときでした。













ちょっとずつ、良くなっていくよう、
前向きに生きようって言われると
死にたくなりました
そして前向きに生きなくっちゃって思っている自分に、
いちいち疲弊してました。















人を愛そうと思うと
今までを支えてくれた人、
大事にしてくれている人たちの思いに報いるためにも、
人を好きになろうって思う5分後には、誰かを憎んでいました。













みんな死ねばいいのにって思った。
いや、僕が死ねば、主観としては、みんな死んだことになるから
自分、早く死ねばいいのにって思った。









生きていることに罪悪感を覚えた。


















本当の絶望期なんて、こんなもの。







そして、こんな風に世界を憎んでしまうことは
「正常な事」なんだと捉えるべきだったんだ。



人は自分が在る程度幸せな状態じゃないと
世界を肯定的に捉えることなどできない。











だから、そんな風に「自分以外の何かが間違っているんだ」って
理不尽な怒りを外にぶつけてしまうのは、当然の事なんだって。











他人のせいにしている自分に罪悪感を感じる必要なんて、
無かったんだ。










ツラい時には、正しい自分でいられないのは、
人間として正常なんだって
もっと早く気づきたかった。










湧き出る感情を排除しようとするのではなく、
認めることが大切だったんだ。